【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第70号
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○「知的感動ライブラリー」(43)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

ベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』の魅力

Ⅰ.歌劇『フィデリオ』の成立史と4つの序曲

歌劇『フィデリオ』はベートーヴェンの完成されたオペラとしては唯一のものである。しかし,このオペラは現在の台本になるまでには2度も書き換えられ,序曲も4種類残されている。この歌劇『フィデリオ』の成立史と4つの序曲について,まず最初に簡単にまとめておこう。

まずベートーヴェンは1803年から1805年にかけて,フランスの劇作家ジャン・ニコラ・ブイイ(Jean Nicolas Bouilly)の作品『レオノーレ, または夫婦愛』(Leonore, ou l'Amour Conjugale)をJ.F.ゾンライトナー(Joseph F. Sonnleitner)がドイツ語に訳した台本を取り上げて,かなり苦心した末に作曲を完成させた。これが第1稿と呼ばれるもので,1805年11月20日から3日間ウィーンのアン・デア・ウィーン劇場で初演されたが,聴衆の多くがフランス兵であったこともあり,かなりの不評を買い,失敗に終わった。この第1稿に付けられていたのが『レオノーレ』序曲第2番(作品 72a)である。第1稿は全3幕から成り,第一幕があまりにも重厚過ぎたため,ボン時代からの友人シュテファン・ブロイニングが,1805年から1806年にかけてコリントやトライチュケ等の詩人,及びクレメントやザイフリート等の有力な音楽家から助言を求めて,さらにベートーヴェンも加わって全2幕に切り詰めた台本に作り直した。これが第2稿であり,1806年3月29日にアン・デァ・ウィーン劇場で初演された。今度はウィーン市民を聴衆としたが,これも成功を収めることはできなかった。収益の件で劇場管理者のブラウン男爵と折り合わず,4月10日に再演されたのち,ベートーヴェンは自らこの作品を取り下げてしまったのである。この第2稿に付けられたのが『レオノーレ』序曲第3番(作品 72b)である。

ベートーヴェンはこの第2稿をプラハで上演する計画を立て,1807年に新たに序曲だけを書き直した。この序曲が『レオノーレ』序曲第1番(作品 138)であるが,しかし,プラハ上演の計画は実現されずに,この序曲はついにベートーヴェンの生前には一度も日の目を見なかった。

その後,1814年になってケルントナートーア劇場の支配人で宮廷オペラ台本作家の詩人フリードリヒ・トライチュケ(Friedrich Treitschke)がこのオペラ台本を全面改訂し,タイトルも『レオノーレ,あるいは夫婦愛』から『フィデリオ』と改題された。これが第3稿(現在の『フィデリオ』台本)であり,1814年5月23日にケルントナートーア劇場で初演され,大成功を収めた。ただこの初演のときにはまだ新たな序曲は完成されていなかったので,祝祭劇『アテネの廃墟』序曲(作品 113)を代用したという。3日後の5月26日の再演には新しい序曲で上演され,同じように大成功を収めた。この再演のときに初めて演奏された序曲が『フィデリオ』序曲(作品 72c)である。

これら4つの序曲がすべて収録されているCDが徳島大学附属図書館本館1階の視聴覚コーナーにもあるので,是非鑑賞していただきたい。

Ⅱ.歌劇『フィデリオ』全二幕のあらすじ

次にあらすじを紹介すると,まずスペインのセビリアから数マイル離れたところに国事犯刑務所がある。その刑務所長ドン・ピツァロは自分勝手に政治犯を捕らえては,そこに投獄している。彼の政敵フロレスタンも2年前からこの刑務所の地下牢に閉じ込められている。フロレスタンの妻レオノーレは夫死亡の知らせが信じられずに,夫を救い出すため,男装してフィデリオと名乗り,この刑務所の番人ロッコのもとで働くこととなった。フィデリオはまじめに働くので,番人ロッコの信用も得るようになった頃から,歌劇『フィデリオ』のあらすじは始まる。

第一幕

序曲のあと幕が上がると,舞台は国事犯刑務所の中庭である。番人ロッコの娘マルツェリーネは彼女の戸の前で洗濯物にアイロンをかけている。マルツェリーネに恋心を抱いている門番ヤキーノは,彼女に近寄ってなんとか自分の想いを伝えようとしている。マルツェリーネの方もヤキーノの気持ちを理解しているが,しかし,フィデリオがこの刑務所で働くようになってからマルツェリーネは,すっかりフィデリオに魅せられてしまっている。

