【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第75号
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○「知的感動ライブラリー」(48)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

内田吐夢監督『宮本武蔵』第四部「一乗寺の決斗」(1964年)

この作品は内田吐夢監督の代表的な映画『宮本武蔵』五部作のうち,昭和39(1964)年1月に公開された四作目「一乗寺の決斗」である。これまでの物語のあらすじについては,本「知的感動ライブラリー」(45)~(47)を参照していただきたい。

蓮台寺野での吉岡清十郎との果たし合いを終えた宮本武蔵(中村錦之助)は,その後,青空と大地を茶室として,自然の眺めを庭としながら,風流に遊んでいる老母とその息子に出会う。その老母(東山千栄子)の息子は本阿弥光悦(ほんあみこうえつ,千田是也)といい,本業は刀の研ぎ師であったが,絵も描けば,陶器もやり,また蒔絵にも秀でているという,実に多芸多能な人物であった。初めて出会ったときも,武蔵は老母とともに自然と溶け合い,自然と一つになって人生を楽しんでいるこの光悦の姿に感動し,自分の未熟さを痛感せずにはいられなかった。この野原で出会った縁で,武蔵はしばらくの間光悦の家に逗留することとなり,光悦の描いた絵を眺めながら,ますますこの人間的に奥行きの深い光悦の生活に感動するのであった。前作の「二刀流開眼」で柳生石舟斎の生活ぶりから武蔵は,何かを学び取っていたが,この第四作ではさらに,一日中,部屋の中にすわって絵を眺めている姿などから,武蔵がますます内面的な成長を遂げていることを読み取ることができよう。

一方,果たし合いに負けた吉岡清十郎(江原真二郎)の道場では,その弟伝七郎(平幹二朗)が兄の仇討ちをしようと,門弟たちに武蔵の居所を探させている。それに対して兄清十郎は,弟に無駄な果たし合いは止めるようにと忠告するが,気性の激しい伝七郎はそれに耳を傾けず,自分の考えに反対する門弟たちには破門を言い渡して,道場からその者たちを追い出してしまう。そのうち兄清十郎も置き手紙を残して,家出をしてしまう。それに加担した門弟の一人林彦次郎(河原崎長一郎)もまた,伝七郎からこの道場を出て行くように命じられる。室町からの名門吉岡道場はこのようにして衰退の一途を辿るばかりである。武蔵が本阿弥光悦の家に滞在していることを知ると,伝七郎は武蔵との果たし合いを伝えるため,門弟たちを武蔵のもとに差し向ける。

その武蔵は光悦の家に滞在しているうち,光悦から遊郭(くるわ)に誘われる。最初は断っていた武蔵だが,光悦の老母からも勧められて,そこへ出かける気になる。光悦の知り合いである町人の灰屋紹由(はいやしょうにゅう,東野英治郎)も一緒に行くこととなっていたので,光悦がその紹由を迎えに家の中に入って行った間に,武蔵はその門前で吉岡道場の3人の門弟を通じて伝七郎からの果たし合いの申し込みを受け取る。果たし合いの場所は蓮華王院の裏地,俗に三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)と呼ばれている所で,時刻は今夜戌の下刻(9時)と決まった。

やがて光悦とともに灰屋紹由が出て来ると,3人は駕籠に乗って遊郭に向かった。光悦と紹由が遊女たちに囲まれて陽気に杯を重ねているうちにも武蔵は,ただかしこまっているばかりである。そのうち光悦が吉野太夫(岩崎加根子)のいる座敷に彼女を迎えに行っている間に,武蔵はこの遊郭の裏口から抜け出して,蓮華王院の裏地に向かう。

そこではすでに吉岡伝七郎が待ち受けていた。この二人の対決がこの映画の最初の見どころであろう。ただ武蔵が三十三間堂に立ったとき,すでに勝利は武蔵側にあったことは明白である。勝負は一瞬のうちについた。伝七郎が雪の地面に倒れたときには,もはや武蔵の影はそこにはなかった。スピーディな展開だけに特別な印象の残る決斗シーンである。

こうして伝七郎との果たし合いを終えた武蔵は,もとの遊郭に戻ると,光悦や紹由らとともに吉野太夫の設けた席に特別招待され,彼女の奏でる琵琶の音に耳を傾ける。その席でも武蔵は依然と硬直したままである。夜も更けて,やがて帰宅する時刻になるが,武蔵だけはそのままその部屋にとどまることになった。遊郭の外では吉岡道場の門弟たちが武蔵の出て来るのを待ち受けていたからである。このようなことを聞くと,余計に卑怯者と言われたくないと思って帰ろうとする武蔵を,吉野太夫はうまくなだめて,武蔵を引き留める。光悦や紹由らが帰ったあとで,武蔵が吉野太夫ともに囲炉裏を囲んで,琵琶の音の話をする場面もまた,この映画の最大の見どころであろう。

