【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第74号
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○「知的感動ライブラリー」(47)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

内田吐夢監督『宮本武蔵』第三部「二刀流開眼」(1963年)

この作品は内田吐夢監督の映画『宮本武蔵』五部作のうち,昭和38(1963)年8月に公開された三作目「二刀流開眼」である。これまでのあらすじについては,本「知的感動ライブラリー」(45)(46)を参照していただきたい。

「般若坂の決斗」で勝利を収めたものの,複雑な気持ちにとらわれた宮本武蔵(中村錦之助)は,奥蔵院の日観との対話の中で話題となった柳生石舟斎(やぎゅうせきしゅうさい,薄田研二)に教えを乞うため,城太郎(竹内満)とともに柳生の里に向かう。その柳生の道場にはすでに武者修行のため試合を挑んでいた者があった。京の名門吉岡道場の二代目吉岡清十郎(江原真二郎)の弟伝七郎(平幹二朗)である。伝七郎は二人の仲間を連れていた。しかし,柳生石舟斎はすべての武芸者との試合を拒んでおり,吉岡伝七郎も門前で柳生家の家臣庄田喜左衛門(しょうだきざえもん,堀正夫)よりあっさりと断られてしまった。それでも伝七郎はしつこく試合を願い出るので,石舟斎は武者修行者には一切会わないことにしている旨の断りの返事とともに,芍薬(しゃくやく)の花を一枝,みやげに持たせるべく,一人の美しい女性を使いに出すことにした。その美しい女性とは,そこの家臣庄田喜左衛門と道中知り合いになって,柳生の里にしばらくの間滞在していたあのお通さん(入江若葉)であった。お通さんは伝七郎らの泊っている宿屋に赴いて,大殿石舟斎の断りの言葉を伝えるとともに,芍薬の花を差し出した。すると伝七郎はひどく侮辱されたような気がして,怒ってその芍薬の花を突き返した。お通さんがそこを退出しようとするとき,宿屋の小娘がその芍薬の花を所望したので,お通さんはそれを小娘に与えた。小娘はその芍薬の花をある武芸者の部屋に持って行って,その部屋に飾ろうとした。その武芸者とはまさに宮本武蔵その人であった。武蔵も偶然伝七郎と同じ宿屋に泊っていたのである。武蔵はその芍薬の花を手に取って,その切り口を見るや否や,戦慄を覚えた。その切り口は普通の鋏(はさみ)で切った生やさしいものではなく,それを切った人の非凡な腕の冴えが光っていたのを武蔵は見て取ったのである。これを切った者はただ者ではないと思って,武蔵はさっそく手紙を書いて,柳生の城に城太郎を送ったのである。

その手紙の内容に興味を覚えた柳生家の家臣庄田喜左衛門は,道場の客人としてではなく,酒宴の客人として武蔵を招待して,剣談を交わすことにした。数日後,武蔵はその招待を受けて,そこの由緒ある新陰堂――上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)の滞在中に特別に建てられたという別室)――に案内され,柳生の四高弟(庄田喜左衛門,木村助九郎,村田与三,出淵孫兵衛)からもてなしを受ける。その席で武蔵は,あの芍薬の花を切ったのは予想どおり石舟斎であったことを知る。武蔵はますます石舟斎に教えを乞いたい気持ちに駆られる。そのとき門で待っていた城太郎が柳生家の犬を殺したので,大きな騒ぎとなった。その犬は紀州頼宣(よりのぶ)公から貰い受けたものだったからである。柳生家の家臣たちが城太郎を取り囲んでいるところに,武蔵は駆けつけた。この騒ぎに石舟斎が姿を見せるかもしれないと,武蔵は期待した。最後には四高弟を相手に,剣を抜いて対峙することとなったが,そのときとっさに武蔵は左右の手にそれぞれ大刀と小刀を振り上げていた。二刀流の開眼である。

この二刀流の開眼については,いくつかの説がある。まず十手二刀の達人だった父無二斎(むにさい)の影響を受けたという説,分銅付きの鎖鎌を武器とする宍戸梅軒と戦ったとき,分銅と鎖鎌に対応するために二刀流を使ったという説,一乗寺下がり松で大勢の吉岡一門を相手に戦っているうち,無意識的に二刀流を使っていたという説,また祭りのときに二本の撥(ばち)で太鼓を打つ名人のあざやかな手さばきから,二刀流を開眼させたという説などである。この映画では一乗寺下がり松での大勢を相手に戦っているとき,とっさに二刀流を使ったということを利用していると考えてよいであろう。いずれにしても宮本武蔵の二刀流の開眼である。

