【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第61号
メールマガジン「すだち」第61号本文へ戻る


○「知的感動ライブラリー」(34)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

黒澤明監督『用心棒』(1961年)のおもしろさ

今年は黒澤明監督の生誕100年にあたる。黒澤明監督の作品はこの「知的感動ライブラリー」でもこれまで何度か取り上げてきたが,今回は昭和36年(1961年)に製作された娯楽時代劇『用心棒』(東宝・黒澤プロ)を紹介しよう。黒澤明監督の時代劇と言えば,昭和29年(1954年)の『七人の侍』が真っ先に挙げられるのが普通であるが,私は『七人の侍』よりも先にこの『用心棒』と,これに続いて翌年に製作された『椿三十郎』を挙げたいと思う。それほどにおもしろく,文句なしに娯楽時代劇の傑作と言えよう。

物語は一人の浪人(三船敏郎)が転々と流浪の旅を続けている場面から始まる。今回この浪人が辿り着いたのは,ある田舎の宿場町であるが,どうやらここは何か物騒な宿場町のようである。居酒屋の親父(東野英治郎)から聞くところによると,この宿場町には二組のヤクザが縄張り争いで対立しているという。一方のヤクザの親分は馬目(まのめ)の清兵衛(河津清三郎)であり,その背後には絹問屋で名主の多左衛門(藤原釜足)が控えている。もう一方のヤクザの親分は新田(しんでん)の丑寅(うしとら,山茶花究)といい,その後ろ楯となっているのが造り酒屋の徳右衛門(志村喬)である。この二組のヤクザの間には争いが絶えないので,この宿場町で儲かっているのは棺桶屋(渡辺篤)だけだという。この話を聞いた浪人は,その二組を戦わせて,最終的にはヤクザ者を根絶することを画策し始めた。これを知った居酒屋の親父(権爺,ごんじい)は「この町の者は皆,気違いばかりだが,お前さんはもっと気違いだ」と嘆くばかりである。

浪人はまず丑寅の子分であるゴロツキどもを斬り倒して,自分の腕前を見せつけ,清兵衛の方に用心棒として自分を売り込む。そこにはすでに本間という名の用心棒(藤田進)が雇われていたが,清兵衛はその浪人の腕前を買って,50両という破格の値をつけて用心棒に雇い,前金として25両を払った。そこで浪人は名前を尋ねられると,家の外に桑畑が広がっているのを見て,「桑畑三十郎」と答える。清兵衛はこの桑畑三十郎を味方につけたので,今日中にも相手側に喧嘩をしかけて決着をつけようと意気込む。ところが,その妻おりん(山田五十鈴)は喧嘩のあとでその用心棒にさらに25両払わねばならないことを惜しみ,喧嘩で勝ったあとでその用心棒を片づけることを夫の清兵衛と倅の与一郎(太刀川寛)に話す。その密談をひそかに聞いていた桑畑三十郎は,いざ喧嘩が始まろうとするときに,「俺は降りたぜ」と言って,前金を地面に放り投げ,火の見やぐらに登って二組の喧嘩のさまを見物することにした。もちろんこうして二組のヤクザを戦わせて,二組が同時に壊滅していくのを自分は見物するだけというのも,桑畑三十郎の最初からの筋書きである。

ところが,二組がにらみ合いを続け,今にも斬り合いが始まろうとした瞬間,遠くに馬の砂塵が立って,八州廻りがやって来ることが知らされる。二組のヤクザたちは喧嘩を中止した。やがて八州廻りがやって来て,二組のヤクザの背後にいる親玉たちは挨拶に出かけたりして,表面上は平穏な日々が数日間続いた。しかし,八州廻りの接待に余計な費用がかかることを嫌った丑寅は,八州廻りをそこから追い出そうとして,チンピラを使って十里ほど離れた宿場で町役人を殺させた。八州廻りはやっとその宿場町から出て行った。

