【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第60号
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○「知的感動ライブラリー」(33)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

『いばら姫』の類話とディズニー映画『眠れる森の美女』

1.『いばら姫』のルーツ

主人公の姫が15歳になると,予言どおり糸巻き棒(紡錘,つむ)に刺されて,百年の眠りに落ちて,いばらに取り囲まれた城に閉じ込められるが,百年後,ある王子によって救い出されて,目覚めるという内容の『いばら姫』の類話は,ヨーロッパ各地に広がっていて,究極的にはギリシア・ローマ神話にまで遡ると言われている。この類話の現存する最古の作品としてよく引き合いに出されるのが,14世紀に古フランス語で起草された『ペルセフォレ』であり,この題名は明らかにギリシア神話の英雄ペルセウスを連想させる。次に引き合いに出されるのが,17世紀イタリアの詩人・作家バジーレの作品『ペンタメローネ』(五日物語)において50話の中の一つとして収録されている『太陽と月とターリア』(1637年)である。このバジーレの作品に強い影響を受けて,1697年に童話『眠れる森の美女』を書き上げたのが,フランスの作家ペローである。この作品は17世紀末のルイ14世が統治するバロック時代のものであるが,バジーレの作品よりも繊細・優美に話が展開しているところに特徴がある。グリム童話の『いばら姫』の素材となったのがこのペローの作品である。

2.グリム童話『いばら姫』

グリム童話は正式には『子供と家庭のメールヘン』という題名が付けられており,第一版の第一巻(86話収録)は1812年に,第二巻(70話収録)は1815年に出版されたが,それ以降も約50年間にわたって絶えず修正が加えられており,我々が普通グリム童話として読んでいるのは,1857年に出版された第七版(171話収録)である。このほかにグリム兄弟が第一版を出版するにあたって手書きで1810年に書き留めた原稿(49編)があり,のちにエルザスのエーレンベルク城で発見されたことから,エーレンベルク稿とも呼ばれている。『いばら姫』はこのエーレンベルク稿の中にもあり,グリム童話の前の段階を知ることができて,貴重な資料である。グリム兄弟はフランス系ユグノーの子孫マリー・ハッセンプフルークという若い女性が語った話に基づいて,『いばら姫』(エーレンベルク稿)を書き留めたが,その若い女性はフランスのペローの作品に従って物語ったので,当然のことながらペローの作品に近い内容のものとなっている。ただグリム兄弟は子供への教育的配慮なども考えて,ペローの作品における後半部分の人食い人種のエピソードをカットしている。またグリム童話のエーレンベルク稿はペローの繊細・優美な童話に比べると,語りものに近く,素朴な描写となっているのが特徴である。しかし,グリム兄弟は第一版以降も絶えずそれに手を加えて,特に主人公が深い眠りに落ちる場面と百年後に目覚める場面は,版を重ねていくたびにより細かい描写が付け加えられており,現在の第七版では「語り物」というよりは「読み物」となっていると言ってよいであろう。版を重ねるごとによりよく洗練され,さらにいっそうリズミカルな作品へと高められているところに特徴がある。ワーグナーは楽劇『ニーベルングの指環』四部作中の『ジークフリート』第三幕においてブリュンヒルデが英雄ジークフリートに目覚めさせられる場面を作り上げるにあたってこのグリム童話を利用したということは,周知のとおりである。

3.チャイコフスキーのバレエ音楽『眠れる森の美女』

『いばら姫』の物語はチャイコフスキーによってもその有名なバレエ音楽『眠れる森の美女』(1890年初演)において展開されているが,チャイコフスキーが素材に用いたのは,グリム童話ではなく,フランスのペローの童話である。ただこのバレエ音楽ではもちろんバレエが主体であり,物語の展開はかなり簡略化されている。プロローグではフロレスタン14世の娘オーロラ姫の誕生に伴って盛大に行われた式典の折りに,邪悪な精カラボスが姫の将来を予言するエピソードが展開され,第一幕ではそのオーロラ姫が20歳(改訂版では16歳)の誕生日を迎えたとき,予言どおり,深い眠りに落ちることが取り扱われ,第二幕では百年後デジレ王子がオーロラ姫を目覚めさせるエピソードがかなり簡略化されたかたちで展開されている。そして最後の第三幕ではオーロラ姫とデジレ王子の婚礼の日にさまざまな妖精がそれぞれのバレエを披露するだけのストーリーである。見どころはやはり華麗なバレエであり,そのバレエに合わせて演奏される曲も聴きどころであることは言うまでもない。