そこへ番人ロッコが登場し,娘にフィデリオの帰りはまだかと尋ねる。ロッコは所長に書類を提出すべき時間が迫っていて,イライラしているのである。そうしているところへフィデリオが戻って来て,フィデリオの差し出す計算書を見たロッコは,フィデリオの取り引き上手に感心する。それどころかロッコはフィデリオを自分の娘婿にしようと言い出す。娘マルツェリーネがいつそのようにしてくれるのかと尋ねると,父ロッコは所長が数日後に出張でセビリアへ出かけたら暇になるので,その翌日に二人を結婚させてあげようと答える。幸せな家庭には愛情も大切だが,お金も必要だという内容の歌を歌うロッコに対して,フィデリオは心と心の結合こそ夫婦生活の本当の幸福の源であると説いたあと,さらに続けてこれに劣らないほど高価なものもあるが,自分はいくら努力してもそれを手に入れられないので残念だと言う。「それは一体何だね」と尋ねるロッコにフィデリオは「あなたの信頼です」と答えて,自分を地下牢へ一緒に連れて行ってくれないことを嘆く。そこでロッコは所長に頼んでみようと約束する。

行進曲とともに所長ピツァロが登場してくる。ロッコから渡された書類を調べているうちに,ピツァロは一通の書状を目にとめる。それによると,大臣ドン・フェルナンドが調査のため今日中にもこの刑務所を訪れるという。ピツァロはあわてる。地下牢に閉じ込めている囚人フロレスタンに大臣が気づけば自分の悪事がばれるからである。そこでピツァロはすぐに囚人を片付けてしまうため,番人ロッコに墓穴を掘るように命ずる。ためらっていたロッコを説き伏せると,ピツァロはその場を退く。ロッコがそれに従う。

フィデリオは恐ろしい予感に襲われながらも,新たに勇気を取り戻し,勝利に燃えて陶酔的な歌を歌ったのち,ひとまず舞台から退く。代わってマルツェリーネのあとを追いかけて門番ヤキーノが登場する。ヤキーノは失望しながらもマルツェリーネに言い寄るが,再びはねつけられる。舞台に戻ったロッコもヤキーノに結婚への希望をあきらめるように諭す。再び舞台に戻り,そばでそれらのやりとりを聞いていたフィデリオは,このような話はやめて囚人たちを庭の中へ出してあげようと提案する。ロッコは比較的刑の軽い囚人たちの牢を開けてやるよう指示してから,所長のところへ行く。

囚人たちが次々に舞台に現れて,久しぶりに自由な空気を吸える喜びを歌う。フィデリオは囚人たちの中に夫フロレスタンがいないかと探し回るが,見当たらない。やがてロッコが戻って来て,フィデリオに結婚のことも,地下牢での手伝いについても所長から許しを得たことを伝える。そうしているうちに所長ピツァロが囚人たちの解放を聞き知って,怒ってやって来る。ロッコは「今日は国王の命名の祝日です」と言ったあと,密かに「怒りは地下牢の男のために取っておいてください」と言いながら,ピツァロを宥める。一時解放されていた囚人は再び牢屋に入って行く。フィデリオとヤキーノが牢の鍵をかけたところで幕が降りる。

第二幕

第二幕前半の舞台は刑務所の地下の牢屋である。囚人フロレスタンは鎖に繋がれたまま絶望の叫びを上げ,やがて地面に倒れてしまう。そこへ番人ロッコとフィデリオが階段を降りてやって来る。二人は囚人が寝ているのを見ると,さっそく穴を掘り始める。そうしているうちにフロレスタンが目覚めたので,ロッコは囚人に話しかける。フィデリオはまもなく囚人が夫であることを確認する。この牢屋に自分を閉じ込めたのがピツァロであることを知ったフロレスタンは,すぐにセビリアへ使いを出して彼の妻に自分がここに繋がれていることを伝えてほしいと頼む。ロッコはそれを拒むが,水をくれないかという要求には応じる気持ちになって,フィデリオにぶどう酒の入った壺を渡すよう命じる。フロレスタンはぶどう酒を飲むが,それを差し出してくれたのが自分の妻だとはまだ気づいていない。フィデリオはさらに一切れのパンも差し出すと,フロレスタンは感謝の念を示す。ロッコは穴堀りの仕事を終えると,合図をして所長を呼び寄せる。