そうしているうちにも丑寅の弟である卯之助(仲代達矢)がこの宿場町に戻って来た。彼は拳銃を手にしている。三十郎とすれ違った瞬間,互いに「出来るな」と感じたものがあった。居酒屋の権爺のところに居候している三十郎のもとに清兵衛側も,また丑寅側もやって来て三十郎を用心棒に獲得しようと必死になるが,三十郎は巧みに両者を操って,高い値をつけさせようとする。そのような折りに十里ほど離れた宿場で町役人を殺したチンピラが清兵衛側に捕まる一方,丑寅側は清兵衛の倅(与一郎)を捕まえて,取り引きしようとする。しかし,チンピラは卯之助の拳銃に撃たれて,取り引きは中止となった。ただ清兵衛の方も負けてはいない。今度は丑寅側の親玉徳右衛門が愛人として囲っていた女を人質にしていた。翌日,再度互いの人質の取り引きをするが,その場面がまたこの映画の見どころであろう。徳右衛門が妾に囲っていた女は,百姓小平(土屋嘉男)の女房ぬい(司葉子)であり,小平の博打(ばくち)による借金の肩代わりに,徳右衛門の愛人にさせられていたのである。美しいがゆえに妾とされたのである。取り引きの最中にその女房ぬいが居酒屋の窓越しに夫と子供と抱き合う場面は,あわれさを感じさせて,観客を複雑な気持ちにさせる。その場面の音楽がまた感動的である。

その取り引きはひととおり終わって,百姓小平の女房ぬいはまた徳右衛門の愛人として家に監禁されている。その女房を助け出すため,三十郎は前金30両出すという丑寅側の用心棒となって,そこの亥之吉(加東大介)を巧みに操り,策略を弄して,その女房を逃がしてやる。この助け出す場面も,なかなかおもしろくて見応えがある。あとでこの夫婦が寄こした手紙で,このことを知った居酒屋の権爺は,うれしそうに三十郎に向かって「お前もいいとこあるぜ」と言いながら,その手紙を差し出す。ちょうどそこへ卯之助がやって来て,三十郎が策略を弄して百姓夫婦を逃がしてやったことを知り,拳銃を突きつけて,三十郎を捕えた。

三十郎は百姓の女房の行方を明かさないので,さんざんに痛めつけられたうえ,土蔵の中に閉じ込められた。しかし,奇策を用いて,命からがらに逃げ出すことに成功する。この脱出を企てる場面もまたこの映画の見どころの一つであろう。ドキドキハラハラの連続で,このうえなくおもしろい。居酒屋の権爺のところに逃げ込んだ三十郎は,親父に向かって,自分を棺桶に入れて棺桶屋と二人で墓場に運んでほしいと頼む。ヤクザたちから逃れるにはこの方法しかない。ところが,二組の喧嘩の最中,道の中央まで運んだところで,棺桶屋が怖がって逃げ出してしまった。三十郎はこちらに向かって来る新田の亥之吉と二人で運ぶようにと頼む。まんまと乗せられた亥之吉は棺桶を居酒屋の親父と一緒に運ぶ。このあたりがとてもユーモアがあって,たいへんおもしろい。私は黒澤明のこのようなユーモアがとても好きである。このようなユーモアは次の作品『椿三十郎』においてもさらに遺憾なく発揮されている。

こうして窮地を脱した三十郎は,小さな社殿で身体を休めることにした。その間,宿場町では二組の争いが続けられている。丑寅は卯之助の入れ知恵によって清兵衛の家に火をかけて,その一味を全滅させた。喧嘩は丑寅側の勝利に終わった。あとはこの宿場町にやって来た用心棒三十郎を片づけるだけである。そこで丑寅は居酒屋の権爺を人質に捕らえて,木につりさげている。小さな社殿で十二分に休んで鋭気を取り戻した三十郎は,棺桶屋から権爺が捕らえられたことを聞き知ると,彼を助けるためにヤクザたちに立ち向かう。この場面ももちろん見どころの一つであり,クライマックスでもある。拳銃を構える卯之助の手に向かって三十郎は,懐に用意していた包丁を投げつけるや否や,たちまちのうちに卯之助を斬りつけた。丑寅の一味も同時に倒してしまった。俳優三船敏郎の魅力が最もよく表れた場面である。最後に三十郎は居酒屋の権爺が縛られている縄を剣でもって切ってやると,「さて,これでこの宿場も静かになるぜ,おい,親父,あばよ」と言い残して,この宿場町をあとにして行くのである。

とにかくおもしろいストーリーの展開である。全編に流れる佐藤勝の音楽も効果的で,スクリーンの動きと一体になっている。すべての点においておもしろい映画である。黒澤明監督自らも,「心底からおもしろい映画を作ろうと思っていたが,『用心棒』はそれを具体化したものです」と言っている。やがて3年後にはこの映画をもとにしてS.レオーネ監督でクリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタン『荒野の用心棒』(1964年イタリア)も作られるのである。主人公の同じ「あばよ」のセリフで終わる次の作品『椿三十郎』とともに鑑賞すれば,ますますおもしろくなる映画である。文句なしの娯楽時代劇の傑作である。是非,この機会に鑑賞していただければと思う。


メールマガジン「すだち」第61号本文へ戻る