【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第72号
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○「知的感動ライブラリー」(45)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

内田吐夢監督『宮本武蔵』第一部(1961年,東映)

1.『宮本武蔵』の映画化

今回から5回にわたって内田吐夢監督の映画『宮本武蔵』五部作を紹介していくことにしよう。この映画の原作は昭和10(1935)年8月23日から昭和14(1939)年7月11日まで朝日新聞に連載された吉川英治の『宮本武蔵』である。この小説が朝日新聞に連載され始めてから1年も経たないうち,昭和11年5月には早やこの小説の最初の映画化(瀧澤英輔監督,嵐寛壽郎主演)がなされ,昭和12年にも2度映画化されている。小説が完結したのちも,昭和15年から今日に至るまで,実にさまざまな監督によって映画化されるとともに,テレビが普及するとテレビドラマ化も何度かなされている。このように数多く映画化・テレビドラマ化されてきた吉川英治原作の『宮本武蔵』の中でも特に傑作と言うべきは,やはり内田吐夢監督の映画『宮本武蔵』五部作であろう。

内田吐夢監督(1898~1970)は昭和36(1961)年から1年に1作ずつ,5年間にわたって吉川英治の原作を映画化していった。『宮本武蔵』第一部は昭和36(1961)年5月公開,第二部『宮本武蔵 般若坂の決斗』は昭和37(1962)年11月公開,第三部『宮本武蔵 二刀流開眼』は昭和38(1963)年8月公開,第四部『宮本武蔵 一乗寺の決斗』は昭和39(1964)年1月公開,そして第五部『宮本武蔵 巌流島の決斗』は昭和40(1965)年9月に公開された。宮本武蔵を演じるのは,歌舞伎界から映画俳優の道に進んだ新進気鋭の中村錦之助(のちの萬屋錦之介)であり,1作ごとに中村錦之助が主人公の宮本武蔵と同様に成長していくさまをうかがい知ることができて,その点でもまことに興味深い映画である。これは私が小学校と中学校に通っている頃の映画であり,私も何度か観たことがある。中学校のとき,理科の先生が授業中に吉川英治の『宮本武蔵』がおもしろくてたまらないと話しておられたので,私も大学生になったときその原作を通して読んだ。おもしろいどころか,いかに生きるべきかについていろいろと教えられ,また勇気づけられるところも多かったので,夢中になって繰り返し読んだ。私の内面的な成長にはなくてはならない小説であると言ってもよいであろう。大学院時代にも研究で行き詰ったときなどには手にして読んで,大いに励まされた。是非,中村錦之助の五部作映画も通して観たいと思ったが,その映画を観る機会はなかった。この映画の五部作を通して観る機会に恵まれたのは,昭和53年4月に徳島大学に着任したときであった。初めて徳島大学の教壇に立ってまもない頃,当時福島町にあった映画館でこの内田吐夢監督の映画五部作を一挙に上映していたので,2日間通った。まさに感動の2日間であった。これから徳島大学で長い教員生活を送るにあたって,確かな信念をも与えてくれた映画である。そういう意味でも私にとって忘れられ得ない映画である。この五部作の名画をこれから5回にわたって紹介することにしたい。まず今回は第一部についてあらすじとその見どころを紹介しておこう。

2.内田吐夢監督『宮本武蔵』第一部のあらすじと見どころ

作州(岡山県)は吉野郷宮本村で生まれたこの映画の主人公新免武蔵(しんめん たけぞう,中村錦之助)は,慶長5(1600)年,17歳のとき,立身出世の大きな夢を抱いて,幼馴染の友人本位田又八(ほんいでん またはち,木村功)とともに西軍の足軽(雑兵)として関ヶ原の合戦に出かけていく。しかし,この天下分け目の合戦で二人の夢は見事につぶれてしまい,豊臣残党として追われる身となった。特に又八はひどい傷を受けている。落人となって二人が命からがら逃げ延びて身を隠したのは,もぐさ屋のお甲(小暮実千代)と朱実(丘さとみ)母娘の家であった。そこで隠れて暮らしているうちに,又八の傷も癒えていくが,又八は故郷にお通(入江若葉)という許嫁がいるにもかかわらず,次第にお甲の色じかけにあって,その愛欲に溺れていってしまう。お甲は野武士の後家で,朱実と二人でもぐさ屋だけでは生活できずに,戦場で倒れた武士から鎧兜や剣をもぎ取って,それらを売って生計を立てていたが,ある日のこと,野武士の辻風典馬(つじかぜ てんま,加賀邦男)がそれらを狙って,数人の仲間を引き連れてお甲の家を襲った。武蔵がそれに立ち向かい,持ち前の乱暴な腕力でもって防戦したので,辻風典馬はしまいには逃げ出す。武蔵が彼の後を馬で追いかけて成敗して戻って来ると,野武士の復讐を恐れたお甲は,すでに又八を誘惑して朱実とともに行方をくらませていた。

