【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第66号
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○「知的感動ライブラリー」(39)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

ショパン『別れの曲』(1934年ドイツ)の見どころ

今年(2010年)はピアノの詩人と称えられるポーランドの作曲家フレデリック・ショパン(1810-49)の生誕200年で,さまざまなコンサートでショパンの曲が演奏されていますが,私たちのこの「知的感動ライブラリー」でも今回はショパンの恋物語『別れの曲』(1934年ドイツ)を紹介することにしましょう。この映画はショパンのエチュード(練習曲)第3番ホ長調がわが国日本で『別れの曲』と呼ばれるきっかけとなったものですが,そのほかにもショパンの名曲の数々が映画の随所にちりばめられていて,感動的な作品に仕上がっています。ここではこの映画の見どころについてまとめておきましょう。

この映画の時代背景は1831年ポーランドの首都ワルシャワ,ポーランドの青年たちがロシアに反抗して祖国の独立運動を起こそうと画策していた時代です。毎日ピアノに向かい,作曲家としての才能の片鱗を見せ始めた21歳の青年フレデリック・ショパンも,その胸には祖国愛を燃え上がらせ,ロシアへの反乱を企てる秘密集会に参加しようとしています。それを憂えたショパンの音楽教師エルスナーは,「君の使命は政治ではなく,音楽だ」と説得しながら,なんとかしてショパンにそれを思いとどまらせようとしています。3日以内に蜂起しようと決意したショパンの仲間たちも同様に「彼の武器は剣ではなく,天から授かった音楽の才能だ」と考え,ショパンには内緒で,彼をこの町から去らせようと音楽教授エルスナーに相談します。ちょうどそこへウィーンでの演奏会開催が決定したとの朗報が届いて,エルスナー教授はウィーンのあと芸術の都パリへ連れ出すことを決意します。恋人コンスタンティアの18歳の誕生日に新しい曲(これがのちに『別れの曲』と呼ばれるようになる)を捧げて戻って来たショパンに向かって,エルスナー教授はさっそく明日の朝ウィーンへ出発することを伝えますが,ショパンは恋人コンスタンティアが演奏旅行に賛成すれば,出発するが,反対したときにはこの地にとどまることにします。

ちょうどその日はコンスタンティアの歌手としてのデビューの日でもあり,コンスタンティアは慈善コンサートで,有名なパガニーニのヴァイオリン演奏のあと歌を歌うことになっていました。そこへエルスナー教授は出かけて,コンスタンティアに向かって,3日後に蜂起があることを知らせて,ショパンの演奏旅行に賛成するように頼みますが,ショパンを愛している彼女はそれを拒みます。彼女は裕福な商売人グラボスキーからも求婚されていましたが,芸術の世界にあこがれて生きることを考えていた彼女の想いはショパンに向けられていたのです。慈善コンサートでもショパンから贈ってもらった曲を歌っているコンスタンティアを見て,エルスナー教授もあきらめかけますが,しかし,歌い終えたコンスタンティアは駆け寄ってきたショパンに向かって,裕福な人(グラボスキー)との結婚を考えていると伝えます。愛しているがゆえに,コンスタンティアがショパンに嘘をつくこの場面ももちろん見どころです。

翌朝,ショパンはエルスナー教授とともにウィーンに向けて出発します。そしてウィーンのあとは芸術の都パリです。エルスナー教授の懸命な交渉で,パリの一流ピアノ店を経営していたプレイエルが小さなコンサートを開いてくれることになりました。小さなコンサートでしたが,そこには劇作家ヴィクトル・ユゴー,デュマ,叙情詩人ミュッセ,女流作家ジョルジュ・サンド,バルザックなど,多くの有名人が聴衆に加わっていました。ショパン自身,なぜこのような著名人が無名な自分の演奏に興味を持つのか,不思議に思いますが,主催者のプレイエルによると,「君がポーランド人だからですよ」と言いながら,新聞の号外を見せて,ポーランドで反乱があったことを知らせます。仲間たちが祖国のために戦っていることを思い浮かべると,ショパンは興奮して心を乱したまま,演奏会場のピアノの前にすわります。曲目はモーツァルトの交響曲からメヌエットを演奏することになっていましたが,弾き始めた瞬間,ポーランドの反乱を頭に描き出して,突然自分の曲『木枯らしのエチュード』を弾き始めました。ショパンが求めたのはもっと激しい情熱に満ちた曲だったのです。主催者プレイエルはもちろん,批評家カルクブレンナーやジョルジュ・サンドをはじめ,会場の皆が驚いてしまいます。この『木枯らしのエチュード』演奏の間,背景にポーランドでの反乱のさまが描き出されて,この映画の最初のクライマックスであることは確かです。しかし,このような激しい情熱の曲をこれまでパリの聴衆は聴いたことがありませんでした。そのため演奏後の評判は二つに分かれてしまいました。批評家カルクブレンナーなどは憮然と席を立ち上がりましたが,会場では熱い拍手が沸き起こり,なかでもショパンに特別な興味を覚えたのがジョルジュ・サンドでした。

その頃,祖国ポーランドでは革命に関わった仲間たちは捕らえられ,処刑されました。処刑の銃声を耳にして,コンスタンティアはショパンがこの地にとどまっていたら,「ショパンも処刑になっていた」と,複雑な気持ちになるのでした。

