【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第71号
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○「知的感動ライブラリー」(44)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

黒澤明監督『虎の尾を踏む男達』(昭和20年,東宝)の魅力

1.映画『虎の尾を踏む男達』の製作過程

黒澤明監督の映画『虎の尾を踏む男達』は,昭和20年戦時中に撮影が開始されて,すべての撮影が終わったのは終戦直後の9月であるが,当時の検閲の事情等も加わって,一般に公開されたのは昭和27年4月になってからという作品である。

黒澤明監督は昭和20年敗戦も間近い頃,桶狭間の合戦の日の朝がラストシーンとなる映画『どっこいこの槍』を作る予定であったが,戦時中の物資に乏しい時期のことでもあり,その映画の撮影に必要な馬がもはや調達できないと分かって,それに代わる映画として企画したのが『虎の尾を踏む男達』である。これは能の『安宅(あたか)』と歌舞伎『勧進帳』を題材とした作品である。源平合戦で手柄を立てた義経が,鎌倉の兄頼朝の怒りに触れて,武蔵坊弁慶ら6人の家来とともに山伏姿に身をやつして京都から奥州の藤原秀衡のもとへ逃げて行く途中,加賀の国(現在の石川県)にある安宅の関所を通過するときのエピソードを取り扱ったものである。舞台セットは安宅の関所が一つあるだけでよいし,義経一行が林の中の山道を歩く場面のロケーションは撮影所の裏の林で済ますことができる。主役には当初の映画に出演する予定だった大河内傳次郎と榎本健一をそのまま起用することにして,脚本はすぐに出来上がったようである。その際,脚本も担当した黒澤明は当時喜劇俳優として最も人気のあった榎本健一(通称エノケン)を強力(ごうりき,荷物を背負って案内する者)として新たに登場させることによって,歌舞伎『勧進帳』とは異なるおもしろさを映画の中に織り込むことができた。映画『虎の尾を踏む男達』の魅力はいったいどこにあるのか。まずはあらすじを辿りながら,映画の見どころなどを紹介して,その魅力を探っていくことにしよう。

2.『虎の尾を踏む男達』のあらすじと見どころ

源平合戦で手柄を立てた義経は,梶原景時の讒言(ざんげん)によって兄の将軍頼朝に追われる身となって,武蔵坊弁慶(大河内傳次郎)ら6人の家来とともに勧進(寄附集め)のために諸国を回る山伏姿に身をやつして,京都から北陸路を通って奥州の藤原秀衡のもとへ逃げ延びようとしている。そろそろ加賀の国の安宅にさしかかるところである。歌舞伎『勧進帳』とほぼ同じ設定であるが,一つ異なる点は榎本健一(エノケン)がおしゃべりな強力として登場し,この喜劇俳優が随所でユーモアに富んだ名演技を見せていることである。山道を歩き続けていた義経一行が,途中で休憩する場面でのエノケンの演技がまずは最初の見どころである。この強力はとにかくおしゃべりで,この休憩の場面でも自分が案内している一行が義経一行であるとも知らずに,他人から聞いた義経一行の噂をべらべらとしゃべりまくる。そのうち彼らこそその義経一行だとだんだんと分かっていくときのエノケンの演技は見事である。特に義経(岩井半四郎)が弁慶に向かって「弁慶!」とその名前を呼んだとき,驚いて腰を抜かしてしまった場面は傑作である。腰を抜かして立てないが,常陸坊(ひたちぼう,横尾泥海男)から「立たねば首を引き抜くぞ」と脅かされて,跳び上がる場面は笑わずにはいられない。歌舞伎にはとうてい見られないおもしろさである。

この強力の話から義経一行が山伏姿に変身していることが鎌倉側にすでに知られているようなので,義経は山伏姿から強力姿に身を変えることにした。その変身の場面が強力の姿でもありながら,義経としての優雅さをたたえていて,そこが第二の見どころである。

義経一行はさらに山道を進むことになったが,エノケンの強力は強力姿の義経のことが心配で一行のあとをついて行く。何度も追い返されながらも,しきりにあとをついて行く。そのうち彼は,安宅の関所には梶原の使者が先廻りして義経一行を待ち伏せているという情報をもたらす。それを聞いた義経一行は,「進むも引くも所詮袋の鼠」と悟って,安宅の関所を通ることにした。

