【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第77号
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○「知的感動ライブラリー」(50)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

不朽の名画『風と共に去りぬ』(1936年アメリカ)

1.原作と映画製作


映画『風と共に去りぬ』は世界の映画史上に燦然(さんぜん)と輝く「不朽の名画」であると言ってもよいであろう。この映画の原作は,アメリカの女性作家マーガレット・ミッチェルの同名の長編小説であり,1936年6月30日に発売されると同時に大ベストセラーになったと言われている。ハリウッドの名プロデューサー,デヴィッド・O・セルズニックはこの小説の映画権を発売日の翌月に5万ドルで手にして,さっそく製作に取り掛かり,約3年間の歳月をかけ,また製作費には600万ドルを投じて,こうしてこの映画は最初のジョージ・キューカー監督の代わりを務めるヴィクター・フレミング監督のもとで1939年に完成した。マーガレット・ミッチェルの原作には黒人奴隷を差別するような表現が随所に読み取られて,「この小説は人種差別の見本だ」と激しい批判を浴びたこともあるが,映画ではそのような政治的な側面は極力排除されて,主人公スカーレットとレット・バトラーを中心にした壮大なラブ・ロマンスの傾向が強くなっている。上映時間は3時間47分で,しかも当時の日本映画界からすればうらやましい限りのカラーによる堂々たる作品である。公開されるや否や,大ヒットとなり,アカデミー賞ではさまざまな部門で賞を獲得したことは周知のとおりである。

日本で公開されたのは,1952(昭和27)年のことであるが,戦後間もないことで,この映画の主人公スカーレットの不屈の精神,何度も窮地に立たされても「明日に望みを託す」生き方に大きな勇気を与えられたに違いない。私もこれまでの人生で苦難と直面したとき,何度勇気を与えられ,励まされてきたことか! この映画は現在,世界中で上映されていない日はないと言われているくらいであり,まさに「永遠の名作」と呼ぶにふさわしい作品である。


2.前編のあらすじと見どころ

この映画のあらすじは,1861年,南北戦争が勃発する直前の頃より始まる。舞台はアメリカ南部のジョージア州アトランタの近くにあると想定されているタラである。映画の冒頭ではその騎士道が花咲き,綿畑が広がるタラという土地の「古きよき南部」が描かれている。主人公スカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)は,そこのタラの地に大農園を構えるアイルランド系移民のジェラルド・オハラ(トーマス・ミッチェル)の長女である。彼女は「明日のことは明日になって考えるわ」と快活に振舞うわがままな令嬢で,また自己主張が強く,自由奔放で,反抗的で,情熱的で,激しい気性の娘として描かれており,そのような性格はアイルランド人の父親ゆずりであるが,その一方ではフランス系の母親エレン(バーバラ・オニール)のような優しくて淑やかな「本物のレディ」になりたいと思っていた娘でもある。タラの大地を馬で駆け回ったあと,父ジェラルドが娘スカーレットに「この世で最も頼りになる唯一のものは土地だ。土地は永遠に残るから」と言いながら,広々としたタラの土地を二人で眺める場面は,この映画の全体から言っても,とても重要な最初の場面である。その親娘の背後に立ち聳えている大木には葉が繁っていることにも注目したい。「タラのテーマ」音楽が流れて,「古きよき時代のアメリカ南部」が伝わってきて,感動的である。この映画はその「古きよき南部」もこれから起こる南北戦争によって「風と共に去って」しまうことを表現したものである。