一人あとに残された武蔵は,途方に暮れたが,とりあえず故郷の宮本村に戻って,又八の母お杉婆(浪花千栄子)に又八が生きていることを伝えることにした。ところが,故郷へ帰る途中の国境では,木戸が設けられて,豊臣の残党狩りが行われていた。武蔵はその木戸を破って,宮本村に逃げ込んだ。

その日から数日後はちょうど4月8日の灌仏会(かんぶつえ)で,宮本村の七宝寺(しっぽうじ)ではお通が村人たちに甘茶の世話をしていた。その寺には沢庵和尚(たくあんおしょう,三国連太郎)も滞在していて,お通との楽しい話し相手になっている。そのようなところへ姫路城の家来青木丹左衛門(花沢徳衛)が役人どもを引き連れてやって来て,武蔵が国境の木戸を破ってこの村に逃げ込んだことを知らせるとともに,その七宝寺を拠点にして武蔵を探し出すことにしたので,村人たちに加担するよう命令し,また本人を匿ったりしたら厳罰に処すると言い付けた。武蔵が故郷に舞い戻ったことを聞き知った又八の母お杉婆は,ひょっとしたら武蔵はその姉お吟(風見章子)のもとに戻っているに違いないと思って,そこへ駆けつける。意地の悪いお杉婆がお吟を責め立てているうちに,役人に追われて武蔵が姿を現すが,何も伝えることができないまま武蔵はすぐにその場を立ち去った。又八を残して自分一人で故郷に戻った武蔵に激しい憤りを感じたお杉婆は,青木丹左衛門に入れ知恵をして,武蔵の姉お吟を捕えさせた。お杉婆は徹頭徹尾「意地悪婆さん」として描かれているが,それを演じる浪花千栄子の演技がこの映画全体を通しての見どころでもある。彼女の演技力は実に見事であり,抜群である。注目に値しよう。

役人に追われ続けている武蔵は,お杉婆にせめて一言,又八は生きていて,ある女と他国で暮らしていることを伝えてから村を立ち去ることにして,お杉婆の家を訪ねた。お杉婆は最初はびっくり仰天するが,すぐに態度を変えて武蔵を歓迎する。食事ができるまで,武蔵には風呂に入ってもらって寛ぐように仕向けるが,もちろんそれは表向きのことで,本心はそのうちに青木丹左衛門に連絡して,武蔵を捕えてもらうことにある。お杉婆を信じきった武蔵が,風呂の中で「こんなことなら早くからここに来ればよかった」とつぶやいた途端,役人が風呂の周りを取り囲み,武蔵が「騙された!」と叫ぶ場面は,観客を複雑な気持ちにさせてしまう。信じ切っていた人に騙されてしまった! こんなことがあってよいものか!? 風呂から飛び出した武蔵はさらに狂暴となって,その場を逃げて行く。自分が生き延びるためには,追いかけて来る役人どもを殺さなければならない。武蔵の行動はそれ以来だんだんと狂暴になっていった。翌朝から武蔵を探し出すために山狩りが行われるが,武蔵は山中に隠れたままである。

そうしているうちにお通のもとに又八とお甲の連名で飛脚文(ひきゃくぶみ)が届く。「又八のことは忘れて,他家へ嫁いでくれ」という内容である。ひどく悲嘆に暮れているお通に向かって,青木丹左衛門は酒の酌をするようにと言い付ける。武蔵探しは役人と村人に任せて,自分は美女の酌で酒を飲もうとしている青木丹左衛門に対して,沢庵和尚は非難しながら説教したあと,「自分なら3日間もあれば,武蔵を捕えて見せる」と言い切るが,捕らえたあとの武蔵の処分は自分に任せることという条件を付ける。その代わりそれが果たせなかった場合は,七宝寺の庭に聳え立っている千年杉で首をくくるという。このような度胸の大きい沢庵和尚の台詞もたいへん興味深い。この映画において沢庵和尚の果たす役割が大きいことは言うまでもない。

こうして沢庵和尚はお通さん一人を伴って,山の中に入って,火をたきその上に鍋をかけて,武蔵を待つことにした。そうして約束期限の3日目の夜である。「こうしてここに座ったままでいてよろしいのですか」と心配そうに尋ねるお通に対して,沢庵和尚は「人間の心は実は弱いものなのだ。孤独が決して本然なものではない」と言いながら,武蔵がこの温かい火の色を見て,必ずこの場所に姿を見せることを確信している。否,すでに武蔵が近くに来ていることを悟っている。そこで沢庵和尚はお通さんに彼女が帯にいつも差している横笛を吹いてくれるようにと所望する。お通さんは実は赤子のとき七宝寺に置き去りにされた捨て子であり,赤子の帯には一管の笛が差してあったという。そのまま七宝寺で育ったお通は,いつも着物の帯にその笛を差して,折りあるごとにそれを吹いていたのである。沢庵和尚に頼まれて,お通が笛を吹くと,その音色は静かな山中で美しく鳴り響いた。その響きが鳴り止んだとき,沢庵和尚は突然闇に向かって,「そこにいる人,この温かい火のそばに寄るがよい」と叫ぶ。武蔵は一旦逃げようとするが,「待て,武蔵!」と叫ぶ沢庵和尚の声に呼び止められて,恐る恐る二人に近づく。そこで沢庵が説教をして武蔵を縛り上げる場面は,この映画のクライマックスの一つであるのは確かである。

