【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第69号
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○「知的感動ライブラリー」(42)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

モーツァルトのオペラ『魔笛』の魅力

Ⅰ.シカネーダーの台本と『魔笛』の初演

『魔笛』(1791年)はモーツァルトがこの世を去る直前に完成された作品である。モーツァルトの作品の中でも最も人気のあるオペラであり,彼の代表作であるばかりではなく,オペラ史に輝く傑作でもある。正確に言えば,『後宮からの誘拐』と同じく,ジングシュピール(歌芝居)と呼ばれ,この作品によってモーツァルトはドイツ・オペラの一つのスタイルであったジングシュピールのアイデンティティを確立させたと言える。この作品がのちにドイツ語圏のみならず,世界中の人々を魅了させたことは,言うまでもない。しかし,それは必ずしも周到な準備の上に作られた作品ではない。ウィーン城壁の脇に小劇場を持つシカネーダーがメールヘンをもとにした台本の作曲をモーツァルトに依頼したものだが,二人とも当時流行っていたフリーメーソンの信者であったため,作曲の途中でそのフリーメーソンに関係づけて話の筋を変更してしまったのである。そのため作品全体の筋は支離滅裂なところが多い。しかし,この不完全な台本のオペラをオペラ史に残る傑作としたのは,モーツァルトの音楽であり,『魔笛』の魅力はやはりまずその音楽にあると言えよう。

初演は1791年9月30日にウィーン・アウフ・デァ・ヴィーデン劇場で行われた。初めこそ反響はあまりよくなかったものの,繰り返し演奏されているうちに,その評判も徐々に高まっていった。この『魔笛』の成功はモーツァルトの人生で最後の喜びとなった。初演から約2か月後,12月5日に35歳の若さで他界してしまうのである。しかし,この『魔笛』の人気は,彼の死後も上昇し続け,ウィーンだけではなく,世界各地で上演され,好評を博し,現在に至っているのである。

Ⅱ.『魔笛』あらすじ

この『魔笛』のあらすじを紹介しておくと,次のとおりである。昔,神話の世界では王と女王がともに光と闇の王国を支配していた。二人にはパミーナという娘がいた。王は亡くなるとき,偉大な太陽を象徴する自らの権力を,女王ではなく,イシスとオシリス神の祭司である高僧ザラストロに与えた。そして王国は光と闇の二つの国に分割された。しかし亡くなった王の妃は,夜の女王として,失った領地を再度奪い返そうとする。ザラストロはパミーナを母親の暗闇の世界から逃すために,パミーナを連れ去ってしまう。ジングシュピール(歌芝居)『魔笛』の物語はここから始まる。

第一幕

王子タミーノは大蛇に追われて助けを求めながら現れるが,気を失って倒れてしまう。そこへ夜の女王の三人の侍女が出てきて大蛇を退治し,女王のもとにこのことを報告しに帰って行く。タミーノはやがて正気を取り戻し,あたりを見回していると,そこへ鳥刺しのパパゲーノが陽気な歌を歌いながら現れる。タミーノが大蛇のことを尋ねると,パパゲーノは自分がそれを退治したのだと自慢する。しかし,そこへ三人の侍女が再び現れ,パパゲーノは嘘をついた罰として口に錠前をかけられる。三人の侍女はタミーノに夜の女王の娘パミーナの絵姿を渡して,パミーナがザラストロに連れ去られた事情を説明し,パミーナ救出に力を貸してほしいと頼む。その絵姿の美しさに魅せられたタミーノは助力することを誓う。そこへ夜の女王も現れ,無事に救出したならば娘を彼の嫁にすることを約束する。夜の女王が去って行くと,タミーノは三人の侍女から魔法の笛をもらう。パパゲーノも口の錠前を取り除かれた上,魔法の鈴をもらう。タミーノはパパゲーノとともに三人の少年に伴われてザラストロのもとに向かう。

ザラストロの宮殿では,パミーナを監視している黒人モノスタトスが彼女を口説いている。そこへパパゲーノが現れたので,モノスタトスは驚いて去ってしまう。パパゲーノは彼女がパミーナであることを確認すると,彼女とともにそこを逃げ出す。

場面が変わると,神聖な森の中央に三つの神殿が見える。三人の少年に導かれたタミーノはそこに来て,「英知」の神殿の中から現れた僧侶にパミーナの安否を尋ねるが,僧侶は答えない。しかしそのとき神託の声が聞こえて,パミーナが無事であることを告げる。