その「古きよき南部」は翌日同じタラのオークス屋敷で行われた大園遊会でも感じ取ることができる。そのオークス屋敷の所有者はジョン・ウィルクスである。スカーレットはその家の長男アシュレー(レスリー・ハワード)に憧れを抱いていた。しかし,そのアシュレーは気性の激しいスカーレットではなく,おとなしい性格の従妹のメラニー(オリビア・デ・ハビランド)と結婚することを決めていた。その噂を聞き知ったスカーレットは,ウィルクス家で開かれた大園遊会に出かけた折り,その性格そのままに大胆にアシュレーに向かって愛を告白しようとするが,その屋敷に到着したときから自分に視線を向ける見知らぬ一人の男が気になっていた。その男は,聞くところによると,チャールストン出身のレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)といって,「あまり評判のよくない人物」で,「地元にいられなくなって,北部で暮らしていた者」で,「士官学校も放校処分になり」,「おまけに女を捨てたことでも有名」という人物であった。あらすじが展開されていくにつれて,この男はスカーレットと似たところもあって,最後には結婚するまでに至るのであり,この映画のもう一人の主人公と言うべき人物である。この二人の主人公と正反対なのが,アシュレーとメラニーである。この大園遊会での賑やかな華やかなさまを屋敷の中から二人で眺めながら,これから起こる南北戦争を前にして,メラニーは「どんな戦争も私たちの世界には入り込めないわ・・・何が起ころうとも,あなたを愛し続けます,命の果てるまで」と言いながら,アシュレーに誠実な愛を誓うのである。この誠実な愛を誓い合うアシュレーとメラニーの存在もこの映画には欠かせない。しかし,メラニーはそう誓うものの,戦争という厳しい現実がやがてこのタラの地に押し寄せてくるのである。

その南北戦争の機運は大園遊会の最中にも高まっていて,男たちの間では戦争の話で盛り上がっている。スカーレットの父ジェラルドは先頭に立って士気を上げているが,意見を求められたアシュレーは,「戦争は悲劇を生むだけだ。戦争のあとに残るのは,むなしさだけだ」と消極的である。北部に暮らしたことのあるレット・バトラーは,次に意見を求められると,「北部の装備は我々よりもはるかに勝っている・・・南軍の我々にあるのは綿と奴隷とおごりだけだ」と,また皆から嫌われる意見を述べる。レットは「皆さんの戦勝への夢をぶち壊したようだな」と言いながら,その場を立ち去り,「彼のような男こそ,南部の恥だ」とけなされるが,しかし,レット・バトラーこそこの戦争の状況を冷静に判断することのできる唯一の人物と言うべきであろう。悪役を演じながらも,観客にはどうしても憎めないところもある不思議な魅力にあふれた人物である。

大園遊会でアシュレーとメラニーが仲良く二人で歩いている姿に嫉妬を抱いたスカーレットは,アシュレーが一人になった瞬間をとらえて,彼を図書室に導き入れて,そこで大胆に自分の愛を告白する。自分が彼に対して愛情を抱いていることを知れば,アシュレーはメラニーのことをあきらめるに違いないとスカーレットは思っているのである。しかし,アシュレーはそのように気性の激しいスカーレットとはうまくいくはずはないと言い,性格のおとなしいメラニーを娶ることにしたことを告げて,その図書室から出て行く。スカーレットがそれに怒りをぶちまけたのも無理はない。怒って近くにあった花瓶を暖炉の方にぶつけると,その近くのソファーに横たわっていたレット・バトラーが姿を現した。彼はスカーレットのことを「生きる情熱の女だ」と評して,彼女にますます興味を覚えるが,スカーレットはもちろん彼に大きな怒りを覚えて,その場をあとにする。

アシュレーに自分の愛が受け入れられずに悲しんでいるスカーレットは,人々が自分の陰口をたたいていることを知って,アシュレーへのあてつけから,メラニーの兄チャールズ・ハミルトン(ランド・ブルックス)に近寄って,自分に求愛するように仕向ける。その直前にリンカーンが宣戦布告したことも伝えられていて,これから軍隊に入ることになるチャールズは,急いでスカーレットに求愛する。スカーレットはそれを受け入れるどころか,チャールズが戦争に出かける前に結婚式を挙げることにした。アシュレーとメラニーが結婚式を挙げた翌日,さっそくスカーレットはチャールズと結婚式を挙げて,チャールズはそのまま戦争に出かけて行くが,戦地で病気にかかって,死んでしまう。こうしてスカーレットは新婚2週間のうちに未亡人となってしまったのであった。

