【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第76号
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○「知的感動ライブラリー」(49)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

内田吐夢監督『宮本武蔵』第五部「巌流島の決斗」(1965年)

この作品は昭和40(1965)年9月に公開されたもので,内田吐夢監督が昭和36(1961)年から精魂込めて毎年1作ずつ撮っていった代表的な映画『宮本武蔵』五部作のうち,完結編にあたる第五作目「巌流島の決斗」である。これまでのあらすじについては,この映画の冒頭でも9分間にわたって解説されているが,本「知的感動ライブラリー」においても(45)~(48)までの解説を参照していただければ幸いである。

一乗寺下り松で大勢の吉岡一門と戦い,勝利を収めた武蔵(中村錦之助)であったが,相手の名目人であった13歳の壬生(みぶ)源次郎少年の命を奪い取ったことで,武蔵は虚しさを感ぜずにはいられずに,叡山の無動寺で観音様を彫り続けている。13歳の少年を名目人に立てた吉岡一門側にこそ非があるのではないかと考えて,「われ事において後悔せず」と口にしているものの,武蔵の心の奥底ではやはり後悔の念があったのではあるまいか。叡山の僧たちから追放されるかたちで,武蔵はそのことを始終心の中で気にしながらも旅に出かける。

沢庵和尚(三国連太郎)は,叡山を追われた武蔵がそのうち瀬田の唐橋を通るに違いないと確信して,お通さん(入江若葉)に唐橋で待っているようにと伝えてから,自らはまた旅に出る。沢庵和尚の予期したとおり,武蔵は瀬田の唐橋に姿を現して,お通さんと再会する。修行の旅に一緒に連れて行ってほしいと懇願するお通さんに向かって,武蔵は「自分の手は血で汚れているので,一緒について来ても幸せにはなれまい」と言って,自分をあきらめてくれと言い放つ。それに対してお通さんはそのように悩んでいるその厳しさに惹かれてしまうことを強調して,「どこまでもお慕い申し上げます」と明言する。お通さんのひたむきな心に,武蔵もたまらなくなってついお通さんを抱きしめてしまう。しばらく二人は抱き合ったままであるが,突然武蔵は我に返って,お通さんから身を引き離して,滝の下に自らの身体を投げ入れて,滝の水に打たれてしまう。武蔵の苦悩とお通さんの苦悩が観客を複雑な気持にさせてしまう場面である。結局,武蔵はお通さんのもとを離れて,一人厳しく修行の旅を続けなければならないのである。

こうして一人でまた修行の旅を続ける武蔵は,下総の法典ヶ原にやって来て,そこで一人の少年(金子吉延)と知り合う。少年は三澤伊織といって,もと侍であった父とここで百姓をしていたが,数日前に父を亡くしたばかりであった。少年が父の亡骸を母の墓のとなりに埋葬するのを手伝ったあと,武蔵は一旦その少年の家を立ち去るが,道端に稲の穂が落ちているのを見つけて,戻って来た。武蔵はその少年と一緒に百姓をしようと思い立ったのである。さっそく武蔵は少年と二人で荒れた土地を開墾して,田畑を広げていった。村人たちは荒れ地を耕す二人を馬鹿にするが,二人は仕事に精を出して,秋には米2俵の収穫をあげた。

ところが,その米2俵を村の米蔵に収納した日の夜,大勢の野武士たちがそれを狙って襲撃してきた。それを知った武蔵は,そこに駆けつけて百姓たちとともに野武士たちを成敗する。黒澤明監督の名作『七人の侍』を彷彿とさせる場面で,この映画の見どころであることは言うまでもない。

この野武士たちを相手に勇敢に戦った武蔵の噂を聞き知ったのが,豊前小倉の細川家の家老長岡佐渡(片岡千恵蔵)である。長岡佐渡はその夜,近くの寺に滞在していて,武蔵という人間に大いに興味を持って,翌朝,武蔵を訪れるが,武蔵は村人たちに「鍬(くわ)も剣なり,剣も鍬なり」という言葉を残して,伊織少年と一緒に旅立ったあとであった。佐渡は訪ねるのが遅かったのを後悔した。

