【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第73号
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○「知的感動ライブラリー」(46)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

内田吐夢監督『宮本武蔵』第二部「般若坂の決斗」(1962年,東映)

内田吐夢監督(1898~1970)は昭和36(1961)年から1年に1作ずつ,5年間にわたって吉川英治原作の『宮本武蔵』を映画化していった。この作品はその第二部にあたる「般若坂の決斗」(昭和37年)である。

作州(岡山県)吉野郷宮本村の新免武蔵(しんめん たけぞう,中村錦之助)は,慶長5(1600)年,17歳のとき,友人の本位田又八(ほんいでん またはち,木村功)とともに立身出世の大きな夢を抱いて,関ヶ原の合戦に出かけるが,西軍の敗戦により,大きな夢は見事につぶれてしまったばかりか,又八の消息を伝えに帰って行った故郷の宮本村では,乱暴な振る舞いのために沢庵和尚(たくあんおしょう,三国連太郎)に捕らえられて,七宝寺(しっぽうじ)の千年杉に吊るされる。数日間,雨ざらしにあったあと,心やさしいお通(入江若葉)に助けられて,二人で村を逃げ出すが,中山峠まで来たところで,武蔵は一旦お通と別れて,姉のお吟を助け出すために日名倉(ひなぐら)の木戸に向かう。しかし,姉はすでにどこかに連れ去られた後であった。お通の待つ姫路城下の花田橋へ向かう途中,沢庵和尚に偶然出会って,武蔵は姫路城の天守閣に幽閉されることとなる。一方,お通は花田橋のたもとの竹細工家で仕事を手伝いながら,武蔵がそこに現れるのを待っている。第二部「般若坂の決斗」はそれから3年が経過したところで始まる。

3年間,姫路城の天守閣の暗闇の中で万巻の書を読み,自らを省みることで,武蔵はこれまでの自分は野蛮なだけの強さであったことを悟って,新しい人間に生まれ変わっていった。ちょうどそのような折りに沢庵和尚が旅から姫路城に戻って来て,武蔵は光明の世界に出て行く日がやってきた。姫路城主池田輝政(佐々木孝丸)と沢庵和尚の計らいで,名前も宮本武蔵(みやもと むさし)と改め,名実ともに生まれ変わった。沢庵和尚に別れを告げて,姫路城から旅立つ際,武蔵は腰の剣を握りしめて,次のように決意する。「孤剣,そうだ,剣の天下,これに生きよう。これを魂と見て常に磨き,どこまで人間として己を高めうるか。たのむはただこの一腰刀(ひとこし)! 青春二十一,遅くはない!」感動の名場面である。この場面を観るたびに,私は青春時代の旅立ちの初心に戻る。身の引き締まる感動の名場面である。総合科学部の学部共通科目「大学と社会」(平成23年度より「キャリアプラン入門Ⅰ」)の授業では一コマだけ「読書の愉しみ」(平成23年度より「読書と人生」)のテーマで講義をしているが,毎年この映画の名場面を紹介することにしている。この映画で最も感動的な場面であり,決して見逃してはならない,見どころの名場面である。

これから武者修行の旅に出かけるにあたって,武蔵は花田橋にやって来て,お通さんのことを思い浮かべる。「お通さんは今頃どうしているだろうか?」そのとき花田橋のたもとの竹細工家で仕事を手伝っていたお通さんが,ふと目を上げて,待ち焦がれていた男性の姿を見つけて,橋の上の彼のもとに駆けつける。感動の再会の場面である。お通が「三年前からここで待っていました」というセリフには,心もときめいてしまう。しかし,武蔵はこれから修行の旅に出かけるので,お通さんに向かって「そういう苦難の道を歩く男について来ても,そなたは決して幸せではあるまいが」と言えば,お通は「そう聞けば聞くほど,あなたに引きつけられてしまいます」と,自らの想いを打ち明ける。そのあと「私は男の中の男を見つけたと思っています。私はあなたをどこまでもお慕い申し上げます」というお通さんのセリフは,初々しくて感動的である。「ようございますか。黙って行ってしまっては,私,怒りますよ」と言って,旅支度をするために竹細工屋に戻る場面は,私の最もお気に入りのシーンである。しかし,武蔵はそういうお通さんを残して,旅立ってしまう。橋の欄干に切り刻まれた「ゆるしてたもれ」の言葉が,観客になんとも言えない感情を与えてしまう。こうまでしてでも武蔵は旅立たねばならないのか? 武蔵の決意のほどがうかがえて,この映画の見どころの一つである。