若くして未亡人となったスカーレットは,喪服を着て過ごさなければならない習慣に耐えることができない。そのような娘を気遣って,母エレンはアトランタの町に行くことを勧める。そこでは戦争のための基金集めをしていて,アシュレーの妻メラニーもいるからである。こうしてスカーレットはアトランタへ行き,メラニーとともに陸軍病院の基金バザーの会場に出かけた。そこでスカーレットはあのレット・バトラーと再会する。彼はその会場で「船団を率いて,敵の封鎖を破り,南部にウールやレースを届けてくれる,まさに神出鬼没の大海原の勇者」としてほめ称えられる。また彼は募金集めの舞踏で破格の値段をハミルトン夫人(スカーレット)にかけて,彼女とダンスをする。その会場での舞踏も見どころと言えば,見どころであろう。レット・バトラーはスカーレットからアシュレーに向かって口にした「愛している」という言葉を催促するが,彼女はもちろん「一生待っても私からはそのような言葉は聞けないわよ」と答える。このような二人の会話がこの映画のもう一つ魅力でもある。大いにこのような場面を楽しみたいものである。

戦争は南部が有利なかたちで進んでいるとはいえ,南部の戦死者も多く出ている。その戦死者の名前の中にアシュレーの名前がないのを知って,スカーレットはメラニーとともに喜んでいるところに,アシュレーがペンシルベニア作戦の殊勲によりクリスマス休暇に戻って来るという知らせが入った。アシュレーは3日間の休暇をもらって戻って来るものの,彼はメラニーの夫であり,スカーレットは態度を控えねばならない。アシュレーが再度戦地に赴くとき,スカーレットは彼を待ち受けて,再度愛を告白するが,彼からはメラニーの心の支えになってほしいと頼まれるだけである。この場面でのアシュレーを恋い慕うスカーレットの流す涙がまた見どころでもあろう。彼女の想いを振りほどくようにして出かけて行くアシュレーを見送りながら,「待つわ,アシュレー,戦争が終わるまで」と口にするスカーレットがあわれでならない。

やがて戦運は北軍に傾き,アトランタの町では負傷兵でいっぱいとなった。スカーレットはメラニーとともに従軍看護婦として働いていたが,やがて病気がちのメラニーは休養を言い渡されて,今では一人で医者のミード博士(ハリー・ダベンポート)に付き添って,その負傷兵の看護の手伝いをしていた。しかし,強い気持ちを持ち合わせたスカーレットにもその酷さには耐えられずに,外に飛び出してしまう。外では北軍の砲撃が轟き渡っている。スカーレットは外の群衆の中にかつてタラで使用人として仕えていたビッグ・サムに出会い,母親が病気だと聞き知って,故郷タラへの思いを強くする。そこへあのレット・バトラーが馬車で通りかかり,身を寄せている叔母の家へ連れて帰ってもらう。その馬車の中での二人の会話のやりとりがまたおもしろい。この馬車はこれからタラから逃げ出すことの伏線ともなっている。