伊織と一緒に江戸にやって来た武蔵が,最初に立ち寄ったのは,刀研師(かたなとぎし)厨子野耕介(ずしのこうすけ,中村是好)の店であった。「よく切れるように研いでほしい」という武蔵の要求に対して,厨子野耕介は店の看板に書いてあるとおり「御魂研所」(おんたましいみがきどころ)なので,最初は「研げない」と断るが,厨子野耕介がその教えを受けたのは京都の本阿弥光悦であり,武蔵もまた光悦に世話になったことがあると分かると,武蔵の要求はすぐに受け入れられた。その折り武蔵は物干し竿にも匹敵する長剣を目に留め,それが佐々木小次郎のものであることを悟った。このときすでに武蔵と小次郎との決斗は宿命的なものとなっていたと言ってもよいであろう。

その頃,佐々木小次郎(高倉健)は細川家の家老岩間角兵衛(いわまかくべえ,内田朝雄)の家に滞在していて,その姪お光(みつ,三島ゆり子)と親密な関係になっていた。岩間角兵衛は小倉藩主細川忠利(里見浩太郎)に剣術の指南役に推挙したい人物としてこの佐々木小次郎を挙げていたのである。その小次郎は自分の剣が研げている頃だと思って,厨子野耕介の店に出かけるが,まだ研げていなかったので,「もはや待てない」と怒りながら,自分の剣を掴もうとした瞬間,武蔵の剣がそこにあるのを見つけた。二人の対決はもはや宿命的で,避けられないものである。耕介の店を出たところで,小次郎は又八の母お杉婆(浪花千栄子)と偶然出会い,武蔵が江戸に来ていることを知らせるとともに,いずれこの耕介の店に姿を見せるであろうことも伝えた。

その頃,武蔵は伊織とともに安宿に滞在していたが,ちょっとした騒ぎから秩父の熊五郎(尾形伸之介)らと知り合いになっていた。一方,お杉婆は半瓦弥次兵衛(はんがわらのやじべえ,中村時之助)らの手助けを得て,武蔵の居場所を探し回っていた。佐々木小次郎の情報によると,いずれ武蔵は厨子野耕介の店に来るということだったので,そこを見張っていると,確かに武蔵は自分の剣を受け取りに来たものの,またもや武蔵にすばやく逃げられてしまった。そこでお杉婆が半瓦弥次兵衛らに頼んで,武蔵を探しているうちに,秩父の熊五郎らと揉み合う騒ぎとなった。その騒動の最中,安宿にいる武蔵のもとに厨子野耕介夫婦の案内で将軍家御指南役の北条安房守(ほうじょうあわのかみ,中村錦司)からの使者が迎えに来た。

武蔵は新しい着物に着替えて,さっそく北条安房守の屋敷を訪れる。そこで武蔵は沢庵和尚のほかに柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ,田村高廣)と出会う。そこでの話によると,このたび武蔵を将軍家の御指南役に推挙したいということであった。ただちに江戸城内で武蔵の仕官について評定(ひょうじょう)が行われるが,一乗寺下り松での決斗で年端もゆかぬ少年を切り捨てたことで,将軍家御指南役の推挙としては熟慮が必要なのではないかということで,結果としては縁のなかったこととなってしまった。武蔵はたしなむ芸術に自分の今の気持ちを無言のうちに表現するため,屏風に絵を描いてから,江戸城を後にした。武蔵の描いた絵を見て,柳生但馬守は「虎を野に逸した」と,残念がるのであった。

栄達の門も阻まれた武蔵は,伊織を連れ立って,一乗寺下り松を訪れる。下り松のところで目にしたのは,親子地蔵であり,そのそばに建てられた小屋では一人の男が地蔵を彫っていた。武蔵がその小屋を覗き込んでみると,その男はあの林彦次郎(河原崎長一郎)であった。吉岡道場を破門になったものの,一乗寺下り松での決斗では武蔵と戦い,目を切られてしまったあの男である。武蔵は逃げるようにして,その場を立ち去った。武蔵がそのあと伊織とともにしばらく滞在するようになったのは,京都のあの本阿弥光悦の屋敷であった。そこで武蔵は伊織とともに茶器を作ったり,庭仕事をしたりして,これまでとはまったく異なって,のんびりとした平凡な日常生活を送っていたのである。