ところが,左右の手に大刀と小刀を振り上げて,柳生家の四高弟と勝負しようとした瞬間,笛の音が武蔵の耳に聞こえてきた。しかもその笛の音は忘れもせぬ数年前の故郷の山中で聞いた,あのお通さんの笛の音だったのである。武蔵の心は急に乱れてしまって,その場から逃げ出してしまった。草むらに身を潜めて,なぜお通さんがこの柳生の里にいるのか,心は乱れ揺れ動く中で,武蔵はそのまま夜を明かした。

相手は柳生の四高弟などではなく,あくまでも石舟斎ただ一人である。夜が明けて,武蔵は石舟斎が住んでいると思われる住居の門前に佇んで,その門に書き記された聯詩(れんし)を目にした。その聯詩は,石舟斎が門を閉じて拒んでいるのは,武者修行の者たちばかりではなく,世の役人たちにも訪問を拒んでいるという内容であった。そのようにして石舟斎が一人の隠居として世間を避けて,自然のふところに遊ぼうとしている姿を思うと,武蔵は高い梢に冴えている月の姿を連想するのであった。この門を通ることのできるのは,花鳥風月だけだと悟り,武蔵はそこを立ち去ろうとした。その瞬間,お通さんが武蔵の姿を見つけた。お通さんと城太郎が呼びかけて引きとめようとする中を,武蔵は一目散に駆け去って行った。こうして武蔵はまた一人剣の修行の旅を続けるのであった。

ここで話は又八(木村功)のその後に移っていく。又八はお甲の家を出てから,今は伏見城で石曳きの仕事をしている。そのとき伏見城の役人に追われている一人の武士から包みを預かった。その武士は傷を負っていて,その場で息を引き取った。又八はそこから逃げ去って,包みを開けてみると,そこからお金のほかに,一つの巻物が出てきた。その巻物は剣術の皆伝であり,それが与えられた武士の名前は佐々木小次郎と記載してあった。又八はお金も手に入ったことだし,このまま佐々木小次郎と名乗って生きることにして,伏見城を後にした。

ここで話はその本物の佐々木小次郎(高倉健)の話に変わる。小次郎は四国から大坂に向かう船の中にいる。その船の中で吉岡清十郎の高弟祇園藤次(ぎおんとうじ,南廣)と出会う。藤次は四国を回って,吉岡道場のために多額の寄付金を集めての帰りであった。ふとしたことから藤次は小次郎と口論となって,小次郎は長刀の早業で,海鳥の代わりに,藤次の髷(まげ)を切り落とした。

一方,大坂の宿では,吉岡一門の侍たちとお甲・朱実が藤次の乗っている船を待っている。お甲は船を迎えに渡船場に急ぐが,そのまま多額の金を持っている祇園藤次と逐電してしまう。その間,吉岡清十郎は宿屋で朱実と二人きりになり,無理やり朱実の操を奪い取ってしまった。朱実は絶望的になり,そこを逃げ出して,海に身を沈めて,自殺しようとした。その浜辺にいたのが,又八の母お杉婆(浪花千栄子)と権叔父(阿部九州男)であった。権叔父は沖に向かって行く女性を助けようとして,海の中に入るが,自らが溺れ死んでしまう。朱実は辛うじてあとで息を吹き返した。朱実をひどい目にあわせた清十郎は,そのとき武蔵からの挑戦状を受け取った。対決の日が近づいていたのである。そのような折り清十郎は佐々木小次郎と知り合いになり,小次郎は吉岡の家に客人として逗留することとなった。

話は今度はお通の方に移り,お通さんは城太郎とともに柳生の家から武蔵のあとを追って旅に出た。そのあと話はまた又八に戻り,又八は酒場で知り合った赤壁八十馬(あかかべやさま,谷啓)と夜道を歩いているうち,気が狂ったようにふらふらと歩く朱実と出会う。しかし,そのあとからついて来た佐々木小次郎に向かって,又八は「佐々木小次郎」と名乗ったので,本人を前にして嘘がばれてしまった。