それから数年間の武者修行を経たのち,武蔵が姿を見せたのは,京の名門吉岡道場である。先代の吉岡拳法は長年室町将軍の指南役を務めていたので,武蔵はこの室町以来の名門吉岡道場に挑むことで自分のそれまでの修行の成果を試そうとしたのである。しかし,現在の当主吉岡清十郎(江原真二郎)は不在で,門弟たちを相手に試合を挑むが,まったく相手にならない。武蔵は当主の清十郎を待つことにした。ところが,その清十郎は夜の京で酒を飲み歩いているばかりであった。そのときも清十郎は部下の祇園藤次(ぎおん とうじ,南廣)とともにお甲(小暮実千代)が営む茶屋「よもぎの寮」へ出かけて,そこの小娘朱実(丘さとみ)をそばに侍らせて酒を飲んでいる有様であった。そこには武蔵の友人又八もお甲の夫として暮らしていたが,夫とはもはやかたちだけで,酒に酔い潰れている毎日で,お甲からは見放されたうえに馬鹿にもされていた。又八が,剣の修行で自らを高めようと努力している武蔵とは,コントラストを成すように描かれていることは明らかである。そのような「よもぎの寮」で朱実にうつつを抜かしている清十郎のもとに使いが来て,清十郎は吉岡道場に戻るが,門弟たちは清十郎を説き伏せて,部屋で待たせている武蔵をだまし討ちにしようとする。門弟たちが武蔵の部屋を取り囲み,大勢で部屋に飛び込んだが,それを予想していた武蔵はすでに姿を消していた。吉岡道場はもはや傾きかけていることが,このエピソードからもうかがえよう。

武蔵はそのあと清水寺(きよみずてら)にお参りしているうちに,お杉婆(浪花千栄子)と再会する。お杉婆は権六爺(ごんろくじい,阿部九洲男)とともに,駕籠かきたちの手助けを受けて武蔵のあとを追いかけていたのである。武蔵はお杉婆から不当にも仇討呼ばわりされるばかりなので,そこから逃げ去った。吉岡道場のときと同じように,このときも武蔵は逃げの名人を演じるが,もちろんこのような場合はまさに「逃げるが勝ち」である。

木賃宿では城太郎という少年と知り合い,その少年(まさに姫路城に仕えていたあの青木丹左衛門の息子であった)から弟子にしてほしいと頼まれ,一旦は承諾するものの,翌朝,その少年を残して大和路をめざして旅立つ。次にめざすのは,槍で有名な奈良の宝蔵院(ほうぞういん)である。京を少し離れたところで,あとから追いかけてきたのが城太郎である。泣きつく城太郎をこのとき初めて武蔵は弟子として認める。そのとき城太郎が預かってきた又八の手紙によると,吉岡道場の者たちは必死になって武蔵の居所を探しているという。逃げているのだと思われるのが嫌に思った武蔵は,吉岡道場にはいずれ訪問する旨を伝えさせるとともに,又八には来年正月には京の五条大橋で待っていることを伝えさせるため,城太郎を使いに出して,自分は一足先に奈良に向かうこととした。

京に戻った城太郎は,使いの役目を果たしたあと,武蔵のあとを追って奈良に向かう途中,落し物をしたのがきっかけで,お通さんと,それに柳生の庄田喜左衛門(しょうだ きざえもん,堀正夫)という侍と知り合いになった。そのときもちろんお通はこの城太郎が武蔵の弟子であることを知らない。

一足先に奈良に入った武蔵は,宝蔵院を訪れるが,宝蔵院と背中合わせにある奥蔵院(おくぞういん)の庭で畑仕事をしていた老人に殺気を感じて,とっさに飛び越えて前に進んだ。一体,その老人は何者なのか? 不思議に思いながら,武蔵は宝蔵院の門を叩く。やがて武蔵はそこの道場に案内されるが,先に訪れていた武芸者たちは阿巌(あごん,山本麟一)という名の槍の名手に叩きのめされるばかりで,もはや彼に立ち向かおうとする者はいない。最後に武蔵の番となって,武蔵は阿巌と立ち合うが,勝負は一瞬のうちに決まった。相手は即死であった。宝蔵院を立ち去ろうとすると,使いの者が来て,奥蔵院の日観(月形龍之介)が挨拶を兼ねてもてなしをしたいという。その日観という老人こそ,さきほど畑で鍬を持って仕事をしていた老人であった。その老人から武蔵は「強過ぎる。もっと弱くならなければならない」と言われた。さきほど日観の鍬に殺気を感じて,とっさに飛び越えたのも,「自分の影法師に驚いたに過ぎない」と説き伏せられた。武蔵はこの老人と対面して,「勝つには勝ったが,負けたようなこの気持ちは,どうしたことだ」と戸惑いながら,そこを後にして行く。

