【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第68号
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○「知的感動ライブラリー」(41)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

黒澤明監督『七人の侍』(昭和29年,東宝)の魅力

黒澤明監督の『七人の侍』は1954年(昭和29年)に公開された東宝映画である。この映画は同年ヴェネツィア国際映画祭では銀獅子賞を受賞した。撮影には1年近くかかり,製作費は2億1千万円と言われているが,この製作費は当時の普通作品の7本分ぐらいに相当するという。スケールの大きさにおいても,また映像のリアリティという点でも,日本映画のみならず,世界映画史上最高の傑作と評してもよいであろう。アメリカ西部劇の巨匠ジョン・スタージェス監督がこの黒澤映画をリメイクして,1960年に『荒野の七人』を作り,大ヒット作品となったことは,周知のとおりである。『七人の侍』が製作されてから,すでに56年の歳月が経過しているが,黒澤明生誕100年を迎えた今年,この世界的名画を見直してみるのも,たいへん意義深いことであろう。『七人の侍』は上映に3時間20分もかかる超大作であり,全体は前半(侍探し)と後半(野武士との戦い)の2部構成になっている。以下では,前半と後半に分けてあらすじの展開を辿りながら,この映画の魅力・見どころなどを述べていくことにしたい。

前半のあらすじと見どころ

時は戦国時代,野武士たちは村を次々に襲撃し,作物を略奪することを繰り返している。この物語の舞台となる村でも昨年,約40人の野武士に襲われて米を奪い取られてしまったが,今年も麦が実って収穫が終わった頃,襲撃される危険に晒されている。実際に野武士たちがその村の様子を窺いながら立ち去ったところを,村の百姓の一人が熊笹の茂みの中から見かけたという。戸数20戸ばかりのその村の農民たちは,それを聞いて,不安を抱き,途方に暮れているところから物語は始まる。

沈んだ顔をして対策を考える農民の中でも利吉(土屋嘉男)という男は,竹槍を作って野武士と戦おうと皆に呼び掛けるが,他の農民は勝ち目がないことを知っていて,自分たちの分を少しだけ残しておいて,あとの収穫物をすべて渡して我慢するしかないという。しかし,野武士はすべてを奪い取っていくことは間違いない。いずれにしてもこのままでは村は全滅してしまう。そこで彼らは村の長老(高堂国典)と相談した結果,侍を雇って村を守ることにした。さっそく4人の百姓が町に出かけて,助力を買って出る侍を探し始める。映画の前半はその侍探しが主な内容である。

利吉ら4人の百姓は町に出かけて,助力してくれる侍を探し始めるが,報酬としては米のめしを腹いっぱい食べさせてもらえるだけというものなので,なかなか助力してくれるような侍は見つからなかった。数日経っても見つからずにあきらめかけていたとき,4人は勘兵衛(かんべえ,志村喬)という侍に出くわす。勘兵衛は歴戦の武士で,負け戦(いくさ)ばかり経験してきたが,この町で盗人が幼児を人質にとって納屋に閉じこもっているのを見ると,自ら髪を剃って,僧になりすまして納屋に近づき,盗人ににぎりめしを与えて,相手が油断した一瞬の隙に盗人に斬りかかって,幼児を救い出すのである。侍が髪を剃るということは,現在の自分をすべて捨て去るという重大なことであるにもかかわらず,勘兵衛はそれに躊躇することなく,幼児を助け出すために僧の姿に変身してしまう。さらににぎりめしで相手を油断させるなど,作戦も用意周到である。勘兵衛の人柄は映画の前半で展開されるこのエピソードですでに明らかにされている。4人の百姓が自分たちを救ってくれるのもまさにこのような侍だと思って,跪いて助力を願うのも当然のことである。勘兵衛は,沈着冷静で慎重な人物であるだけに,最初は「できぬ相談だな」と乗り気ではなかったが,百姓たちの嘆いているさまを見ているうちに,心動かされて手助けすることを決意した。しかし,40人の野武士を相手に戦うとなると,少なくとも7人の侍が必要だと判断し,自分を入れて侍を7人集めることにした。この侍集めがユーモアをも織り交ぜて展開されており,映画前半の見どころとなっている。