4.ディズニー映画『眠れる森の美女』

『いばら姫』はワーグナーの楽劇やチャイコフスキーのバレエ音楽のみならず,さらには映画化までされている。ディズニーの長編アニメーション映画『眠れる森の美女』(Sleeping Beauty)がそれである。この映画は1959年1月29日に公開されたアメリカ映画であり,日本語に吹き替えられたものも現在入手可能である。この映画はチャイコフスキーのバレエ音楽を脚色した構成となっており,ワルツで彩られた作品となっている。その内容は従来の『いばら姫』とは変わっているところも多いので,ここで簡単なあらすじをまとめておこう。

ディズニー映画のストーリー

シュテファン王と王妃の間に一人の姫が生まれ,オーロラ姫(「夜明けの光」を意味する)と名づけられた。シュテファン王はそのオーロラ姫の誕生を祝って,古くからの友人でもある隣国のフューバート王をはじめ,国中の多くの客人を招待して宴を催した。その宴の席でシュテファン王とフューバート王は,両国を一つにまとめるために,生まれたオーロラ姫をフューバート王の息子であるフィリップ王子と将来結婚させる約束を交わした。その席でフィリップ王子はそれとは知らずに将来の花嫁に贈り物をした。この誕生の祝いの席ですでに花婿と花嫁とが出会っているところがこのディズニー映画の特徴である。

その宴の席で3人の妖精が姫に授け物をするのは,これまでの『いばら姫』と同じである。すなわち,1人目の妖精フローラは姫に「美しさ」を授け,2人目の妖精フォラーナは姫に「きれいな歌声」を贈ったが,3人目が贈り物をしようとしたそのとき,突然魔女マレフィセントが入って来て,「この姫は健やかに成長するけれども,16歳のときに棘で指を刺されて死ぬでしょう」と予言する。そこでまだ姫に授け物をしていなかった3人目の妖精メリー・ウェザーは,その予言に一部修正を加えて「姫は死ぬのではなく,しばらくの間眠るだけであり,やがて愛する人のキスで,呪いが解けて,目覚めるのです」と予言する。「愛する人のキスで目覚める」とされているところも,この映画の特徴であり,オーロラ姫にはそのうち「愛する人」ができることがすでにほのめかされている。

ただシュテファン王は姫が棘で刺されないように,糸車を燃やしてしまう。しかし,いくら糸車を燃やしてもその呪いは解くことができない。そこで3人の妖精たちもあれこれと姫が災いを被らないようにするにはどうすればよいかを考えるが,その結果,姫を奥深い森の中に連れて行って,そこで自分たち3人で姫を16歳になるまで育てることにした。魔法を使うと,魔女マレフィセントに居場所を突き止められるので,3人は魔法の棒を使わないことにした。そのため魔女マレフィセントは姫がどこにいるか,探し出すことはできなかった。こうして姫はブライア・ローズという名前で3人の妖精たちによって養育されたのである。

16年が経ち,ブライア・ローズの16歳の誕生日がやって来た。3人の乳母(妖精)たちはその誕生日祝いの準備を始める。姫の知らないところで誕生日祝いの準備をして,姫をあっと驚かせようと思って,3人は姫を一人で森にいちごを摘みに行かせた。姫は未だに3人の乳母たちが自分を子供扱いにしていて,誰にも会わせてくれないことを不満に思っていた。これもこの映画に特徴的なことであるが,つまり,姫は何度も夢を見て,その夢の中で素敵な王子と出会っていたのである。姫は森の中でいちごを摘みながら,「夢の中のあの人に会いたいわ」と口にして,その夢の中の男性へのあこがれで胸をいっぱいにしていたのであった。ちょうどそのときフューバート王の息子であるフィリップ王子は馬で森を駆けていて,ブライア・ローズと出会った。姫にとってはそのフィリップ王子はまさにその夢の中に出て来る王子であった。二人はすぐに惹かれあって,今夜森の中にある姫の小さな家で会うことを約束して別れた。一方,家で誕生日祝いの準備をしている3人の乳母たちはあまりうまく準備ができずに,ついに魔法を使って,姫のドレスやケーキを作った。ところが,その3人の妖精たちは魔法を使ったので,そのため魔女マレフィセントに仕えているカラスが彼女たちの小屋をついに探し出した。やがて姫はその小屋に戻って来ると,うれしそうに3人の妖精たちにたびたび夢に出てきた王子と森の中で会ったことを話した。すると妖精たちは姫にはすでに婚約を交わしたフィリップ王子がいることを明かすとともに,姫はシュテファン王のオーロラ姫であることを打ち明けた。そして今日,日が沈んだら城に帰って,そのフィリップ王子(オーロラ姫はこの王子こそ夢の中の素敵な王子であることをこの時点ではまだ知らない)と結婚することになっていると伝えた。それを聞いたオーロラ姫は,今夜ここに来るはずの素敵な王子と結婚できないことを嘆き,ひどく悲しみ泣いた。その一部始終を密かに聞いていたカラスは,ついにオーロラ姫の居場所を突き止め,ただちに魔女マレフィセントに知らせたのであった。