そのパミーナはパパゲーノとともにモノスタトスに追われながら逃げている。二人はモノスタトスと奴隷たちに取り囲まれてしまうが,パパゲーノが魔法の鈴を鳴らすと,モノスタトスたちは踊り出してしまう。そこへザラストロが現れ,パミーナは彼に逃亡しようとした罪を詫びる。ザラストロは彼女を慰めるが,母親に会うことだけは許さない。そこへタミーノがモノスタトスに連れられて現れる。タミーノとパミーナは初めての出会いを喜ぶが,しかし,ザラストロは二人が結ばれるためには,試練を受けねばならないと言い渡す。タミーノはパパゲーノとともに試練の神殿に案内されて行く。

第二幕

椰子の森。ザラストロは僧侶たちを従えて登場して来る。僧侶たちはタミーノを英知の宗教の入会者にしようと欲している。ザラストロは,パミーナを誘拐したのは英知の宗教に対立する傲慢な母親から遠ざけるためだったことを説明するとともに,パミーナはタミーノと結ばれることになっていることも伝える。しかし,そのためには試練に耐えねばならない。ザラストロはイシスとオシリスの神に対して,試練に耐えうる力を二人の俗人に与えてくれるようにと祈る。

場面は変わって,タミーノはパパゲーノとともに沈黙の修行を課せられている。タミーノは試練の一部を耐え抜いたので,僧侶たちから励まされるが,パパゲーノは相変わらず試練の不満を述べ,こんな旅をしていたら恋人は永遠に消え失せてしまうだろうと嘆く。

場面は庭園に変わって,月の夜,パミーナはあずまやで眠っていると,モノスタトスが忍び寄って彼女に接吻しようとする。そこへ夜の女王が現れ,モノスタトスを追い払うと,娘パミーナに短剣を渡して,それでもってザラストロを殺すように命じてから,姿を消す。そのさまを窺っていたモノスタトスが再び現れて,パミーナに愛を強要しようとするが,そこへザラストロが現れて,モノスタトスを追い払う。

場面はまた変わって,神殿の中でタミーノとパパゲーノは無言の修業をしている。そこへ老婆が現れて,パパゲーノに恋をしかけるが,名乗ろうとした瞬間,雷が鳴って退散する。やがてパミーナもそこにやって来るが,修行中のタミーノは返事をしないので,悲しげに立ち去る。僧侶はタミーノに最後の試練を課すことを告げる。一人あとに残されたパパゲーノは,差し出されたワインで上機嫌になっていると,先程の老婆がまた現れ,彼を口説いて結婚しようと言い出す。パパゲーノがしぶしぶ老婆との結婚を承諾すると,老婆は若い女パパゲーナに変身する。パパゲーノは驚いて彼女に走り寄るが,僧侶からまだふさわしくないと言われて,彼女から引き離される。

庭園の場。傷心のパミーナは自殺を企てるが,三人の少年がそれを阻止し,タミーノの変わらぬ愛を告げる。いよいよ最後の試練の場で,二つの鉄門の中にはそれぞれ猛火と滝がある。タミーノは今やここでパミーナと出会い,話すことも許される。タミーノはパミーナとともにその二つの試練の場を通り抜けて,最後の試練に打ち勝ち,称えられる。

再び庭園の場。パパゲーノはパパゲーナを探すが,見当たらないので,首を吊ろうとする。そこへ三人の少年が現れ,それを阻止して,鈴を鳴らせと教える。鈴の音とともに若い姿のパパゲーナが現れて,パパゲーノはパパゲーナと結ばれる。

夜の女王と三人の侍女はモノスタトスとともに復讐のため,ザラストロの神殿に入るが,雷鳴閃光とともに一行は地獄に落ち,あたりは暗くなる。ザラストロをはじめ全員が,光明と徳を称える合唱を歌い上げて,幕が降りる。

Ⅲ.『魔笛』の魅力

以上,モーツァルトの歌劇『魔笛』(全二幕)のあらすじを紹介してきたが,このオペラの魅力はいったいどこにあるのであろうか。

1) 音楽の多様性

冒頭ですでに述べたように,『魔笛』の第一の魅力は,何はともあれ,音楽にある。物語全体の筋は支離滅裂なところが多いが,それを一つに統合しているのが音楽であり,『魔笛』の魅力は音楽の多様性にある。愉快な鳥刺しパパゲーノの民謡風な歌もあるかと思えば,僧侶たちの宗教カンタータのような厳粛な歌もある。夜の女王(コロラトゥーラ・ソプラノ)の二つのアリアのほかにも,魅力的な歌はたくさん挙げられよう。実にさまざまなタイプの歌が織り交ぜられていて,それらの響きが渾然一体となって不思議な世界へ私たちを誘ってくれる。そこにまず第一の魅力がある。

