【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第67号
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○「知的感動ライブラリー」(40)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

黒澤明監督作品『八月の狂詩曲(ラプソディ)』(1991年,松竹)の解説

1. 映画『八月の狂詩曲』の製作

黒澤明監督は1990年に『夢』を作り上げたあと,休む暇もなく次の作品『八月の狂詩曲(ラプソディ)』に取りかかっている。松竹株式会社が黒澤監督に新作の製作費を提供し,またアメリカの人気男優リチャード・ギアにも出会うことができ,製作資金と出演者を同時に手にしたからである。黒澤監督はこの機会を逃さず,着実に仕事を進めて,短期間のうちに完成させたのが,この映画『八月の狂詩曲(ラプソディ)』(1991年,松竹)である。

黒澤監督がこの映画の着想を得たのは,芥川賞を受けた村田喜代子の『鍋の中』という小説で,現実と幻想を区別して話ができない年老いたおばあさんの話である。黒澤監督は構想を練っているうちに,映画の内容は原作から大きく離れていって,最終的には黒澤監督が最も強い関心を抱くテーマを取り上げることとなった。すなわち,『生きものの記録』(1955年)や『どですかでん』(1970年),あるいは前作の『夢』(1990年)の一部に見られる,核による破壊とそれに伴う環境汚染というテーマである。しかもこの映画では1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾を真正面から取り上げて,その原爆で夫を失った老婆を中心に据えて,その孫たちから見た長崎原爆の物語を展開させたのである。

2. 映画『八月の狂詩曲』のあらすじ

長崎市郊外の田舎に一人で暮らすお祖母ちゃん(鉦かね,80歳,村瀬幸子)は,ある日,ハワイから手紙をもらった。それによると,ハワイの大富豪の錫二郎(すずじろう)という人が不治の病で,死ぬ前にお祖母ちゃんに会いたいというのである。手紙の差出人はその錫二郎の息子クラーク(49歳,リチャード・ギア)である。錫二郎はどうやらお祖母ちゃんのお兄さんで,1920年にハワイに移住して,パイナップル農園で成功したらしいのだが,しかし,お祖母ちゃんには錫二郎という兄さんの記憶がまったくない。そこでお祖母ちゃんの息子忠雄(50歳,井川比佐志)と娘良江(45歳,根岸季衣)がひとまず見舞いを兼ねてハワイの大富豪の親戚のもとへ飛んだ。そのためその二家族(忠雄と良江)の子供たち四人(お祖母ちゃんの孫たち)が,お祖母ちゃんのもとで夏休みを過ごすこととなったのである。映画のあらすじはこのあたりから始まる。

その四人の孫たちとは,忠雄の娘たみ(17歳,大寶智子)と息子の信次郎(14歳,伊崎充則),それに良江の息子縦男(たてお19歳,吉岡秀隆)と娘みな子(16歳,鈴木美恵)の四人である。大学生となった縦男はお祖母ちゃんの家にある古いオルガンを直すことに懸命になっている。四人がお祖母ちゃんのもとで暮らしているうちに,ハワイへ出かけた彼らの父(忠雄)と母(良江)から手紙が届く。それによると,噂通り,錫二郎さんのパイナップル農園はとても大きくて,家もかなり大きいという。ただ病の床についている錫二郎さんが会いたいのはお祖母ちゃんなので,是非とも四人の孫たちと一緒にすぐにハワイへ来るようにと書いてある。四人の孫たちは大喜びで,お祖母ちゃんを説き伏せようとするが,お祖母ちゃんはなかなか決心がつかない。孫たちは長崎市内の原爆の傷跡を訪ねたり,お祖母ちゃんの昔の話を聞いているうちに,少しずつ,原爆でお祖父ちゃんを亡くしたお祖母ちゃんの気持ちが分かってきたような気がした。一方,お祖母ちゃんも,新たに届いた手紙で錫二郎さんがお兄さんだと確認できたので,やっとハワイへ行く気になるが,ただし8月9日のお祖父ちゃんの命日が過ぎてからということになった。孫たちは大喜びでその旨を電報でハワイの親戚へ知らせた。