その場に現れた所長ピツァロは,万事を永久に闇の中に葬り去ろうとして,短剣でもって囚人を突き刺そうとするが,その瞬間,フィデリオが走り出て囚人をかばい,自分はこの囚人の妻レオノーレであると名乗り,ピツァロにピストルを向ける。このとき上の方でラッパが鳴り響き,大臣ドン・フェルナンドが到着したことが告げられる。番人ロッコは喜び,そこまでかけつけてきた兵士たちに所長を上まで案内するよう指示する。あとに残ったレオノーレはこれまでの苦労を夫フロレスタンに話す。再び結ばれた二人はこのうえない喜びを歌い上げる。

後半は舞台が変わって城内の観閲広場である。城の番兵たちが行進して登場してきたあと,大臣ドン・フェルナンドがピツァロと士官たちに付き添われて現れる。そこへ民衆も押し寄せる。ヤキーノとマルツェリーネに導かれて国事犯たちもやって来て,大臣の前でひざまずく。すると大臣は「人間は兄弟であるべき」を説き,囚人たちの恩赦を宣言する。さらに大臣は死んだと思っていたフロレスタンを目の前にして,彼を「正義のために戦った」人であることを認めると,暴君ピツァロを捕らえて連れ去らせたあと,フロレスタンの鎖を妻レオノーレ自身の手によって取り除かせる。すべての人々が夫婦愛の讃歌を歌い,互いに無限の喜びを分かち合っているところで,第二幕の幕が降りる。

Ⅲ.歌劇『フィデリオ』の魅力

このようにストーリーとしては,妻が無実の夫を救い出すという,まったく単純な内容である。しかし,それでもたいへん人気があり,世界の諸都市でひんぱんに上演されている。このオペラの魅力は,一体,どこにあるか。それはやはりベートーヴェンの音楽にある。第一幕冒頭部分で番人ロッコの娘マルツェリーネに門番ヤキーノが自分の想いを必死に伝えようとする場面にしても,ただ普通よく見られる男女の会話に過ぎないが,それにベートーヴェンの音楽が伴うと,すばらしいオペラとなっている。そのあとで番人ロッコが,幸せな家庭には愛情も必要だが,お金も必要だと歌うアリアは,どこか民謡風で,楽しくて,おもしろく,とてもベートーヴェンの曲だとは思えないほどである。そのあとロッコ,レオノーレ,そしてマルツェリーネの三重唱は,逆にベートーヴェンらしい重厚さが見られ,そのあと続いて登場する所長ピツァロのアリアではさらにベートーヴェンの強い個性が存分に発揮されている。最終場面の「囚人たちの合唱」も同様である。第二幕に入って,冒頭部分の音楽とともにフロレスタンのアリアも,ベートーヴェンの個性にあふれた音楽と言うべきであろう。そうかと思うと,次の地下牢での場面は,バーンスタインの言葉を借りれば,「サスペンス映画」のようにドキドキハラハラさせて,まことにドラマチックな音楽をも聞かせてくれる。このように『フィデリオ』の中にはベートーヴェンらしい崇高な曲,荘厳な曲もあれば,ベートーヴェンの曲とは思えないような,実にいろいろな種類の音楽が至るところにちりばめられている。そこがまずはこのオペラの魅力である。しかし,このオペラの真の魅力は,やはり最終場面の合唱にある。レオノーレはすでに夫フロレスタンを救い出していて,あらすじは終わっているが,ベートーヴェンの本領はあらすじが終わってから,初めて始まると言ってもよいであろう。しかもこの最終場面の合唱には,すでにベートーヴェン晩年の『第九』における合唱「歓喜に寄せて」がほのめかされている。観閲広場で皆が歌う合唱の中に「やさしい妻を勝ち得た者は,我らの歓喜に唱和しなさい!」(Wer ein holdes Weib errungen,/Stimm'in unsern Jubel ein!)という言葉があるが,これは『第九』におけるシラーの詩に基づく「やさしい妻を勝ち得た者は,喜びの声に唱和しなさい!」(Wer ein holdes Weib errungen,/Mische seinen Jubel ein!)と全く同じ表現である。ベートーヴェンはずっと以前からシラーの詩に曲をつけようと望んでいたらしいが,『フィデリオ』にはすでにのちの『第九』の芽が見られるのである。その意味で『フィデリオ』は不朽の名曲『第九』への第一歩だったと言える。そこで展開された「夫婦愛」は,『第九』においては「人類愛」へと高められるのである。3度も書き換えて,苦心の末に生まれた『フィデリオ』は,『第九』への芽生えを感じさせる,注目すべき貴重な唯一のオペラであり,やがて『第九』もこれまた深い苦悩の末に完成することになるのである。真の喜びはまさに苦悩の中から生まれるのであろう。そこにこそベートーヴェン音楽の大きな魅力があると言えよう。