吉野太夫は身体中,鉄の鎧で固めているような武蔵の態度を諫めようとして,「先程私が奏でた琵琶の音をお聴き遊ばしましたか」と話し始める。「琵琶と拙者に何の関わりがあるか」と尋ねる武蔵に向かって,吉野太夫は話を続ける。まず「琵琶のわずか4つしかない弦(いと)からどうしてさまざまな音色が自由自在に鳴り出るのか・・・そこまであなたは聴き分けましたか」不思議に思う武蔵に向かって,吉野太夫は「不思議な音色も琵琶の心を覗いてみると,何の不思議でもないことが分かります」と言いながら,琵琶の本体を鉈(なた)で切り裂いて,次のように教えを諭すのである。

「琵琶のさまざまな音の変化は,この胴の中にわたしてある横木ひとつで起きるのです。ただこの横木は頑丈にまっすぐに胴を張り締めているだけでは何の曲もございません。変化を生むために横木にはこのようにわざと抑揚の波を削りつけて,両端の力をほどよく削(そ)ぎ取って,緩(ゆる)みをつけているのです。こうした横木の緩みと締まりとがほどよく加減されて,琵琶の身体を持ち支えているのです。・・・私たち人間の生きていく心構えも,この琵琶と同じなのではないでしょうか」

武蔵はこれまで沢庵和尚から「お前の強さは獣の強さだ」と諭されたり,また奥蔵院の日観からも「もっと弱くなれ」と忠告されてきたが,この吉野太夫の言葉も同じことを意味している。それがこのたびは遊郭の女性から教え諭されたのである。この吉野太夫の戒めの言葉こそ吉川英治原作の『宮本武蔵』で最も重要なものの一つであり,内田吐夢監督も忠実にそれを自分のスクリーンの中に織り込んでいる。私が吉川英治原作の『宮本武蔵』に魅せられるのも,このようなところにその理由がある。内田吐夢監督の五部作で私が最も気に入っている好きな場面のうちの一つである。

こうして吉野太夫からまたもや大切なものを学び取った武蔵は,翌日,外で待ち受けている吉岡一門のことなど気にも留めずに,のんびりと過ごしているところへ城太郎(竹内満)が探し当てて,ここにやって来る。城太郎はその後,病気がちのお通さん(入江若葉)とともに過ごしており,お杉婆(浪花千栄子)もそばにいて一緒に暮らしている。一方,又八(木村功)は浪人の赤壁八十馬(谷啓)とその日暮らしをしているうち,佐々木小次郎にしつこく追いかけられている朱実(丘さとみ)をかくまう。また城太郎の父青木丹左衛門(花沢徳衛)は虚無僧(こむそう)姿で尺八を吹きながら,このあたりの界隈(かいわい)を歩きさまよっている。武蔵を取り巻くこれらの人物たちのその後が,三十三間堂での決斗の前後にちりばめられて描き出されている。

武蔵の話に戻って,吉野太夫の部屋で一日中のんびり過ごした武蔵は,夜になると,これ以上迷惑をかけてはいけないと思い,遊郭の外に出ようとするが,総門のところでは吉岡道場の門弟たちが待ち構えている。城太郎を柵の外に逃してから,武蔵自身は総門の前で吉岡一門の門弟たちと対峙する。今にも斬り合いになろうとしたところに現れたのが,佐々木小次郎である。小次郎の提案で対決は日時と場所を決めてから行うことになった。決斗の日時は明後日の早朝,場所は一乗寺下り松と決まった。ただ吉岡側の名目人には清十郎と伝七郎の叔父にあたる壬生源左衛門(みぶげんざえもん,山形勲)の一子源次郎(西本雄司)を立てるが,その名目人はまだ13歳の少年であるため,門弟何名かが介添えとして立会につくということも確認された。武蔵にとってはこれまでの決斗とは違って大勢を相手にした戦いであり,まさに今度こそは死を覚悟しての戦いである。決斗を知らせる高札は,立てられて,もはやそれを避けることはできない。

一乗寺の決斗の日がやってきた。決斗を目前にして,武蔵は水を浴びて,身を清め,下着も取り換えてから,宿屋を出ようとする。そのとき吉岡道場を破門になった林彦次郎が現れ,なぜこれほどまでに吉岡一門を敵(かたき)とされるのか,そのわけを知りたいと,武蔵に向かって問い詰める。「その一剣に身を託して何を求めようとしているのか,名利(みょうり)か栄達か」この言葉に武蔵は怒りを表わしながら,「剣は絶体絶命,あえて言うなら,剣は常に最高のものを望んでいる」と答えてから,その場を立ち去る。武蔵にとってその最高のものとは,一体,何なのか。武蔵がこれから出かけようとしている一乗寺での吉岡一門との決斗には,最高のものを求めているとは言いながらも,観客にはどこかしら一種の虚しさを感じさせずにはいられない。観客に何かを問いかける,印象的で重要なシーンである。