その電報と入れ違いに忠雄と良江がハワイから長崎の実家に戻って来た。それと同時に忠雄の妻町子(43歳,茅島成美)と良江の夫登(47歳,河原崎長一郎)もやって来て,四人の大人たちはハワイの大金持ちの親戚のことを話しながら,いずれはその缶詰工場の日本代理店の要職に就く夢などを語り合っている。このような大人の話にうんざりするのが,お祖母ちゃんと四人の孫たちである。四人の大人たちが打算的な話をしているときに,お祖母ちゃんと四人の孫たちが庭に出て,いすに腰掛けて月を眺めているシーンはとても印象的である。

そこへ突然,ハワイのクラークさんより電報が届いて,長崎を訪問したいという。受け取った電報によって叔父さんが原爆で亡くなったことを知ったためである。忠雄と良江は子供たちが原爆のことを電報の中に書き入れたことを知ると落胆してしまう。錫二郎さん一家はアメリカ国籍であり,もう親戚付き合いはしてくれないだろうと考え,今回の長崎訪問もその話に区切りをつけるために違いないと思ったからである。

ところが,長崎空港へ出迎えに行くと,クラークさんはたどたどしい日本語で「ワタシタチ,オジサンノコトシッテ,ミンナデ,ナキマシタ」と言う。クラークさんは原爆で亡くなった叔父さんのことについて何も知らなかったことを詫びるため,そして8月9日の命日が過ぎたら叔母さんやその孫たちをハワイへ連れて行くために,長崎を訪れたのだと打ち明ける。長崎に到着してまず最初に訪れたのも叔父さんが原爆で亡くなった小学校の校庭である。ちょうどそのとき,原爆で亡くなった生徒たちの級友が原爆のモニュメントを掃除する光景を目にして,クラークさんは原爆の悲惨さをひしひしと感じるのであった。その夜から,クラークさんはホテルではなく,叔母さんの家に泊まることとなった。クラークさんとお祖母ちゃんは縁台で,言葉少ないが,心温まる会話を交わしている。最後に二人は手をしっかりと握り合って,互いに感謝の言葉を交わす。月明りに照らされて,とても美しい光景である。一方,縦男が懸命になって直していたオルガンもとうとう直ったようである。縦男たちが直ったオルガンの伴奏で「野ばら」を歌っているところへ,クラークさんも加わり,子供たちの心温まる歓迎に感謝する。

8月9日の原爆犠牲者追悼集会も終わり,ハワイ行きを前にして四人の孫たちとクラークさんは近くの滝へ遊びに出かけていると,そこへ突然電報が届いた。それはクラークさんの父錫二郎さんの訃報を伝える電報であった。クラークさんはあわただしく一人でハワイへ帰って行った。忠雄と良江が子供たちと一緒にクラークさんを見送って戻って来ると,お祖母ちゃんは錫二郎さんの写真を握りしめて,泣いていた。このときからお祖母ちゃんの心の時計が反対に回り始めたのである。その夜は激しい雨が降り,雷も鳴った。雷が鳴ると,お祖母ちゃんは「ピカじゃ!」と叫びながら,孫たちの寝ているところへ来て,白いシーツを被せる。ピカにはそれが一番いいと言うのである。

翌日,孫たちはお祖母ちゃんがいないことに気づく。お祖母ちゃんの友人が知らせてくれたことによると,お祖母ちゃんは今日の雲行きはちょうどあの原爆投下の日によく似ているので,あの日と同じように長崎市の方に向かって駆け出して行ったという。空を見上げると,黒い雲が現れて,突然嵐のような雨が降り出した。孫たちは激しく降る雨の中へ飛び出して,お祖母ちゃんのあとを追いかける。忠雄と良江も子供のあとから追いかける。お祖母ちゃんは嵐の中を傘さして長崎市に向かって駆けている。そのあとを四人の孫たちが必死になって追いかけている。ひどい嵐である。お祖母ちゃんの傘がすっかり壊れてしまった瞬間,シューベルトの「野ばら」の合唱が響き始める。激しい嵐を背景にして,美しい「野ばら」の合唱という印象的なラストシーンでもって映画『八月の狂詩曲』は終わるのである。