一方,城ではシュテファン王がフューバート王とともに,オーロラ姫が戻って来るのを待っていた。そこへ隣の国のフューバート王の息子であるフィリップ王子がやって来て,オーロラ姫と結婚することを言い渡されるが,それに対して彼は森の奥で出会った女性が自分の未来の花嫁であり,その愛する人と結婚すると言い出して,その女性のいる森の中へ馬で出かけた。二人の国王は困ってしまった。

そうしているうちにオーロラ姫の方も,3人の妖精たちに伴われて城に向かい,ある部屋に案内されて,そこで日が沈むのを待つことになったが,部屋の中で泣くばかりであった。姫としては森の中で出会った男性と結婚したいのである。一人そこに残されて激しく泣いているところへ魔女マレフィセントが魔術を使って現れ,姫はその誘いに乗って塔の上の部屋に行き,そこの糸車の針に触って,眠りに陥ってしまった。ここでは姫が自らその糸車の針に触ることになっている。姫が眠りに落ちたことを知った3人の妖精たちは悲しみ,姫が目覚めるまでは城中のすべてのものにも眠ってもらおうと思って,魔法を使って城全体を眠りに陥らせた。父であるフューバート王が眠り込む前にフィリップ王子は,父から森の中で出会った姫がまさにオーロラ姫であることを知るや否や,森に急いだ。しかし,フィリップ王子はその森の中の家で待ち受けていた魔女マレフィセントに捕らえられてしまい,魔の山に連れて行かれた。

3人の妖精たちはフィリップ王子が姫の夢の中の王子であり,今頃は森の中の家に向かっていることを知ると,ただちにそこに戻ったが,王子はすでに魔の山へ連れ去られたあとであった。3人の妖精たちは勇気をふりしぼってその魔の山へ出かけ,鎖に繋がれているフィリップ王子を助けて,楯と剣を授ける。フィリップ王子はそれらを手にして,馬に乗って,オーロラ姫の眠っている城に向かう。いばらの茂る中を切り開きながら,突き進み,そこで待ち受けていた魔女マレフィセントが化けている竜と戦い,激しい戦いの末,ついに竜を退治してしまう。そのあとオーロラ姫の眠っているベッドに近づき,彼女の赤い口にキスすると,姫は目覚め,フィリップ王子が夢の中の王子であることを知ってたいへん喜んだ。姫の目覚めとともに,城の皆も目覚めた。シュテファン王とフューバート王も会話を始めた。愛する若い二人の結婚式が執り行われ,二人はワルツを楽しく踊った。

ディズニー映画の魅力

以上がディズニー映画の『眠れる森の美女』であるが,チャイコフスキーのバレエ音楽に基づいているとはいえ,あらすじの展開の点でも多少異なっており,グリム童話を代表とするこれまでの『いばら姫』とも多少異なっている。オーロラ姫は誕生のときにすでにフィリップ王子と婚約済みであることが特徴であり,また森の中で成長していくうちに夢の中で見た男性がフィリップ王子であったというところにすばらしいロマンチックなものが読み取られる。ディズニー映画ならではの展開と言えよう。また最終場面のフィリップ王子と魔女マレフィセントの化けた竜との戦いもアニメ映画としての見どころであり,映画としての魅力でもある。すばらしくて,新しい魅力の『いばら姫』であると言ってもよいであろう。

5.『いばら姫』あるいは『眠れる森の美女』の普遍性

以上のように見てくると,この物語は古い時代から現代に至るまで,時代と国を越えて語り継がれていることが分かる。一体,どこにその魅力があるのか。第一にはこの類話が,冬に枯れ果てた大地も春になれば以前と変わらない新たな生命に目覚めるといった「大地の永遠性」を彷彿させるからであろう。第二には,一定の年齢に達すると,一度は危険に晒されるものの,やがてはそれを乗り越えて,よりいっそう明るく新しい人間に目覚めていくという人間の成長過程を物語っているからである。さらにこの主人公をめぐる物語はあらゆる人間に通ずる問題として描かれており,昔話が普遍化されている。まさにこの普遍性にこの類話の魅力があると言えよう。

このようなことを踏まえたうえで改めてディズニー映画『眠れる森の美女』をはじめ,そのほかの『いばら姫』の類話を鑑賞すると,ますますそれぞれの作品の魅力が自ずと浮かび上がってくるものである。是非この機会にディズニー映画『眠れる森の美女』のロマンチックで夢のような姫と王子の出会いの物語世界に浸ってみてください。