【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第66号
メールマガジン「すだち」第66号本文へ戻る


○富山県射水市新湊博物館が開催した企画展
 「伊能忠敬と地域の測量家たち-岡崎三蔵・石黒信由」

富山県射水市新湊博物館学芸員 野積正吉氏寄稿 (2010/07/05)

富山県射水市新湊博物館の企画展「伊能忠敬と地域の測量家たち」は,江戸時代後期にきわめて精度の高い地図を作製した3人の測量家-伊能忠敬,岡崎三蔵,石黒信由の業績をひろく紹介するために開催されました。展覧会は数多くの人たちで賑わい,航空写真もない江戸時代後期にこのような素晴らしい地図が作られていたこと,また自らの足で歩いて測ったことなどに感嘆の声が上がっていました。
日本全国を歩いて測量し,日本図を作製したことで有名な伊能忠敬(1745~1818)の地図は伊能図と呼ばれています。徳島大学附属図書館が所蔵する伊能図は,日本全国を描く中図7点と豊前(大分県)周辺の大図3点です。徳島藩蜂須賀家が忠敬の協力者で大坂の間重富(はざましげとみ)を通じて忠敬から入手したもので,いずれも針穴のある精巧な副本です。
また徳島藩の測量家,岡崎三蔵(1742~1822)らは藩から命じられて阿波・淡路の測量を行い,きわめて精度の高い地図を作りました。一村ごとに測量を行って村絵図を作製し,それを郡単位にまとめて郡図に編集し,さらに阿波・淡路の国絵図に仕立てました。およそ45年にも及ぶ大事業でした。
さらに越中(富山県)にも優れた測量家,石黒信由(1760~1836)がいました。加賀藩から加賀・能登(石川県)・越中の測量を命じられた信由は,自ら工夫改良した精巧な測量器具を用いて主要街道沿いに測量を行い,7年後に高精度の地図を作製しました。
岡崎・石黒といった藩の測量家同士の直接的な交流はみられませんが,伊能忠敬は全国測量の途中,享和3年(1803)越中で信由と,文化5年(1808)阿波で岡崎三蔵の息子夫左衛門らに出会いました。信由は忠敬使用の測量器具に感心し,それをヒントに強盗式(がんどうしき)磁石台を考案しました。一方,阿波では夫左衛門が武内武助と称し手伝い人に紛(まぎ)れて伊能測量隊に参加したと伝えられています。忠敬の測量方法は格別変わったところはないとしながらも,測量器具はたいへん優れており,一式所持したいと述べています。忠敬が使っていた精巧かつ最新の測量器具が,地域の測量家たちの注目を集めています。
彼らに共通するのは自ら工夫改良した精巧な測量器具を用いて精度の高い実測図を作製し,近代地図への橋渡しの役割を果たしたことです。江戸時代後期,わが国における測量術などの学問・技術は大きく発展し,幕末から明治以降ヨーロッパの近代科学を受容する母胎となりました。

メールマガジン「すだち」第66号本文へ戻る