タラの母が病気と知って,スカーレットは一刻も早くタラへ帰りたいところであるが,妊婦の身で病弱のメラニーを残して,そこを立ち去るわけにはいかない。戦場に赴くアシュレーと交わしたあの約束さえなければ,すぐにでもタラに帰るところだが,スカーレットにはそれができない。身勝手なところもあるが,こういう点では誰にも負けないくらい誠実な女性であり,観客はこのようなスカーレットに魅せられてしまう。人々はアトランタの町から逃げて行く中にあって,スカーレットはそこに残って,メラニーのお産の手伝いをする。陣痛が始まり,男の子を産んだところで,北軍の攻撃は激しくなって,スカーレットはタラへ逃げる決意をして,使用人のプリシーをあのレット・バトラーのところに送って,彼に馬車を用意してくれるように依頼する。最初は使用人プリシーをからかっていたレット・バトラーだが,やがて馬を盗んでからスカーレットのいる家に馬車でやって来る。こういう点では彼も憎めない性格の男である。レット・バトラーは衰弱しているメラニーとその赤ん坊,それに使用人のプリシーを荷台に乗せ,自分のそばにはスカーレットを乗せてから,その町から脱出しようとする。町は至るところに炎が燃え上がって,爆薬庫に火が付く前にこの町から抜け出さなければならない。馬を奪い取ろうとする群衆を振りほどきながら,レット・バトラーとスカーレットは必死になって馬車を走らせる。途中,馬は炎に脅えて,前に進まない。肩掛けを馬の頭に被せてから,馬を進めて,崩壊するアトランタの町を脱出場面は,間違いなくこの映画の最大の見どころであろう。爆薬庫に火が移って,大爆発とともに倉庫が崩壊する場面は,明らかに「古きよき南部」の時代が終わりを告げる瞬間でもあった。こうして昔の美しい南部は「風と共に去った」のである。

アトランタの町を無事に抜け出したところで,レット・バトラーは馬車から降りて,これから最後の決戦のために「栄誉ある南部の軍隊」に行こうとする。「かよわい女を放り出すのですか」と尋ねるスカーレットに,「君に出会う北軍こそ災難だ」と言って,また彼女をからかう。そして馬車から降りたスカーレットに別れの挨拶として,「誰の許しも求めるつもりはない。弾丸に当たって死ねれば本望だ。しかし,君への愛は本物だ。世界が砕けようとも,この愛は変わることはない。俺たちはよく似ている。利己的だが,物事を正しく見極めることができる」と言いながら,彼女に熱烈な口づけをする。映画の看板などによく使われている有名な場面であり,見どころの一つであることは言うまでもあるまい。

レット・バトラーが去って行ったあと,スカーレットは荷台の3人を護りながら,必死になって馬車を引っ張って行く。やっとのことでタラのオークス屋敷に辿り着くが,その屋敷は以前の面影もなく,しかも所有者ジョン・ウィルクスはすでに没していた。この風景を「アシュレーには見せたくない」と,スカーレットは口にすると同時に北軍への怒りを大きくする。その屋敷で見つけた牛を引き連れて,さらに馬車を先に進ませて,ついに自分の故郷の家に辿り着くが,父ジェラルドは老けたうえ衰弱しきっていて,母は病没していた。スカーレットは悲嘆に暮れるが,父親は精神異常に陥っていることにも気づいて,ますます憔悴(しょうすい)していく。使用人に尋ねても,食料は北軍が奪い取って行ったため,何もなく,畑には大根しかないという。その大根畑に出かけて,大根を堀り出すが,それはやせ細ったものであった。どん底まで突き落とされたと言ってもよいであろう。しかし,スカーレットはそれから立ち上がって,力を振り絞って,神に向かって,こう誓う。「神よ,私は誓います。決して負けません。必ず生き抜いてみせます。二度と飢えたりはしません。家族を守り抜いてみせます。たとえ盗みを働き,人を殺そうとも,神かけて誓います。二度と飢えたりはしません」「タラのテーマ」音楽とともに公開的な演出で,前編の中でも最も感動的な名場面である。この前編の最終場面でスカーレットのそばにある木は映画冒頭の大木と比べると大変小さくて,しかもそこには葉が一つもなく,枯れ果てていることにも注目したい。「古きよき南部」は「風と共に去ってしまった」のである。