その夜から,武蔵はちょっとしたことがきっかけである能楽師の後家(村田知栄子)の住まいに滞在することになった。この頃,この奈良には素姓の知れない浪人が多くなって,夜などには後家見舞いなどと称して,男のいない家を狙って乱暴を働くので,その後家は用心棒代わりに武蔵に滞在を依頼したのである。その家の2階に落ち着くや否や,3人の浪人が訪ねて来て,賭け勝負で金儲けをしないかとの話を持ち込んできた。この3人は宝蔵院での武蔵の腕前を見て,それを利用して金儲けしようと考えたのである。武蔵は,当然のこと,それを断った。3人を追い返したところで,ちょうど城太郎がその家を探し当てて到着した。武蔵は京の吉川清十郎からの返書を読んだ。そこにはいずれ決着をつけたい旨のことが書かれていた。武蔵はもちろんそれに応じる覚悟である。

そうしてこの後家の住まいに滞在していたが,出発する日がやってきた。出発しようとしたとき,そこの後家の妹がやって来て,宝蔵院の僧たちと浪人どもが般若坂に大勢集まって,武蔵を待ち伏せにしているという。なんでも武蔵が落首(らくしゅ)を至る所に貼って,宝蔵院の悪口を言いふらしているとのことだが,もちろん先の3人の浪人たちの仕業である。いずれにしても後家は武蔵に出発を控えるように言うが,武蔵は引き下がるわけにはいかない。宝蔵院を訪ねた際,不在だった胤舜(いんしゅん,黒川弥太郎)がその中にいることを知ったからには,余計に引き下がることはできない。武蔵は城太郎と二人で旅立って行った。

このあと般若野で展開される決斗がこの映画の最大の見どころであることは,言うまでもない。このときばかりは武蔵も覚悟を決めて,宝蔵院の僧たちや浪人どもが大勢待ち伏せている般若坂に突進して行く。やがて僧たちや浪人どもが姿を現して,決斗は始まった。最初,武蔵は浪人ども相手に激しい戦いを展開していくが,宝蔵院の僧たちはただ傍観しているのみで,一向に動こうとする気配はなかった。そのうち宝蔵院の僧たちは浪人たちに切り掛っていった。たちまち浪人たちは全滅してしまった。戦いが終わっても,わけが分からずに,そこに立ち尽くしている武蔵のもとに,あの日観がやって来て,「奈良の大掃除をしたまでのことだ」という。最近,奈良には浪人が多くなって,奉行所も困っていたが,ちょうどこのよい機会に浪人どもを成敗したのだという。ここでも武蔵は再度日観から「強いばかりが兵法だと思ったら,大間違い。柳生石舟斉(やぎゅう せきしゅうさい)や上泉伊勢守(かみいずみ いせのかみ)など,先輩たちの道を辿ってみるがいい」と言い渡される。しかし,日観が城太郎に石ころを拾い集めさせて,そこに「南無妙法蓮華経」と墨で書いてから,その石ころを倒れた浪人どもの遺体の上に置かせて回るのを見ると,武蔵は複雑な気持ちになる。「殺しておいてなんの供養! 破れてなんの兵法! 剣は念仏ではない! 剣は生命(いのち)だ! 生命だ!」と迷いの混ざった言葉を叫びあげたところで,この映画はエンディングとなる。武蔵のめざすところはまだまだずっと先にあり,武蔵の修行はこれからなおも果てしなく続くことを暗示する印象的な最終場面である。日頃,常に努力を続けている限り,感動せずにはいられない映画である。是非,この機会に鑑賞してみてください。特に武蔵と日観との対話の中からは,人間にとって大切なものが読み取れるような気がする。吉川英治原作の魅力を十二分にスクリーンの上に映し出している名画と言えよう。