【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第62号
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○「知的感動ライブラリー」(35)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

黒澤明監督『まあだだよ』(大映,電通,黒澤プロ1993年)のおもしろさ

黒澤明監督・脚本の映画『まあだだよ』は大映,電通,黒澤プロ製作によって1993年4月に公開されたもので,黒澤明監督の遺作となった作品である。この映画は,随筆家として今もなお人気の高い内田百閒(うちだひゃっけん1889-1971)とその門下生たちとの心の触れ合いを描いたものである。

内田百閒(本名内田栄造)は,1889年(明治22年)岡山県に生まれ,岡山第六高等学校を経て,東京帝国大学文学科で独逸文学を専攻した。その学生時代から夏目漱石に傾倒し,芥川龍之介らとともにその夏目漱石門下生の一人ともなった。卒業後は,陸軍士官学校や法政大学などでドイツ語教師を務めるかたわら,小説や随筆を発表し,とりわけベストセラーとなった『百鬼園随筆』で独特の文学世界を確立した文学者である。黒澤明はこの随筆家の多くの著作からエピソードを拾い出して,そこから自由に映画としてのストーリーを組み立てている。ストーリーとしてはそれほど取り立てて論じるほどのものではないが,しかし,そこには黒澤明監督自身の言葉どおり,「今は忘れられている,とても大切なものがある」ことは確かである。

この映画のストーリーは,昭和18年,内田百閒先生(松村達雄)がドイツ語教員として30数年間勤めてきた大学を退職して,作家業に専念することになったところから始まる。教師として最後に教壇に立った日,高山という門下生の息子でもある教え子(吉岡秀隆)が百閒先生を称えてこう言う。「学校の先生をやめても,先生は先生です。先生は金無垢(きんむく)です。混ぜもののない金の塊。本当の先生だという意味です。先生は僕たちにドイツ語以外になんだかとても大切なことを教えてくれたような気がします。」百閒先生は,一言で言えば,金無垢先生ということであろう。教え子たちからいつまでも「人生の先生」として慕われ続ける存在であり,時代は違っても同じドイツ語教師の私としては,とても到達できないような,まことにうらやましい限りの理想の教師である。

百閒先生が教員を退職して,ある家に引っ越したときにも,高山(井川比佐志),甘木(所ジョージ),桐山(油井昌由樹),沢村(寺尾聰)の4人は,もちろんその手伝いにやって来た。その引っ越し先の家は,家賃がとても安いというが,それもそのはず,泥棒が入りやすい家という評判なのである。奥さん(香川京子)は泥棒が入るのを怖がるが,しかし,百閒先生は「泥棒が入れない方法を編み出した」という。その夜,試しに高山と甘木の2人がこっそりと先生宅に忍び込んでみると,壁に貼り紙がしてあって「泥棒入口」もあれば,「泥棒通路」もあり,おまけには灰皿付きの「泥棒休憩所」まであった。これでは泥棒も参ってしまうことであろう。2人は笑いながら夜道を帰って行った。

百閒先生を慕う門下生たちは,いろいろと理由をつけてやって来るので,先生は面会日を毎月1日と15日と決め,しかも狭い玄関に書き物机を置いて,仕事をしながら見張りまでしている。ところが,先生が還暦の60歳になった誕生日を迎えた日は特別で,先生の方から多くの門下生たちを呼んで,鍋物をすることになった。その鍋物は馬と鹿の肉を使ったものなので,まさに「馬鹿鍋」である。その「馬鹿鍋」を食べながら,先生と門下生たちが語り合う場面が,これまた楽しくてたまらない。百閒先生が肉屋で馬の肉を買っているときに,そこを通りかかった人の連れていた馬が先生の方を振り向いたエピソードを語る場面は,決して見逃してはならない,見どころの一つである。また百閒先生が暗がりと雷が大の苦手であることを語る場面もおもしろい。「暗がりが平気だなんて奴は,人間的に欠陥がある。想像力に欠けているんだ」と語るところからすると,先生には普通の人に見えないものが想像力によって見えるのであろう。この非凡な想像力が映画後半の猫ノラのエピソードにつながっていくのである。