3.後編のあらすじと見どころ

こうして南部は荒廃したが,かつて父ジェラルドが言ったように,「タラの土地は生き残った」ので,スカーレットはそこで厳しいながらも,一縷(いちる)の望みを抱いて新しい生活を始めた。今のスカーレットは使用人にも辛くあたり,妹などにも容赦なく辛い仕事をさせたりして,その厳しい態度を父ジェラルドから咎められたりするものの,生き延びていくためにはそれも仕方ないことである。病弱のメラニーは彼女の性格そのままに少しでも手伝おうとするが,スカーレットは「病気がひどくなったら,その分余計に世話が焼けるわ」と言って,厳しく彼女を叱りつける。そのようなとき家の裏口から北軍の一人の脱走兵が入って来て,金目になるものを探し回っている。そのうちスカーレットの姿を見つけて,後ろに持っているものを見せるように言った瞬間,スカーレットはレット・バトラーと最後に別れるときに貰い受けていた銃でもって,その脱走兵を撃ち殺した。びっくりしたメラニーはサーベルを手にして,現れる。外で銃声を聞きつけた妹たちが,何事かと驚いていると,メラニーは機転を利かせて,「スカーレットが銃の手入れをしていたら,爆発してしまったのよ」と嘘をついて,皆を安心させる。「嘘がとても上手ね」とスカーレットから言われたメラニーは,自分が少しでも彼女の役に立ったことを喜んでいる。スカーレットは「これで私も人殺しね」と言いながらも,いつものように「考えるのは明日になってからにするわ」と言う。

こうして過ごしているうち,ついに南軍が降伏して戦争が終わった。スカーレットは「綿花を育てましょう,空に届くほどに」と,前向きの姿勢になって生きていく。しかし,戦いに負けた戦士たちは,故郷のタラに帰って来て,彼女らが一生懸命に働いて手に入れた食糧はその兵士たちの口に入るばかりである。特に心のやさしいメラニーは「夫のアシュレーも捕虜になって,北部の女から食事を与えてもらっているわ」と考えて,戻った兵士たちに気前よく食事を与えている。その兵士たちの中にはスカーレットの妹スエレン(イヴリン・キーズ)に愛情を抱いているフランク・ケネディ(キャロル・ナイ)もいて,彼は姉のスカーレットに求婚の許しを請おうとしている。そのようにしているところへあのアシュレーが戦地から戻って来る。メラニーが喜び勇んで,夫を出迎える場面は感動的だが,同じように彼を出迎えようとするスカーレットを侍女マミー(ハティ・マクダニエル)が引きとめて,「彼はメラニーの夫よ」と諫めると,スカレーレットが悲しむ場面はあわれでならない。

アシュレーが戻って来て,生活は楽になるかと思われたが,しかし,北部の政治家が税金を高く上げたので,スカーレットは税金300ドルの工面に苦労している。その相談をしても今のアシュレーには何もできない。スカーレットはいっそのこと二人でメキシコに逃げようと唆すが,アシュレーは「妻子を捨てて逃げ出すことはできない」と答える。それでもアシュレーに自分の思いをぶちまけ,アシュレーも一瞬妻子のことを忘れそうになるが,アシュレーはスカーレットに向かって,「君には僕よりも愛しているものがある。タラだ」と言いながら,足もとの土をつかんで彼女に渡す。スカーレットは「二度と取り乱さないわ」と,タラを守り抜くことにする。しかし,300ドルという税金をどう工面するか。不幸なことに,そのようなとき,この農場を買い取ろうとする横柄な男ウィルカーソンがやって来て,悪態をついて帰ろうとするとき,父ジエラルドがそのあとを馬で追いかけ,落馬して命を落としてしまった。窮地に追いこまれたスカーレットは,レット・バトラーのことを思い出して,彼が今入れられているという牢獄を訪れて,援助を願い出るが,あっさりと断わられてしまう。牢屋に入っていなければ,いつもの性格から言って,なんとか手助けしてくれたかもしれないが,しかし,牢屋に入っている今のレット・バトラーとしてはどうしようもなかったのであろう。