3. 「沈黙」と「野ばら」のモチーフ

映画『八月の狂詩曲』でまず最初に重要なことは,「沈黙」が多くのことを語っているということであろう。オープニングのクレジット・タイトルバックは夏の空が画面いっぱいに描かれて,音といえば自然音だけで,音楽は使われていない。映画の冒頭からすでに「沈黙」がモチーフになっていることが分かる。クレジット・タイトルバックが終わると,やがて縦男の弾くシューベルトの「野ばら」のメロディが流れてくるが,そのオルガンは壊れていて,リズムも狂っている。どうやらこの映画のモチーフは「沈黙」と「野ばら」の二つと言えそうである。

「沈黙」で最も目立っているのは,四人の孫たちがお祖母ちゃんの家で過ごしているうちにお祖母ちゃんの友人が訪ねてきた折りの場面であろう。孫たちが家の中にすわっている二人を覗いて見ても,二人は何の会話も交わしていない。二人の老婆は無言で向かい合ったままである。夏の涼風が時折すだれを動かしているだけで,この「沈黙」の場面はかなり長く続く。この「沈黙」を不思議に思った孫の信次郎がそのわけを尋ねると,お祖母ちゃんは「話ばするとき,黙っとる人もあっとじゃ」と答える。ここで黒澤監督は,「沈黙」の映像はセリフとして口にする言葉よりはるかに重要で,はるかに意味があり,またはるかに印象深いということを表現しているのである。

またこの「沈黙」のモチーフは,叔父さんが原爆で亡くなった小学校の校庭でかつてのクラスメイトたちが原爆モニュメントを掃除する場面でも用いられている。そこでは忠雄がクラークさんに小声で,掃除をしているのは原爆で級友を亡くした人たちだと説明するだけである。その場面でスクリーンに映し出されるぐにゃぐにゃに曲がってしまったジャングルジムは,この映画のために作られたものとのことであるが,とてもリアルに作られていて,そのジャングルジムと「沈黙」の映像だけで原爆の脅威をより強烈に表現していると言えよう。

さらにまたこの「沈黙」のモチーフは8月9日の原爆犠牲者追悼集会の最中にも用いられている。黒澤監督はこの追悼集会を平和祈念像のある平和公園の大群衆の中で撮るのではなく,田舎の小さなお堂の中での老人たちの読経で撮っており,そこでも聞こえてくるのは老人たちの読経だけである。クラークさんと信次郎はその老人たちの読経の声に耳を傾けているが,そのうち幼い信次郎は庭を横切って草むらへ消えてゆく長いアリの行列に気を取られてしまう。カメラは読経が流れる中,人間の世界を離れて自然の中に入って行く。カメラの目を追って観客も草むらに分け入り,アリたちに従って自然の奥へ奥へと進む。やがてアリたちは一本の植物の茎に辿り着いて,上へ上へと登って行くと,一つの花びらに到達する。「赤いばら」の花である。そのアリの様子を窺っていたクラークと信次郎は,その間,何の言葉も交わさずに,アリの辿り着いたところが「赤いばら」の花だと知ると,互いに微笑んで肩を寄せ合う。アリと「赤いばら」にクラークと信次郎が関心を寄せるこの場面は,何の説明もないままであり,それだけに印象深く,また美しい場面でもある。「赤いばら」はクラークと信次郎の心が溶け合った人類愛あるいは希望または平和の象徴的世界の表現なのであろうか。すべては映画の観客に委ねられたかたちとなっていて,とても印象的な場面である。

さらにまたこの「沈黙」のモチーフは,これまでとは違った方法ではあるものの,当然のことながら最終場面にも用いられている。お祖母ちゃんは嵐の中を傘さして長崎市に向かって駆けている。四人の孫たちは必死になってそのあとを追いかけている。激しい嵐であるが,嵐の音以外には何も聞こえてこない。激しい嵐の音によって,孫たちの叫ぶ声もすべて断ち切られてしまっている。これも「沈黙」のモチーフに数え入れてもよいであろう。やがてその「沈黙」の中から,お祖母ちゃんの傘が壊れた瞬間,シューベルトの「野ばら」のメロディが響き出してくる。しかもその「野ばら」は驚くほど壮麗にオーケストラによって編曲され,それをバックに少年合唱隊の大コーラスが「野ばら」を高らかに歌い上げる。嵐と美しい歌声が著しいコントラストを成して,まったくすばらしい瞬間である。それは別世界の天国を暗示しているようにも思え,また若者たちの新しい未来の世界をイメージしているようにも思える。激しい嵐の中から美しい世界が生まれ出る黒澤世界の表現でもある。この最終場面をどのように解釈するかについても,それぞれの観客に委ねられたかたちとなっている。この緩やかな締め括りによって映画『八月の狂詩曲(ラプソディ)』はとても印象的な作品へと昇華されたと言えるのである。