1人目の侍勘兵衛に続く2人目は,勝四郎(木村功)という,まだ元服して間もない若武者である。実はこの若侍はすでに勘兵衛が幼児を救い出す一部始終を見ていた人物であり,勘兵衛の人柄にたちまち惚れこんでしまい,自分を門弟にしてほしいと言いながら,勘兵衛の後を追いかけている経験未熟な若侍である。

3人目は五郎兵衛(稲葉義男)といい,それなりに腕の立つ侍である。そのことは,勝四郎が木賃宿の入口で試しに棒切れで打ちのめそうと構えているとき,五郎兵衛は入口の手前で「冗談が過ぎますぞ」と余裕たっぷりの返事をしていることからも明らかである。彼はどちらかと言えば,百姓への同情からというより,この勘兵衛の人柄に魅せられて,困難な仕事を引き受けるのである。いつもニコニコしている好感の持てる人物である。

4人目に加わってくるのは,勘兵衛の古くからの知り合いという七郎次(加東大介)である。加東大介が演じているとおり,丸顔の中に常に陽気さを湛(たた)えていて,物静かに微笑む人物である。彼は以前勘兵衛の忠実な部下であったが,負け戦でバラバラになっていたところ,この町で偶然にも勘兵衛に出会うこととなったのである。

5人目は平八(へいはち,千秋実)という,剣の腕前という点ではあまり冴えない侍ではあるが,正直で,ユーモアがあって,奥行きのあるおもしろい人物である。彼は腹が減ると,宿屋や茶屋に立ち寄って,めしを食わせてもらう代わりに薪割りをするというユニークな人物である。この町でも茶店の裏で薪割りをしているところを,五郎兵衛が見つけて連れて来たのである。五郎兵衛が言うように,「苦しいときには重宝な人物」である。

この5人目の平八と対照的に剣の達人として登場するのが,6人目の久蔵(きゅうぞう,宮口精二)という侍である。彼はこの町で一人の浪人と決闘しているところを,勘兵衛と勝四郎が見つけて,仲間に加えられた人物である。勘兵衛はこの浪人との決闘ぶりから,久蔵がかなりの腕前を持っている侍だとすでに見て取っていたのである。無表情で,寡黙だが,剣の腕前では頼りになる人物である。

最後に7人目は,これまたユニークで,菊千代(三船敏郎)と名乗っている人物である。ただそれは本名ではなく,またあとで分かるように,彼はもともと侍ではなく,百姓の生まれのようである。彼は勘兵衛が幼児を救い出した場面からすでに登場して,この勘兵衛のまわりをうろついていた。正式に7人目の侍に認められるのは,百姓たちの村に入ってからだが,この町では勘兵衛らのいる木賃宿にやって来たときは,ひどく酔っ払っていて,おまけに入口では勝四郎によって棒切れで頭をポカリと打たれてしまう有様である。とにかく奇妙な振る舞いをする,滑稽で,ユニークな存在である。

このように侍が7人揃ったところで,勘兵衛らは百姓たちの村に向かう。最初は村人たちは侍たちを恐れて,それぞれの家に隠れたままであったが,菊千代が板木(ばんぎ)を打ち鳴らしたことから,村人たちは野武士が襲撃してくるものと勘違いして,家から飛び出してくる。このときからの菊千代の滑稽な演技も見どころである。7人の侍はそれぞれ村の地形を調べたり,村人たちに竹槍の使い方を指導したりするが,そのときの菊千代の演技が滑稽で,とにかくおもしろい。スクリーンの中の子供たちと一緒に,劇場の私たちも笑わずにはいられないおもしろさである。後半は壮絶な戦いが待ち構えているだけに,前半はこの菊千代が緊張した場面を和らげてくれる。