落胆してアトランタの町を歩いていると,スカーレットは自分の妹スエレンと婚約しているフランク・ケネディに出会った。彼はあれからアトランタの町に出て来て,商売を始め,その商売はうまくいってすでに1000ドルを貯めたという。副業として材木の商売も始めたという。そこでフランクはスカーレットに妹スエレンとの結婚を許してほしいと言い出すと,スカーレットはとっさにひどい嘘をついて,妹は来月別の男と結婚することになっていると答える。そのようなひどい嘘をつくどころか,フランクを唆してしまい,ついにはフランクと結婚してしまう。もちろんタラの屋敷を守るためである。恋人を姉に奪われてしまった妹スエレンが嘆き悲しむ姿を見て,アシュレーは「責任は僕にある,強盗でもして金を工面するべきだった」と言ったあとで,ニューヨークへ行って銀行で働くことを口にした。それを聞いたスカーレットは,ひどく悲しむ素振りを見せ,メラニーにも頼んで,アシュレーには製材所の仕事を手伝ってもらうことにした。これもスカーレットの策略である。彼女はもはや飢えや貧しさを知らなかった以前のスカーレットではなかった。北部の人を相手に商売をして,金を稼ぐことに必死となっている女であった。そのようなスカーレットを牢から出てきたレット・バトラーが訪れて,「少し待っていれば,俺の100万ドルが手に入ったのにな」と,またもや彼女をからかう。スカーレットは彼の警告にもかかわらず,悪名高い貧民地区を通って製材所に一人で出かける。彼が心配したとおり,スカーレットはその貧民地区を通る際,二人の男に襲われてレイプされそうになるが,たまたま近くにいたあのビッグ・サムに助けられて,難を逃れた。

その夜,スカーレットの夫フランク・ケネディはアシュレーたちとともに政治集会に出かけたふりをするが,実はスカーレットに悪戯をした者たちに仕返しをしようとしていたのである。しかし,レット・バトラーによると,それがばれてしまって北部の者が待ち伏せしているという。レット・バトラーの機転によって,アシュレーは無事戻って来るが,スカーレットの夫フランク・ケネディは頭を撃たれて殺されてしまった。スカーレットはまたもや未亡人となったのであった。

スカーレットは策略でもって妹スエレンの恋人と結婚したがために,このような不幸を呼び起こしたことを後悔しながら,喪服姿で酒を飲んでいると,そこへレット・バトラーが訪問して来て,彼は彼女に熱烈な求愛をする。このレットならではの大袈裟とも言える熱烈な求愛の場面も見どころの一つであろう。「下品なうぬぼれ屋」の強引な求婚であったが,スカーレットはついに彼の要求に応じて,3度目の結婚をした。新婚旅行は派手にニューオリンズへ出かけ,そこで華やかな新婚生活を過ごすが,ある日のこと,恐ろしい夢を見て,ただちに彼女の故郷タラへ帰った。「もう一度タラを昔の姿に戻したい」と言うスカーレットのために,レット・バトラーは多額の金を与えたうえ,アトランタにも新しい家を建ててやった。スカーレットは自由奔放な毎日を送り,レットとの間に女の子ボニーも生まれた。レットはこの初めての子を非常に可愛がった。しかし,スカーレットが相変わらずアシュレーに心を寄せていることに気づくと,レットは嫉妬を抱いて,二人の間にはしっくりといかないものがあった。おまけにスカーレットがアシュレーと二人で昔のよき日々の感慨にふけっているところを,アシュレーの妹インディア(アリシア・レット)とミード夫人(レオーナ・ロバーツ)に見られてしまって,その噂が誤解を呼んでしまう。それでもアシュレーの妻メラニーはスカーレットを信じていた。しかし,スカーレットとレットとの間にある溝はますます広がっていくばかりである。二人で深酔いをした翌日,レットは考えた末,離婚の話を持ち出すが,スカーレットは「離婚で家名を汚したくはない」と答える。それに対してレットは,「アシュレーが独身なら,自分から離婚をせがむくせに」と嫌味を言ってから,翌日から娘ボニーを連れてロンドンに出かける。しかし,ボニーはロンドンで恐い夢を見て,すぐに母スカーレットのもとに戻って来る。レットは娘を母親のもとに返してから,今度は一人で出かけようとするが,そのときスカーレットから二人目の子供を身ごもっていることを聞かされる。「あなたの子供なんて産みたくなかった」というスカーレットに対して,せせら笑いをしながら「流産を祈るさ」と言った瞬間,スカーレットは誤って階段から落ちて,本当に流産してしまった。落ち込むレットに救いの手を差し伸べたのが,メラニーのやさしい言葉であり,レットはスカーレットとの生活をやり直そうと決意する。しかし,そのとき娘ボニーがスカーレットの父ジェラルドと同じように馬に乗って,バーを越えようとしたとき,転んで命を落としてしまった。この事故でレットは数日間,落ち込んだままで,葬儀まで拒み続けている。それを説得したのが,またもやメラニーである。メラニーのことならレットは聞き入れるというので,メラニーが呼び出されたのであるが,そのメラニーは折りからの衰弱の身でありながら,二人目の子供を身ごもっていたことも重なって,とうとう倒れてしまった。