朱実は小次郎に連れられて,吉岡一門のもとに戻った。そこの吉岡清十郎は武蔵との決斗の場所を蓮台寺野と定め,日時も正月九日卯の下刻と決めて,五条大橋にそれらを記載した高札を立てさせた。しかし,清十郎は一人道場に腰を下ろして,吉岡道場主としての自分を省みて,その伝統の重さに悩み苦しむのであった。清十郎のこのような有様を目(ま)のあたりにして,家臣の林彦次郎(河原崎長一郎)は清十郎の弟伝七郎を連れ戻すため,旅に出たのであった。

年が明けて,元日の朝,以前から予定していたように,武蔵は京の五条大橋あたりに姿を現した。川の水で身を清めていると,お杉婆に見つけられて,しつこくつきまとわれているうちに,吹き針を吹きかけられた。武蔵はお杉婆に悪いとは思いながらも,彼女をしばらくの間,気絶させておいてから,五条大橋の上に立った。そこに立てられた高札を見て,吉岡清十郎との試合の場所と日時を確認しているうちに,その場に最初に現れたのが朱実であった。朱実は以前に城太郎から武蔵が元旦に五条大橋に来ることを聞いていたからである。朱実はなんとこの日を待ち焦がれていたことであろう。しかし,又八には連絡がつかなかったので,又八がここに姿を見せないことを聞き知ると,武蔵はたいへん残念に思った。このような二人のやりとりを橋のたもとで窺っていたのが,佐々木小次郎である。やがてそこへお通さんも城太郎とともにやって来るが,お通さんは武蔵が一人の女性と話しているのを見て,尻込みしてしまう。橋の下に姿を隠そうとすると,そこでお杉婆が気絶しているのを見つけた。お杉婆が目覚めると,心やさしいお通さんはそれ以降はお杉婆と連れ立って動くことを強要される。五条大橋の上では,駕籠に乗って吉岡清十郎も姿を見せる。又八を除けば,この映画の主要な登場人物たちが勢揃いといったところである。このときの武蔵と小次郎との橋の上でのにらみ合いが,この映画の見どころであることは言うまでもない。正月九日の試合に向けて,ドラマがますます盛り上がって,感動的な場面である。

ついに決斗の日はやって来た。蓮台寺野で清十郎が待ち受けているところに,ついに武蔵は姿を現すが,勝負は一瞬のうちに決まった。清十郎は武蔵の木剣で左手をうちのめされてしまった。吉岡一門の連中が駆けつけたときには,もはや武蔵の姿は見えなかった。戸板に乗せられて道場に帰ろうとしている清十郎を見て,小次郎はそれを咎める。名門吉岡道場の主人が戸板に乗せられて帰ったとあっては,その名誉が汚されるというのである。しかも清十郎はこのままでは血が頭に上って,命が危ないと言う。「腕を切り落としてくれ」と叫ぶ清十郎に対して,一門の者は誰もそれに応じようとしなかったので,小次郎が清十郎の左手を切り落としてしまう。この場面では高倉健がこのように冷酷残虐な小次郎を見事に演じている。そこへ清十郎の弟伝七郎も駆けつけてくる。左手を失った清十郎が,意地をはって,一人で立ち上がり,戸板で運ばれるのを拒んで,自らの足で道場へ帰ろうとする姿には,あわれさを感ぜずにはいられない。この映画の見どころの一つでもあろう。

一方,すばやく決斗の場を立ち去った武蔵は,「名門の子,試合をする相手ではなかった」と口にして,後悔する。しかし,武蔵は吉岡清十郎を倒した。「だが戦いはこれで終わったのではない。これからだ!」こう叫んだところで,この映画はエンディングとなる。

以上のように,この映画の副題は「二刀流開眼」となっているにもかかわらず,その二刀流開眼の場面がうまく描かれていないきらいはあるが,しかし,武蔵は石舟斎から自然に遊ぶ心を学び,内面的に少し成長したと認めることができる。ただ相変わらずお通さんから逃げようとする態度からは,まだまだ人間的に完全に成長しているとは言えない。ゆとりの心を持ち,お通さんに会おうとするまでには,まだ時間が必要である。しかし,この映画では武蔵の最大の敵佐々木小次郎が初めて登場し,吉岡一門との最初の戦いである清十郎との戦いが取り扱われていて,これから三十三間堂での対決と一乗寺下り松での決斗へとドラマが進んでいくための準備はすべて整った。五部作の中でもクライマックスとも言える次作の映画「一乗寺の決斗」への橋渡しをしている点で,この三作目は興味深い映画である。この機会に是非この三作目を鑑賞していただけたら幸いである。