その安宅の関所でのエピソードがこの映画の最大の見どころであることは,言うまでもない。そこの地頭,富樫左エ門介家直(藤田進)の取り調べに弁慶が言葉巧みに答えていく。クライマックスはその富樫の前で弁慶が南都東大寺建立の趣旨を書き記した勧進帳(実は白紙の巻物に過ぎない)を読み上げる場面である。背後でその勧進帳を覗き込むエノケンの強力の演技が最高である。勧進帳の趣旨を聞いたあと,富樫は今度は山伏の持ち物についてそれぞれのいわれを問い質(ただ)す。すると弁慶はそれらについてテキパキと答える。映画の観客にとってはその内容は容易に理解できるものではないが,その場面の弁慶と富樫とのリズミカルなやりとりに魅せられてしまう。この問答の場面も見どころであろう。弁慶の智慧に感心してしまった富樫は,疑ったことを詫びるとともに,自分も勧進の施主につきたいと申し出る。それに対して弁慶は,北陸勧進のあと,この関所にまた戻って来るので,それまで勧進の品々を預かってほしいと伝えてから,その場を立ち去ろうとする。そのとき「虎の尾を踏み,毒蛇の口をのがるる心地」という歌詞の合唱が流れて,この映画の一つの盛り上がりを見せる。義経一行のみならず,観客も「虎の尾を踏む」ようなドキドキハラハラした気持ちである。一行が関所の出口にさしかかったところで,「その強力待て!」という梶原の使者(久松保夫)の叫び声がする。その強力とはもちろんエノケン強力ではなく,義経強力である。

梶原の使者から判官(ほうがん,義経)に似ていると疑われたその強力を,そのあと弁慶が金剛丈でもってぶちのめす場面もまた,歌舞伎と同様,この映画の見どころであることは確かである。ただこの映画ではその弁慶が金剛丈を振り上げるのを引きとめようとするのがエノケン強力である。弁慶にすがりついてオイオイ泣き出す場面には感動せずにはいられない。黒澤映画ならでは名場面である。

弁慶が義経強力をぶちのめすのを見て,富樫はしきりに義経強力を判官だと主張する梶原の使者に向かって「おのれの主を丈をもって打つ家来はない」と言って,山伏一行がこの関所を通ることを承諾する。もちろん富樫はその強力が義経であることをすでに確信している。しかし,弁慶の主君に対する誠実さ,弁慶の機知と胆力などに心を動かされたのであろう。はっきりと表面には現れないが,この富樫の「武士の情け」も,歌舞伎と同様,日本人の心情としてこの映画の見どころである。安宅のエピソードは富樫がいなければ成り立たないと言ってよいであろう。

こうして弁慶の機転で安宅の関所を通過して,義経一行が途中で休憩しているところへ富樫から使者(清川荘司)を通じて酒が送られてくる場面も見どころである。特に弁慶が大酒を飲む場面が歌舞伎と重なっておもしろいが,それをエノケン強力がうらやましそうに見つめる場面も滑稽で,さらにいっそうおもしろい。そのあとエノケン強力が弁慶に催促されて踊る場面も滑稽極まりなく,また弁慶自身が謡を謡う場面も興味深い。

エノケン強力が酔っ払って,目が覚めてみると,義経一行はすでに出発していた。エノケン強力のもとにはお礼として小袖と印籠が残されていた。エノケン強力は立ち上がって,歌舞伎なら弁慶が務める「飛び六方」(飛び六法とも書くが,正確には飛び六方。六方とは東西南北と天地のことである)を彼自身が務めるが,途中で一度転んでの「飛び六方」である。歌舞伎と同じように,この映画ではエノケン強力の「飛び六方」が最後の見どころである。

3.映画『虎の尾を踏む男達』の魅力

以上のように見てくると,この映画の魅力は能の『安宅』と歌舞伎『勧進帳』という日本の古典芸能を題材としながらも,エノケン役者を巧みに取り入れて,有名な安宅のエピソードにユーモアを取り入れているところにあると言えよう。この喜劇俳優エノケンこと榎本健一は,大河内傳次郎とともに,黒澤監督が当初計画していた映画に出演する予定であったが,戦時中でもあった事情から,それが中止されるや否や,黒澤監督はその二人をそのまま起用して急遽,別の映画を企画した。物資の乏しいときの厳しい条件下で製作することになった新しい映画の中で,黒澤監督が中心に据えたのはこの喜劇俳優エノケンであり,その道化師の役は,ずっとのちの黒澤映画『乱』におけるピーター演じる道化師とはまったく異なった別の魅力がある。その道化師にふさわしいキャラクターを巧みに活かすかたちで脚本を仕上げて映像化したのは,まさに黒澤監督の天賦の才のなせる業である。1時間足らずの映画であるが,少しの隙も見せずに全体がよく引き締まっている。フィルムが不足していた時代に,そのマイナス面を巧みに活かすかたちで短い作品とすることによって,反対に成功した例の映画であると言えよう。

この映画のもう一つの魅力は服部正の音楽にあるとも言えよう。全体にわたって随所に音楽が織り込まれていて,まさに一種のミュージカル映画である。しかもその音楽の種類も,能から取り入れられたもの,歌舞伎からのもののほかに,コーラス付きのフル・オーケストラの西洋風の音楽というふうに,さまざまである。映画全体を引き締めている要因となっているのが,この音楽にあることは確かである。音楽はいわば食事における調味料のような重要な役目を果たしており,あるものをより素晴らしいものに仕上げるためにはなくてはならないものなのである。この黒澤映画の魅力は映像と音楽が一体となっているところにあると結論づけることができよう。