夜もまだ明けきらないうちに一乗寺下り松に向かう途中,武蔵は病の床を抜け出してまで彼を待ち受けているお通さんに出会う。この映画の見どころの一つであることは,言うまでもない。武蔵が決斗で切り死にしたら,自分も死ぬつもりだと言うお通さんに向かって,武蔵は「わしの死には剣に生きる人間の本望があるのだ」と答えるが,それに対してお通さんも「一時の悲しみに溺れて死ぬのではない」ことを強調する。武蔵はこのようなお通さんにこれまでとってきた冷たい態度を詫びながら,自分の本心を打ち明ける。「今,言う言葉は嘘ではない。わしはそなたが好きだ。一日でも思わぬ日はなかったほど好きだ。・・・しかし,恋には死に切れないが,剣の道にはいつ死んでもいい気がする。武蔵という人間はそういう人間なのだ」これに対してお通さんは,「知っています。そんなことぐらい・・・そういうあなたであるぐらいなこと・・・知らないで恋をしてはまいりません」と答える。これに続けて,お通さんが「心のうちだけでも妻としてくださるでしょうね」と言えば,この言葉にたまらなくなって武蔵はお通さんをひしと抱きしめる。しかし,武蔵はお通さんから自分の身を放して一乗寺に向かわなければならない。これほどまでに武蔵は吉岡一門を相手にして戦わなければならないのか。観客をどうしようもなく切なく,複雑な気持にさせる場面である。

夜明け前に一乗寺下り松に着いた武蔵は,決斗の地形を紙に書き込みながら,その地形を頭に刻み込む。これまでの決斗では武蔵は,いずれも遅れてその場に到着して,敵をイライラさせる作戦をとったが,今回はその逆である。しかも武蔵は下り松の背後に身を潜めた。やがて吉岡一門の侍たちが到着したが,名目人の壬生源次郎は幼い少年であり,武蔵の心は動揺する。しかし,名目人である以上,倒さなければならない。吉岡側は全部で73人。その人数を振り分けて配置してから,武蔵を待ち受ける。このたびはなんとしても武蔵を倒そうとして,吉岡側は鉄砲と弓の飛び道具まで用意している。そのさまをすべて武蔵は把握している。夜が明けようとする頃,吉岡側が本陣とする下り松の下に佐々木小次郎が姿を現して,立会人になることを申し出るが,吉岡側からきっぱりと断られて,小次郎は高台から見物することにした。その高台には吉岡道場を破門になった林彦次郎の姿もあった。

地形と吉岡側の人員の配置を頭に入れた武蔵は,今こそ敵地に攻め込むときだと思い,背後から敵の本陣をめざして突撃する。最初に鉄砲と弓を持った者に小刀を投げつけて片付けてから,下り松の本陣を攻める。恐怖のあまり父壬生源左衛門の腕の中に飛び込んだ源次郎少年を武蔵は無残にも突き刺してから,吉岡の門弟たちを相手に激しい戦いを繰り広げる。高台からそれを見物していた林彦次郎は,もはや気持ちを抑えきれなくなって,自らも戦いに加わり,田圃の中を駆け回る武蔵と戦うが,最後には目を切られてしまう。それを見た武蔵は,恐ろしくなって戦いの場から逃げ出してしまう。

凄惨な戦いを終えた武蔵は,叡山の無動寺に身を寄せて,観音様を彫り続けている。そこへ叡山の僧たちが現れて,幼い源次郎少年を無残にも倒した武蔵を責め立てて,叡山からの追放を命ずる。武蔵は源次郎少年が名目人であった以上,仕方がなかったのだと言い訳をしても,その事実は消えない。武蔵の心の中にもそれが無残な行為であったことを認めるものがあったのに違いない。でなければ,どうして今武蔵は観音様を彫り続けているのであろうか。しかし,武蔵は「われ事において後悔せず」と自分に言い聞かせたところで,この映画はエンディングとなる。観客をなんとも複雑な気持ちにさせる最終場面である。剣の道に武蔵が求める最高のものとは,一体,何なのであろうか。これまでの決斗と同じように,このたびも武蔵は勝利を収めたとはいえ,そこにはどうしようもない虚しさを感じずにはいられない。このたびは吉野太夫から人間として大切なものを学び取りながらも,剣の道には到達点がなく,武蔵の修行はまだまだ果てしなく続いていくのである。