一方,佐々木小次郎はと言えば,小倉藩主細川忠利公の前で槍の使い手と立ち合い,手柄を立てたことで,今や細川家の御指南役に取り立てられて,藩主細川忠利や岩間角兵衛,長岡佐渡たちとともに小倉に向かっている。瀬田の唐橋に近づいたところで,藩主細川忠利が岩間角兵衛に対して京都の本阿弥光悦のもとに出かけて行って,頼んでいた茶器をもらって来るようにと命じた。そこで岩間角兵衛は庭仕事に励んでいる武蔵の姿を見つけた。それを角兵衛は小次郎に伝えたところ,小次郎は武蔵を軽蔑して,「はや武蔵は剣をとることを忘れたか」と嘲笑う。これを聞いた長岡佐渡が,「武蔵の剣は精神(こころ)の剣だ」と評したことから,小次郎は「力と技の剣である自分の剣の方が上だ」と言いながら,武蔵と決斗することでそれをはっきりさせようと言い出した。その果し状はただちに武蔵のもとに届けられた。平穏な日常生活を送っていた武蔵ではあったが,果し状を受け取ったからにはもはや引き下がることはできない。武門に生きる人間の宿命であり,現代の私たちから見れば,ここに武蔵の限界があると言わねばならないであろう。ただ武蔵は伊織を長岡佐渡のもとに預けることを申し出ると,それが了承された。

武蔵と小次郎とがいよいよ立ち合うことになった噂を聞きつけた沢庵和尚は,本阿弥光悦の屋敷に武蔵を訪れて,自分が伊織を姫路城の近くまで見送ってやることを買って出た。伊織はさっそく沢庵和尚と一緒に西に向かうが,姫路城が見えるところまで来ると,二人は別れを告げる。そのとき沢庵和尚は伊織の腰にぶら下げていた巾着(きんちゃく)に目を留めて,それがお通さんの笛の袋と同じ布地であることを悟った。沢庵和尚はさっそくお通さんに「小倉へ行けば,二人の人に会えるであろう」と手紙を書いた。手紙を受け取ったお通は,一人は武蔵のことだと分かったが,はてもう一人とは一体誰なのか,もちろん今のお通さんには分かるはずもなかった。

物語の舞台はすべて豊前小倉とその向かい側の下関である。豊前小倉の細川家で伊織は今や長岡佐渡に仕えている。佐々木小次郎は細川藩の侍たちに剣術の指南をしている。そのうち武蔵と小次郎の決斗の場所は,小倉と下関の間に浮かぶ船島で,日時は4月13日の寅の下刻と決まった。

武蔵は決斗の場所と時刻を承知したことを伝えるために長岡佐渡のもとに出かけた折り,伊織と出会い,伊織から巾着を見せてもらうと,伊織がお通の弟だと悟った。武蔵はお通さんこそ,お前が探している姉だと告げて,その場を後にした。

岩間角兵衛は大勢の家来を集めて,船島に送る準備に余念がない。それを見た小次郎は,おもしろくない。そこへお杉婆(浪花千栄子)が訪ねて来るが,お杉婆は小次郎から玄関払いをくってしまった。小次郎の仕打ちに腹を立てながら歩いていると,お杉婆はお通の姿を見つけ,あとをつけているうちに,お通が赤子を抱えている朱実(丘さとみ)と出会い,そのあと又八(木村功)が赤子のために水を汲んで来たところに出くわした。その赤子は又八の子であることを知ると,お杉婆はまるで子供のように泣きじゃくる。悔しいような気持ちとともに,一方ではうれしい気持ちも混ざっていたのであろう。そのことは決斗の場に向かう武蔵を皆で見送る場面で理解できる。

決斗の前夜,武蔵は下関側で泊めてもらった廻船問屋の主人小林太郎左衛門(清水元)と,明日舟の櫓を漕いでもらう佐助(嶋田景一郎)のために絵を描いている。一方,小次郎の方は岩間角兵衛が家来たちに武器を持たせたりして,不要な世話をしていることにひどい苛立ちを感じている。小次郎が武蔵と著しいコントラストを成すように描かれていることは確かである。船島に向かう小次郎をお光が見送る場面も,その次に展開される武蔵とお通さんの別れの場面と明らかにコントラストを成している。