前半はこのように7人の侍の個性が一人一人明確に描かれていて,ユーモアさえ感じさせる内容となっている。しかし,前半の圧巻は,何と言っても,前半の最終場面で村の外に家を持つ農民たちが「自分の家を捨てて,他人の家を守るために,こんなもの(竹槍)かつぐこたぁねぇ」と言いながら,持ち場を逃げ出そうとしたとき,勘兵衛が剣を抜いて厳しい形相で次のように農民たちを説き伏せる場面である。「他人を守ってこそ自分も守れる。おのれのことばかり考える奴は,おのれをも滅ぼす奴だ」この場面での志村喬の物凄く迫力のこもった演技が見ものである。

後半のあらすじと見どころ

5分間の休憩のあと,後半に入る。後半は麦の刈入れも終わると,いよいよその作物を目当てにして野武士の登場である。7人の侍たちは村のまわりに濠を掘ったり,柵を設けたりして,野武士の襲撃に備える。やがて3人の野武士が物見のため姿を現すが,今までとは様子が違い,村の中に入れない。そのうちこの村には侍がいると悟った野武士たちは,逃げて行くが,久蔵と菊千代,それに勝四郎が後を追いかけ,2人を倒してから,1人を人質にして戻って来る。その人質から野武士の居場所を聞き出すと,先を越して少しでも野武士を片付けようとして,久蔵と平八と勝四郎が百姓の利吉の案内でその場所に急ぐが,そのときの戦いで平八は野武士の種子ヶ島(たねがしま,火縄銃)に撃たれて命を落としてしまう。

村に帰って平八を埋葬しながら悲しみに沈んでいる中,菊千代は平八が生前作っていた旗を農家の屋根に高く掲げる。この場面も「侍たちのライトモチーフ」とも呼びたいようなあの印象的なテーマ音楽が奏でられて,感動の一場面である。このとき菊千代は屋根の上から遠くに野武士の群れがこちらに向かっているのを目にする。本格的な野武士との戦いの開始である。

村は濠と柵のおかげで,野武士の侵入を防ぐことができたが,柵の外にあった3軒の農家と水車小屋は野武士たちによって火をつけられてしまった。このとき村の長老の息子夫婦は水車小屋にいる父親を助け出そうとするが,野武士に殺されてしまった。持ち場を離れて,その水車小屋に向かった菊千代は,その息子夫婦のただ一人助かった赤子を抱きながら,「こいつは俺だ」と,かつての自分自身と重ねて嘆き叫ぶ。ここで菊千代の生い立ちが明らかにされていると言えよう。

その後,柵のところで攻防戦が展開され,村人たちは柵を越えて村に入ろうとする野武士を次々に仕留めていく。夜になって,勘兵衛は明朝におそらく押し寄せて来るであろう野武士たちを撃退する作戦として,狭い道から野武士を1人ずつ,多くてもせいぜい2人ずつ村に入れてから,気長に一つ一つ相手の頭数を減らしていくことを提案する。ただ一つ気がかりなのは,野武士たちが種子ヶ島を持っていることである。この暗闇の中でも試しに案山子(かかし)を立てたところ,2発が案山子に命中した。そこで種子ヶ島を奪い取って来ると言って,暗闇の中を駆け出したのが久蔵である。皆は一晩中,久蔵の身の上を心配するが,そのうち久蔵は種子ヶ島を一挺(いっちょう)手土産にして戻って来るや否や,何も言わずに自分の持ち場に腰を下ろして休息する。このような久蔵に若い勝四郎は惚れこんでしまう。久蔵の性格をよく表している場面である。

翌朝,予想どおり,野武士たちは馬に乗って一斉に攻め寄せて来た。村人たちは勘兵衛の作戦に従って,一人ずつ片付けていく。勘兵衛の作戦のおかげで,野武士たちはだんだんと数を減らしていく。そのうち昨夜の久蔵の行動を聞き知った菊千代は,自分も手柄を立てようと思い,持ち場を離れて野武士たちの潜んでいる森の中に入って行って,2人の野武士を倒して,種子ヶ島を一挺奪い取って戻って来る。しかし,勘兵衛は勝手な行動を取った菊千代に向かって,「抜け駆けの功名は手柄にはならん・・・戦(いくさ)は一人だけでするものではない」と叱り飛ばす。その後も攻め寄せる野武士たちは,弓をも使い始めた。野武士との壮絶な戦いが繰り広げられる中,五郎兵衛がついに種子ヶ島に撃たれてしまう。その日の戦いで五郎兵衛のほかに村人たちの中にも犠牲となった者が出たが,残る野武士の数はあと13人である。