その還暦祝いの「馬鹿鍋」の夜,空襲があり,百閒先生の家も焼けてしまった。大好きな鴨長明の『方丈記』だけを持って,奥さんとともに命からがら逃げ延びた先生は,ある男爵の屋敷のそばにある庭番の小屋に住むことになった。三畳敷の,見るからに狭い部屋である。この小屋への引っ越しの際にも,例の4人が手伝うが,後日,高山と甘木の2人が先生とお酒を飲む場面もまたおもしろい。最後には夜空に満月が出てきて,みんなで「出た,出た,月が,まーるい,まーるい,まんまるい,盆のような月が」と繰り返し歌い始めた。小屋から皆で満月を眺める場面には感動せずにはいられない。物質的には貧しいが,なんと心は豊かなことか!「月という,あんないいものがあるのを忘れてましたね」という言葉には,私も共感を覚える。物質的には豊かであるが,人の心は貧しいと言わなければならない現代社会への黒澤監督の警鐘と捉えるべきであろう。この小屋で先生と奥さんが二人で,紅葉の秋と雪の降る冬を過ごすシーンは,なんとも微笑ましい。幸せというものは,こういうものなのではないだろうか。物質的な貧しさの中にも幸せは確かにあるのである。

そのようにして迎えた昭和21年の春,門下生たちによって百閒先生の誕生日を祝う第一回「摩阿陀会」(まあだかい)が開かれた。またまだ長生きしそうな先生にちなんで,例の4人が先生の誕生日会をそのように名付けたもので,その年から毎年,先生の誕生日に催すことになったのである。この第一回の「摩阿陀会」の場面がこれまたおもしろい。百閒先生の両隣には主治医の小林(日下武史)と住職の亀山(小林亜星)が座っていること自体がおもしろい。門下生の一人一人のスピーチもおもしろいし,また主賓席に座っている先生に会社の重役となった門下生が挨拶に行った折りに,先生が彼に向って言う言葉が最高におもしろい。「君,重役ということについて考えたことがあるかね。重役の重(じゅう)は重病人の重,重罪の重,重労働の重だ。重役になったからといって威張っていてはいけない。そういう者は重役(じゅうやく)ではなく,重役(じゅうえき)にかけなくちゃいけない。」このような調子でとにかくおもしろい。私はこのようなユーモアが大好きだ。このようなユーモアがこの映画のおもしろさであり,そのおもしろさはこの「摩阿陀会」の場面だけではなく,そのあともまだまだ続く。

空襲以来,小屋に住んでいる百閒先生に門下生たちが新しい家を贈ろうと計画していた家が完成すると,やがて先生夫婦はその新しい家にまたまた引っ越すが,そのときにも手伝うのが例の4人である。百閒先生はその家の庭にドーナツ型の池を作るが,そのようにドーナツ型にしたのも「鯉の背骨が曲がらないように」するためと,「無限の大きさの中で伸び伸びと泳げるように」との配慮からである。先生の考えることは,普通の人とは違うのである。また家の離れには池のそばに先生の書斎を作ったが,その部屋の名前も「金閣寺」ではなく,「禁客寺」(きんかくじ)と名付けた。先生の遊び心がいっぱいの家である。

その家で百閒先生はノラという名前の猫を飼って悠々と過ごしていたが,そのノラが突然行方不明になった。そのときの先生の落ち込みようといったら,普通では考えられないほどである。可愛がってきたノラが,激しい雨の日などにどこかで迷っていることを想像すると,いてもたってもいられないのである。やはり先生は普通の人とは違うところがあるのである。哀れなほど落胆し,食事も喉を通らない。暖かいからと言って,風呂場の蓋の上に敷いたノラの布団をなでては泣いているばかりの毎日である。そのような先生を心配して,門下生たちが手分けしてノラを探す場面では,おもしろさではなく,人間の温かみというものを感じる。ノラに対する先生の愛情。落ち込んでいる先生を気遣う奥さん。先生夫婦を気遣う門下生たち。ビラを配ったり,新聞広告にも出したりして,地域の人々の協力も得てノラを探すが,結局ノラは戻って来なかった。そうしているうちに別の猫がその家に迷い込んで,先生はその猫にクルツ(短いという意味,尻尾が短いので)と名付け,なんとか立ち直ったが,先生が立ち直ることができたのも,門下生たちをはじめ,地域の人たちのまごころのおかげである。4人の門下生が来たときに,先生は自分を「皮をむかれて赤裸になった稲葉の白兎」にたとえて,その「稲葉の白兎のような私を助けてくれたのは,大きな袋にやさしい心をいっぱい詰めた大黒様であり,その大黒様とは君たちだ」と言いながら,感謝の言葉を述べると,先生は大きな声で「稲葉の白兎」を歌い出す。先生が門下生たちに教えた「やさしさ」は,門下生たちを経て,今また先生に戻ってきたのである。