4. 映画の見どころ

映画『八月の狂詩曲(ラプソディ)』の見どころは,何と言っても,嵐の中の最終場面であろう。黒澤映画には必ずと言ってよいほど嵐の場面が出てくるが,この映画の最終場面の嵐も,冒頭の夏空と著しいコントラストを成して,独特なものである。時間が原爆投下の日に戻ったと思い込んだお祖母ちゃんは,激しい嵐の中を長崎市に向かって駆けて行く。背景は激しい嵐であるが,ここで黒澤監督はその嵐の中から美が生まれ出る瞬間をうまく描いている。この激しい嵐の中から,お祖母ちゃんの傘が壊れた瞬間,美しいメロディが生まれ出るのである。混沌から秩序が生まれ出る瞬間である。この美しい「野ばら」の歌声によってラストシーンはさわやかな締め括りとなっている。とても印象的な,すばらしいラストシーンと言ってもよいであろう。

お祖母ちゃんは最後になってこのように原爆投下の当時にタイムスリップするのであるが,実はこのことを暗示する場面が最初の方に見られる。お祖母ちゃんが孫たちに話して聞かせる話の中で,鉈吉(なたきち)という名の兄さんの話が出てきて,縦男とたみはその話題の「心中の木」を見るために林の中に入って行く。そこで縦男とたみは一瞬,鉈吉伯父さんの時間にタイムスリップして,無意識のうちに鉈吉伯父さんと同じセリフを口にしてしまうのである。脇道にそれるエピソードでありながら,この「心中の木」のエピソードはお祖母ちゃんがあとで昔にタイムスリップすることをほのめかしているのである。この林の中のシーンも,神秘的な世界に迷い込んだような気持ちにさせるのも,この映画の見どころである。

お祖母ちゃんの話を聞いて出かけて行った滝の場面も見どころの一つであろう。滝の中から蛇が孫たちの方に向かって泳いでくる場面はものすごい迫力である。このものすごいスピードで泳ぐ蛇と対照的に,ゆっくりと歩き回るのが8月9日の原爆犠牲者追悼集会の折りのアリたちである。このアリたちの撮影については大変苦労したとのことである。最初はなかなかアリが動いてくれずに,場所を変えてやっとアリがうまく演技をしてくれたという。このような細かなところも見逃してはならないだろう。さらに蛇の目は「ピカの目」に通じているのに対して,アリは観客を「赤いばら」の平和的世界へ導いている点でも,コントラストを成していておもしろい。

またこの映画における音楽の効果も見事である。孫たちが長崎の平和公園で各国から贈られた慰霊碑を見て回る場面で流れる音楽は,ヴィヴァルディの『スタバート・マーテル(悲しみの聖母)』である。この『スタバート・マーテル(悲しみの聖母)』の音楽は小学校の原爆モニュメントをかつての級友たちが掃除する場面でも用いられており,画面と音楽によって原爆の悲惨さがひしひしと実感される。これらの場面に最も適した音楽と言ってよいだろう。

最後に,四人の孫たちの中で最も幼い信次郎の演技もまた特に見事である。河童に扮して皆を脅かす場面といい,クラークさんに「ディス・イズ・ユアー・ベッド!」などと説明する場面といい,この信次郎がこの映画にユーモアを取り入れる役割を果たしている。またお祖母ちゃんと四人の孫たちが縁台にすわって月を見ている場面で,信次郎だけが足をぶらぶらさせている。何でもないことのように思われるが,そこに幼さが表現されていて,とてもほほえましい演技である。この信次郎がほほえましいユーモアを展開させることによって,この映画は原爆という深刻なテーマを取り扱いながらも,どこかさわやかな印象をも与える映画へと昇華されたのである。映画『八月の狂詩曲(ラプソディ)』は四人の孫たちから見た原爆の物語であり,ところどころにユーモアを展開させながら,愛と希望と平和へのメッセージをその根底に織り込んだ心温まる映画であると言ってよいであろう。

(上映時間 1時間37分)