明朝の決戦を前にして,村人万造(藤原釜足)の娘志乃(津島恵子)と勝四郎の恋物語が展開される。二人が密会をしているところを目撃した父親の万造は娘志乃を折檻して,二人の仲は皆に知れ渡ってしまう。

翌朝は豪雨である。激しい雨が降る中を13人の野武士が攻めて来た。この豪雨の中の決戦がこの映画のクライマックスであり,最大の見どころであることは言うまでもあるまい。黒澤明監督は3台のカメラを同時に使って,その決戦シーンを撮影したという。それだけに馬に乗って攻め寄せる野武士たちとの戦いの凄まじさがリアリティに描かれている。村人たちの懸命な働きもあって,野武士の数もあとわずかになるが,ついに剣の達人久蔵も種子ヶ島に撃たれてしまう。やがて菊千代もまた小屋の中で銃を構える野武士の親分に立ち向かい,撃たれてしまう。しかし,野武士の親分も菊千代の突き刺す剣の犠牲となった。これによって野武士は全員退治されたことになったが,7人の侍のうち生き残ったのは,リーダー格の勘兵衛と七郎次と勝四郎の3人だけであった。あまりにも犠牲は大きかった。

ラストシーンでは百姓たちが歌を歌いながら田植えに精を出している。勝四郎と前夜逢引きで関係を持った志乃も,勝四郎には冷たく振る舞い農作業に励んでいる。農民たちは侍の力を借りて,野武士を撃退することができたが,このラストシーンは侍と農民たちの間にはやはり壁があることを言い表しているのであろうか。勘兵衛は以前から知り合いの七郎次に向かって,「今度もまた負け戦だったな」という言葉に続いて,「勝ったのは,あの百姓たちだ。わしたちではない」と言う。もともとの脚本ではこの場面で勘兵衛は,「侍はな・・・この風のように,この大地の上を吹きわたって通り過ぎるだけだ。土はいつまでも残る。あの百姓たちも土と一緒にいつまでも生きる!」という台詞を口にすることになっていたようであるが,この台詞は削り取られている。私個人としては,この台詞があった方が映画の締め括りとしていいような気がするが,削除されたことによってこの映画の解釈が観客の自由に委ねられたかたちともなっている。その意味では,この方がよいのかもしれない。


以上,映画の前半と後半に分けて紹介してきたが,いずれにしてもこの映画はさまざまな魅力にあふれている。第一の魅力は,やはり何と言っても,巨額の費用を使って製作された映画としてのスケールの大きさと,合戦シーンのリアリティにあふれた映像表現であろう。オープンセットの農家や百姓の古びた衣裳なども,かなりの工夫が凝らされて,まことにリアリティに満ちている。第二の魅力は,7人の侍が一人一人まことに個性にあふれた侍として映像によって明確に描き分けられている点である。この映画の真のおもしろさは,その7人の侍の個性表現にあると言えよう。第三の魅力は,早坂文雄の音楽である。あの印象的な『七人の侍』のライトモチーフとも呼ぶべき音楽が,それぞれの場面の映像にうまく溶け合って,その場をよりいっそう盛り上げている。

唯一の欠点と言うべきは,登場人物の台詞があまりよく聞き取れないことである。ただ当時の録音技術からすると,仕方のないことかもしれない。しかし,それでもやはりこの『七人の侍』は「すばらしい」の一言に尽きる。製作されてからすでに56年の歳月が過ぎ去っているが,決して「古い」作品ではなく,見方によっては,現代でもまだ「生き生きとしている」作品である。出世や名声や名誉も,また報酬のことなどもまったく期待しないで,現在の自分を投げ捨てて困っている人々のために尽くす7人の侍の禁欲的な「気高い心」――このような「人間としての誇り」は,どのように時代が移り変わり,社会が発展して変わっていこうとも,いつまでも大切にしていきたいものである。