思い余って自分の激しい曲を弾いてしまったショパンは,なぜ仲間たちが自分を呼んでくれなかったのかと,翌日はひどく落ち込んでしまいます。エルスナー教授は新聞の批評を持って来て,批評家たちの批評を読んで聞かせますが,いずれも酷評ばかりでした。しかし,一つだけ「すばらしい。彼は100年に1度しか現れない天才だ」と評価するものがありました。ジョルジュ・サンドの批評でした。ショパンの方もジョルジュ・サンドが自分の演奏会会場に来ている姿を見て,その美しさに目を奪われ,興味を持っていましたので,彼女の本を手にして,レストランでそれを読み始めました。そこへ男装姿のジョルジュ・サンドが現れて,言葉を交わしますが,ショパンがそれに気づいたのは,彼女が店を出て行って,ボーイに尋ねてからでした。

ジョルジュ・サンドは「フィガロ編集部」でロンドンから戻ってきたばかりのフランツ・リストと会って,新しい天才音楽家のお披露目に協力してほしいと依頼します。そのリストとショパンが出会う場面は,また感動的です。リストは一台のピアノの楽譜台に置かれている楽譜を弾き始めると,自分の曲が自分よりも上手な演奏家によって弾かれていることに気づいて,ピアノのところに戻り,その背後のピアノにすわって,リストと連弾を始めました。曲はショパンの『英雄ポロネーズ』です。二人は互いに相手が誰であるのかを察し,二人の演奏が頂点に達すると,握手を交わしたいのですが,弾くのを止めることはできません。そこで二人は片手で演奏し,残りの片手でがっしりと握手を交わします。この場面が二番目のクライマックスでしょう。何度観ても音楽とともに感動的な場面です。演奏しながら,リストの話すところによると,ショパンは近くオルレアン侯爵夫人宅に招待され,そこで新しい友達と再会できるだろうということです。新しい友達とはもちろんジョルジュ・サンドです。ショパンは有頂天になります。

ショパンの想いはジョルジュ・サンドに傾く一方で,ワルシャワのコンスタンティアはエルスナー教授から手紙をもらって,馬車に乗って,ショパンのいるパリに向かいます。

そのパリではオルレアン侯爵夫人宅で夜会が催される日がやってきます。そこへショパンはエルスナー教授とともに招待されて,リストによってジョルジュ・サンドに紹介されます。彼女は彼に向って,「今夜は何があっても,私の指示に従ってほしい」と言います。そしてリストはその夜会に来ていた批評家カルクブレンナーの要求に応えて,自分の演奏を披露すると伝えます。食事のあと,皆は音楽ホールに移ります。リストは演奏を始めるにあたって,「今日は雰囲気を出すために,会場を暗くして演奏する」と伝えます。明かりは次々に消されるか,持ち運ばれるかして,会場は真っ暗になったところで,演奏が始まります。リストが演奏し始めたのは,ショパンの練習曲第12番「革命のエチュード」でした。ショパンはジョルジュ・サンドに手を引かれて,暗闇の会場の中に入って行きます。リストのすばらしい演奏に誰もがうっとりします。批評家カルクブレンナーもエルスナー教授からこの曲がショパンの曲だと知らされると,「リストが弾けば,どんな曲でも傑作に聴こえるものだ」と評します。そのうちジョルジュ・サンドが明かりを手にして舞台に上がると,いつの間にか演奏していたのはショパンで,リストはピアノのそばに立って聴いているのでした。皆は驚きます。ショパンの才能が認められた瞬間でした。

その夜,ジョルジュ・サンドはこれまで付き合っていたミュッセと別れて,ショパンとともに馬車に乗って,オルレアン侯爵邸をあとにします。

その頃,コンスタンティアはパリに到着し,ショパンの帰りを待ちます。しかし,やがて戻って来たのは,エルスナー教授だけでした。一晩待ってもショパンは戻って来ません。朝になってようやく戻って来ますが,そのときコンスタンティアはびっくりさせようと,玄関で出迎えずに部屋に残ったままです。有頂天になって戻って来たショパンは,これからジョルジュ・サンドとともにマジョルカ島に出かけることになったと伝えます。それを部屋の中で聞いたコンスタンティアは,ショパンと対面しますが,「通りがかりに寄っただけよ。今夜にはここを発つわ」と言います。コンスタンティアはまたもや嘘をつきます。しかし,そのあと本心を明かして,以前嘘をついたことと,今でもショパンを愛していることを打ち明けるものの,「でも私たちは一緒になれない。あなたのような天才は皆のもの。私だけのものじゃない」と言います。このときのコンスタンティアのセリフが切なくて,哀しく,また美しくもあります。コンスタンティアはただ最後のお願いとして,自分のために作ってくれた曲を弾いてほしいと頼むだけです。ショパンはピアノに向かって,彼女のために作った曲を弾き始めました。これがわが国では『別れの曲』と呼ばれているものです。なんと切なく,哀しい曲となったことでしょう。ショパンが遠く自分の手の届かぬところへ行ってしまうことを悲しむコンスタンティアに向かって,エルスナー教授が「私も一緒に帰るよ。彼にとって私たちはもう不要な人間なんだ。仕方のないことさ。これが人生だ」と言うエンディングは,言いようのない程,切なくて,哀しいこと限りありません。それでもまた,否,まさに切なくて哀しいがゆえに,また繰り返し観たくなる映画です。恋物語と音楽とが見事な調和を保ちながら,私たち人間の心を揺さぶる名画と言ってよいでしょう。是非,この機会にご鑑賞ください。