武蔵が船島に向けて出発しようとするとき,その舟のある場所にお通さんが姿を現す。武蔵はお通さんに向かって「恨んでいるであろうな。許してくれ」と言うが,お通さんは「一乗寺の決斗では自分の手を血で汚したなどと悩んでいながら,なぜまた果し合いをするのですか」と尋ねる。それに対して「剣は無情だ」と答えれば,お通さんは「無情なのはあなたの剣です」と言いながら,泣きすがる。「無情(つれな)い者が,必ずしも無情い者ではないぞ」と言いながら,武蔵は泣かないで笑って送り出してくれるよう頼むと,お通さんは泣きながら「私は泣いて動きませぬ。それが女子(おなご)の心というものです」と答える。吉川英治原作とは多少異なる台詞ではあるが,この場面は次の巌流島での決斗とともに,この映画の最大の見どころであろう。このあと又八と朱実夫婦が見守る中で,これまで武蔵につらくあたってきたお杉婆が「武蔵(たけぞう),負けるでないぞう,負けるでないぞう」と叫ぶ場面は,ついホロリとなってしまう。このお杉婆の台詞も決して見逃してはなるまい。

船島では,すでに約束の刻限も過ぎて,小次郎が待ち受けている。やがて武蔵が姿を現し,小次郎が手に提げていた長剣を抜いて,鞘を後ろに投げ捨てると,武蔵が「小次郎負けたり! 勝つ者ならどうして鞘を投げ捨てるか」と,心理作戦を使う場面は,有名な場面である。勝負は一瞬であった。前夜の段階から勝利はすでに武蔵の側にあったと言ってもよいであろう。しかし,武蔵はまたもや勝利を勝ち得たとはいえ,この上ない虚しさに襲われてしまう。船島から遠ざかる舟の中で武蔵は,これまでの数々の決斗を振り返りながら,今回武器として舟の櫂から作った木剣を海の中に投げ捨てながら,「所詮,剣は武器か」と吐き捨てるように,叫んだ。精神的には理想の境地に達していながら,武門の道に生きる限り,虚しさを感じる現実にぶつかってしまう。剣はやはり武器でしかないのか。しかし,こういう武蔵の苦悩の中にこそ,この映画の魅力があるのであり,人間誰しも修行には限りがないということがそこにほのめかされているのであろう。人間の完成というものはありえない。それは完全な姿の神にも近い存在である。しかし,人間はその完成に向けて努力する過程で,内面的に成長するものであり,その努力するということにこそ,人間として生きていることの意味があるのではあるまいか。私は『宮本武蔵』の原作と映画を観るたびにそのようなことを感ぜずにはいられない。『宮本武蔵』は,より高いものを求めて努力する者にとっては,まことにその努力することへの大きな励みとなる大衆的な古典作品であると評してもよいであろう。

以上,今年1月から5回にわたって内田吐夢監督の『宮本武蔵』五部作を紹介してきたが,吉川英治の原作をできるだけ忠実に映画化していることが理解できよう。ただ映画では宮本武蔵がさまざまな苦難を乗り越えて,文武二天の大円明の境地,すなわち,一人の人間が自然と融合調和して,天地の宇宙とともに呼吸するという,安心と立命の境地に辿り着く過程は確かに描かれていないが,しかし,剣を通じて人生の深みに到達しようと苦悶する求道者への深化は,見事に展開されていて,映画を観る人に大きな感動を呼び起こす。内田吐夢監督の武蔵の強さは,武芸に優れていたということではなく,決斗のたびに味わう空虚さと内心で戦い,己に厳しくすることで,それらの空虚さを克服しようと,常に修行を続けようと努力することの中にあったのではないか。山本常朝の『葉隠』の中にも,「修行においては,これまで成就といふ事はなし。成就と思ふ所,そのまま道に背くなり」とある。武蔵の修行は永遠に続くのであり,より高いものを求めて修行を続けていくその苦悩の中にこそ,吉川英治原作の『宮本武蔵』の魅力があると言えよう。