このノラの出来事があってから十数年後の昭和37年春,第十七回の「摩阿陀会」が開かれた。第一回の「摩阿陀会」とともにこの映画のクライマックスである。先生はやはり年をとったが,同時に門下生たちもそれ相当に年をとった。今回の「摩阿陀会」には門下生たちの孫まで出席している。その孫たちが先生のもとに大きな誕生日ケーキを運んだ場面で,先生は子供たちに向かってこう言う。「自分にとって本当に大切なもの,好きなものを見つけてください。そしてそのもののために努力しなさい。それはきっと心のこもった立派な仕事になるでしょう。」これは百閒先生のメッセージであると同時に,黒澤監督のこの映画にこめたメッセージでもあろう。人間はやはり一生涯それに打ち込むことのできるものを持ってほしいものである。それを求めて努力するのが,その人の人生であり,そういう生活そのものが幸せというものなのではあるまいか。自らの努力によって自らの文学世界を切り拓くとともに,このような「摩阿陀会」を門下生たちによって開いてもらって,門下生たちと一緒に人生を謳歌する百閒先生は,幸せそのものの象徴であり,これ以上の幸せはないのではあるまいか。このような喜びに満ちた祝賀会の最中に百閒先生は突然倒れてしまうが,それを門下生たちが心配して先生の周りに集まってくるシーンが,またジーン(私としては駄洒落のつもりではない)とくる。「大丈夫だよ」と言いながら先生が会場を立ち去る場面に歌われる「仰げば尊し」は,この映画の冒頭の教室で歌われる同じ歌とペアになっていて,全体を締め括る重要な役目を果たしている。温かい心を感じさせるとともに,熱い涙を誘う場面であることは言うまでもない。

門下生の例の4人は体調を崩した先生を気遣って,その夜は先生宅で過ごすことになるが,その最終場面もみごとな出来栄えである。4人が静かに酒を飲もうとしているとき,隣の部屋に寝ている先生の寝言が聞こえてくる。どうやら先生は少年時代のかくれんぼの夢を見ているようである。草の茂った堤で着物姿の少年たちがかくれんぼをしており,少年時代の先生が藁の中に隠れたかと思うと,また飛び出してきれいな空を仰ぎ見る。空には天国を思わせるような多彩な色で,さまざまなかたちをした雲が浮かんでいる。とても穏やかで,心和む,平和的で印象的なラストシーンである。

この映画のおもしろさは,以上述べたとおりであるが,もう一つ指摘しておきたいのは,百閒先生の周りに集まる門下生たちの表情がどの場面においても,笑みを浮かべながら,本当に生き生きとしていることである。特に例の4人の表情が最高である。井川比佐志と油井昌由樹の二人もいいが,とりわけ所ジョージと寺尾聰の二人が際立っている。なかでも映画全体のナレーションを務める寺尾聰は,セリフとしては一言もしゃべっていないが,そばにいながら存在感のある演技をしている。一言もしゃべらなくても重要な役割を果たしているのである。この寺尾聰の表情と存在感に注目しながら,この映画を鑑賞するのもおもしろいものである。この映画をすでに見たことのある方も,一度見たから「もういいよ」と言わずに,是非,もう一度ご覧ください。また「まあだだよ」という方も,是非,この機会に鑑賞してみてください。黒澤明監督のメッセージどおり,この映画には「今は忘れられている,とても大切なものがある。うらやましいような心の世界がある」はずであり,それが私たちの心を豊かにしてくれることは確かである。