こうして武蔵は沢庵に捕らえられて,七宝寺の庭の千年杉に数日間吊るされることになるが,この千年杉に吊るされた武蔵と七宝寺の庭に立つ沢庵和尚との間で交わされる問答もまた,この映画のもう一つのクライマックスである。乱暴者の武蔵に向かって「人間の真の強さとはそういうものではない」と説教する沢庵和尚に,武蔵は最初は相変わらず反抗していたが,雨ざらしにあって数日間吊るされたままでいるうちに,次第に弱気になって,最後には「助けてくれ! もう一度人生をやり直したい」と言い出す。しかし,沢庵は厳しく答える。「駄目だ! 何事もやり直しのできないのが人生だ!」このとき武蔵は初めて「恐れ」というものを知ったのであり,千年杉に吊るされたままこれまでの自分の行動を後悔する武蔵を演じる中村錦之助の演技力は,さすがに見事である。見逃してはならない名場面である。

沢庵和尚の手厳しいやり方に,日頃から心やさしいお通さんはもはや耐えられなくなって,風邪を引いて寝込んでしまう。又八とお甲から飛脚文をもらって,許嫁の縁を絶たれたにもかかわらず,又八の母お杉婆はさらに「息子がいなくとも本位田家に嫁いでくれ」と言い渡す。このような状況に置かれたお通は,又八の無事をお杉婆に知らせるために,自分の命をかけてこの宮本村に戻って来た武蔵こそ,本物の男性ではないかと,次第に武蔵に心を寄せていく。風邪で寝込んでしまい,寝床の中ではもうすでに無意識のうちに「武蔵さま! 武蔵さま!」と叫んでいた。お通は皆が寝静まった夜半,起き出して,千年杉に登って,武蔵の縛られている縄を鎌で断ち切った。武蔵は助けてくれたお通とともに,ただちにそこから逃げ出す。国境まで逃げて来たところで,武蔵は姉お吟が日名倉(ひなぐら)の木戸に捕らえられていることを思い出して,姉を助けに行くことにした。お通もそれを承諾して,姫路城下の花田橋のたもとで会えるまで幾日も武蔵を待っていることを約束して,二人は別れた。

武蔵は日名倉の木戸に行くが,しかし,そこには人影はまったく見られず,姉はすでにどこかに移されたあとのようであった。武蔵は落胆しながら姫路に向かう途中,沢庵和尚に偶然出会うが,もはや反抗する姿勢は見せずに,沢庵和尚に従ってついて行き,姫路(白鷺)城主池田輝政(坂東蓑助)と面会し,沢庵和尚の提案で,姫路城の天守閣にしばらくの間幽閉されることとなった。その天守閣で武蔵はこれから3年間万巻の書物を読んで,これまでの自分は野蛮なだけの強さであったことを悟り,新しい人間に生まれ変わっていくのである。

一方,お通は花田橋のたもとまで辿り着いたものの,風邪と旅の疲れからひどい熱を出して橋の欄干にもたれかかっていたところを,その橋のたもとで竹細工家を営んでいる主人(宮口清二)に助けられて,そのままその竹細工家に逗留することになった。また宮本村のお杉婆はお通が武蔵を助けて逃げたことを聞き知ると,権六爺(ごんろくじい,阿部九州男)を伴って二人のあとを追って旅に出たのであった。風邪もすっかり治って,お通が竹細工家で仕事の手伝いをしているところへ,ひょっこり沢庵和尚が姿を現し,そこからよく見える姫路城を指さして,お通に「ほかに何か見えるかね」と尋ねるが,お通はその天守閣に武蔵が幽閉されていることをもちろん知らない。その天守閣では武蔵が書物に浸って,これまでの自らの行動を反省し,「今日までの己の勇気は人間の本当の勇気とは言えぬ。武士(もののふ)の強さとはそういうものではない。怖いものの恐ろしさをよく知り,命を惜しむ。いたわらなければならない・・・」と自らに言い聞かせたところで,この映画はエンディングとなる。そのとき鳴り響く音楽の効果もあって,最も感動的なラストシーンである。

この映画全体を通じて乱暴きわまりない若者を演じる中村錦之助だけでなく,この乱暴者に対して人間の英知の必要さを説いていく沢庵和尚を演じる三国連太郎,そして意地悪婆さんを務める浪花千栄子の演技が特に見ものである。逆にお通さんを演じる入江若葉は,初めての映画出演で,決して上手とは言えないが,しかし,その初々しさが却って魅力的である。吉川英治原作の常に心やさしい「お通さん」にはぴったりの女優であると言えないだろうか。捨て子でありながら,いつも明るく人と接し,意地悪なお杉婆さんにも素直に従うお通さんだが,一旦武蔵という男性に惚れてしまってからは,一途にその恋に生きていこうとする姿は,何よりも貴い。第二部以降のお通さんの武蔵に寄せる「恋心」も見ものである。次回を楽しみに待つことにしよう。