2) フリーメーソン的要素

もともとメールヘンの台本にフリーメーソンの要素を織り込んだため,筋の上では多少の矛盾は見られるものの,台本を詳細に検討してみると,一つ一つの場面にも意味があり,オペラ全体にもフリーメーソンの精神が生き生きと表現されていることが分かる。フリーメーソンとはFree(自由な)Mason(石工)のことで,もともとは中世以来の石工の団体であったが,モーツァルトの時代には石工以外の者も加入でき,宗教,国家,職業などの社会的差別を越えて「人類愛」と「助け合い」を強調する精神的な集団へと変わっていたようである。もちろん『魔笛』の台本においてフリーメーソンという言葉は一度も用いられていないが,オペラの大筋は主人公タミーノが夜の女王の娘パミーナとともに,いくつかの試練を克服して,ザラストロのイシス・オシリスの宗教に入会するまでの過程を辿っている。こうして厳しい試練を経て成長した人間が共同体を構成するとき,「この世」は「天国」,すなわち,理想社会となるのである。ザラストロの世界が古代エジプトの宗教のかたちを借りながら,それを近代人間主義の視点から読み替えて,フリーメーソンの理想社会を暗示していることは明らかである。『魔笛』とこのフリーメーソンの関係を研究し,18世紀当時のヨーロッパ社会を捉え直すのもまた楽しいことであり,このような点にも『魔笛』のもう一つの魅力があろう。

3) さまざまな演出の可能性

作品の成立事情が上記のとおりなので,『魔笛』はさまざまな演出が可能である。メールヘン的要素を強調する演出もあれば,フリーメーソンの思想性を前面に打ち出す演出もあり,両者を巧みに融合させた演出もあるであろう。またその時代を反映させた演出も可能であろう。今回の公開講座では1991年10月29日に東京文化会館大ホールで上演された江守徹演出の『魔笛』(ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮)を使っているが,この演出は,まさに現代社会の深刻な問題である「環境破壊」(ゴミ問題,公害)と「人間破壊」(いじめ,受験競争,学級崩壊,セクハラ)を取り扱ったものと解釈してもよいであろう。夜の女王によって破壊された世界は,タミーノという新しい若者によってその秩序が回復されるのであり,その世界秩序の回復になくてはならないものが,人間の「英知」(Weisheit)であり,「愛」(Liebe)であり,「音楽」(魔笛)である。このように普遍的なテーマを含み,さまざまな演出が可能であるところにも『魔笛』の魅力があると言えよう。

4) オペラ史における『魔笛』の意義

1600年のイタリアに始まったオペラの歴史から見ても,『魔笛』は重要な位置を占める作品である。それまでのオペラは主にイタリア語で作られ,しかも宮廷貴族のために作られたのであったが,『魔笛』は厳密な意味においてジングシュピール(歌芝居)という,特別なドイツ・オペラのかたちで民衆のために作られたものであり,のちのウェーバーの『魔弾の射手』(1821年)やワーグナーの諸作品で完成するドイツ国民歌劇の,いわば開祖である点でも意義があると言えよう。モーツァルトのオペラは,『クレタの王イドメネオ』や『皇帝ティートの慈悲』に代表されるオペラ・セリア(正歌劇),『フィガロの結婚』や『ドン・ジョバンニ』のようなオペラ・ブッファ(喜歌劇),そしてこの『魔笛』や『後宮からの誘拐』のジングシュピール(歌芝居)の3つに分類されるが,『魔笛』を別のジャンルの作品と比較しながら鑑賞するのもまた一つの楽しみである。このようなことを考えると,『魔笛』の魅力ははかり知れないほど大きいことが分かる。

5) オペラの愉しみ

モーツァルトの『魔笛』はまことに不思議な魅力に満ちあふれている。フリーメーソンについての予備知識を持たずに観ても,老人も子供も男性も女性も大いに楽しむことができる。『魔笛』の背景についてある程度の知識を得てから観ても,その都度新たな歓びを与えてくれる。それこそ『魔笛』が1791年にウィーンで初演されて以来,今日に至るまで上演され続けてきた理由であろう。世界のオペラ都市に限らず,最近は日本の地方都市でも『魔笛』上演の機会が多くなってきたことは周知のとおりである。この『魔笛』をはじめとしてさらに多くのオペラ作品が日本人にも親しまれることを切に願うものである。環境破壊や人間破壊が深刻な問題となっている現代社会にこそ,このモーツァルトの『魔笛』に出てくるような「魔法の笛による響き」が必要なのではあるまいか。時間に追われ,コンピューターに操られている現代の私たちに最も必要なのは,『魔笛』のような美しい響きに耳を傾ける「心のゆとり」である。「歓び」は「心のゆとり」から生まれる。「ゆとり」こそ新しい創造の源である。