もはや助かる見込みはないメラニーのもとにスカーレットは呼ばれて,彼女から息子と夫アシュレーの世話をしてくれるよう頼まれたあと,「レット・バトラーさんには優しくしてあげて・・・彼はあなたを愛しているわ」と口にする。「わかったわ,メラニー」と別れを告げて,部屋から出て来ると,アシュレーがいて,「メラニーなしでは自分は生きていけない。彼女とともにすべてが去ってしまう」という彼の言葉を聞いて,スカーレットはアシュレーが本当に心の底からメラニーを愛していたことを悟る。その瞬間,メラニーが息を引き取った。

一足先に家に戻っていたレットを追うように,自分の屋敷に戻ってくると,レットは窓際の椅子にすわりこんでいた。メラニーのことを聞き知ると,「あれほど完璧なまでに優しい人はいなかった。彼女は本当にすばらしい女性だった」と,ほめ称えながら彼女に哀悼の言葉を送る。しかし,彼はスカーレットに向かっては冷淡に「死んでくれて好都合だな」と言う。またメラニーがスカーレットにアシュレーの世話をしてくれるように頼んだことを知ると,「先妻のお許しももらったか・・・念願がかなって,アシュレーと一緒に暮らせるな」と言いながら,レットはこの家から出て行こうとする。「そうじゃないのよ。別れるなんていやよ。私が愛しているのは,あなたよ。今初めて分かったのよ」と言うものの,もはや遅すぎた。「娘のボニーがいたら,やり直せたかもしれない。あの娘はお前に似ていた。戦争前のお前だと思って,俺はあの娘を甘やかした。それが楽しみだった。しかし,すべては終わってしまったのだ」と言ってから,レットは泣きすがるスカーレットをふりほどいて,家を去って行く。あとに残されたスカーレットは,「どうしたらあの人は戻ってくれるのか,考えつかないわ。頭が変になりそうだわ。でも明日になって考えるわ」と一人口にする。「でも早く考えないといけない・・・どうしたらいいのかしら」と嘆いているとき,父ジェラルドの「この世で最も頼りになる唯一のものは土地だ」という声と,アシュレーの「君には僕より愛しているものがある。タラの土地だ」という声が聞こえてくる。するとスカーレットは顔を起こして,「タラだ! 彼を連れ戻す方法は,故郷タラに帰ってから考えるわ。明日に望みを託すことにしよう!」と,新たな希望をつかむ。そして映画の最終場面で,タラに戻ったスカーレットは例の大木のそばに立ち,どんな苦難にも負けずに生きていこうと決意するのである。その大木にはかすかに葉が芽生えている。希望がまだ残っていることがそれでもってほのめかされている。「タラのテーマ」音楽とともに感動の最終場面である。


4.この映画の限りない魅力

以上,4時間近くにも及ぶあらすじを前編と後編にわけて辿ってきたが,世界映画史上「不滅の名画」と評してもよいことは,もはや言うまでもなかろう。

この映画のまず第一の魅力は,1861年に勃発したアメリカの南北戦争を背景にして,主人公スカーレットがその波乱に満ちた半生を力強く生き抜いているさまが鮮やかに描かれている点である。戦争前の「古きよき南部」のタラでは,スカーレットは大農園の中で快活で勝手気ままに振る舞うわがまま娘として生き生きと描かれているが,「古きよき南部」が崩壊してしまうと,そのタラの土地を守るために,情け容赦なく人を騙してまでも力強く生き抜いていく女性として描かれている。ただ「明日のことは明日になってから考える」という気丈で楽天的な気質は全編を通じて一貫しているようである。

この強烈な個性の主人公スカーレットをさらに際立たせているのが,相手役のレット・バトラーである。この大胆不敵で型破りな男レット・バトラーが存在してこそ,主人公スカーレットの個性があるところに第二の魅力がある。この二人の主人公が最初は反発しながらも,どこかで似たところがあって互いに引きつけられて,不幸のどん底の中でついに結ばれるものの,しかし,最後には結局離れてしまう。映画『風と共に去りぬ』はこの強烈な個性の持ち主の二人が繰り広げる壮大なラブ・ロマンスである。全編を通じて二人の間に交わされる,常に反抗的な皮肉に満ちた対話が,このうえなくおもしろく,魅力的である。二人の強烈な個性がぶつかり合う何度かのラブ・シーンがとても印象的で,この映画の見どころでもある。

この二人の愛と対照的なのが,アシュレーとメラニーの間の愛である。アシュレーは南部の貴族的な紳士として登場し,戦後の混乱期には理想を追い求めるだけでは生き残ることのできないタイプの男性として描かれている。しかし,このような彼を支えるのが,その妻メラニーである。メラニーは,スカーレットとは正反対に,つつましやかで,やさしく,誰に対しても親切に尽くす,理想の女性として描かれている。彼女の性格を如実に示しているのが,映画の最終場面であろう。自分の身は病弱でありながらも,愛娘の不慮の事故で嘆き悲しむレット・バトラーを慰めることに努め,それがもとで自らは倒れてしまう。息を引き取る寸前のベットでも,彼女はスカーレットに「レット・バトラーさんに優しくしてあげて・・・彼はあなたを愛しているわ」と言い,他人のことばかり気にかけている。このメラニーの言葉でスカーレットはレット・バトラーに対する自分の本当の気持ちに気づくのである。メラニーは,その他の場面でも随所に読み取られるように,まさに他人のために生き抜いた女性であったと評してもよいであろう。これまで皮肉な言葉ばかりを口にしてきたレット・バトラーがメラニーをほめ称えて,「完璧なまでに優しい女性だった。すばらしい女性だった」と言う言葉は,本心から出たものと考えてよいであろう。メラニーがこの映画の隠れた主人公と言ってもよいであろう。このようにそれぞれ異なる上記4人の個性が生き生きと描かれて,「古きよき南部」の物語が展開されているところに第三の魅力がある。

この映画の第四の魅力は,その「古きよき南部」の伝統的な風景とともに,南北戦争の凄まじさがダイナミックに展開されていることであろう。特に主人公スカーレットがレット・バトラーらとともに崩壊するアトランタの町を脱出する場面は,文句なしにこの映画の最大の見どころである。映画の解説資料によると,アトランタ炎上の場面は映画『キング・コング』で使われた巨大な門のセットに大量の油を振りかけて,燃え上がらせて,7台のカメラで撮影されたという。1930年代にあって,アメリカ映画の凄さを証明する場面である。

最後に第五の魅力は,なんと言ってもあのマックス・スタイナーの華麗な「タラのテーマ」音楽である。映画の要所要所でこのテーマソングが効果的に使われて,観客に大きな感動を与えている。映画における音楽の果たす役割が,この映画ほど重要であることを示すものはあるまい。是非,皆さんもこの限りない魅力にあふれた不朽の名画『風と共に去りぬ』をこの機会にご鑑賞ください。