【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第57号
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○「知的感動ライブラリー」(30)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

フリッツ・ラング監督の映画『ジークフリート』(1924年ドイツ)の特徴

 フリッツ・ラング監督の映画『ジークフリート』(1924年ドイツ)は『ニーベルンゲン』二部作の前編にあたるものである。後編にあたる『クリームヒルトの復讐』(1924年)は次回に紹介することにして,今回は『ジークフリート』を紹介することにしよう。
 1924年の製作なので,サイレント・ムービーであるが,背景には主にワーグナーの音楽が流れ,しかも日本語の活弁がついているビデオがあるので,わが国でも大いに楽しむことができる。
 脚本はフリッツ・ラング監督の妻テァ・フォン・ハルボウである。彼女は第一次世界大戦で敗戦して落ち込んでいるドイツ国民に対して,自国民の根源を想起させるゲルマン神話への憧憬を新たに呼び起こすことをこの映画の目的としている。こうした目的のもとで製作されたこの映画は,全体においてドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』を基本としているが,それ以外に古い素材に基づくジークフリートの冒険譚が取り入れられており,当然のことながらワーグナーの影響もあろう。以下では,それらの素材との共通点と相違点とを指摘しながら,この映画の特徴を探り出すことにしよう。
 冒頭ではジークフリートの冒険譚が取り入れられている。賢者ジークムント王の息子ジークフリートは,日本語の活弁によると,父王に遣わされて深い森の中の刀鍛冶ミーメのもとで修業をしている。苦心の末,鋭い剣が出来上がったようである。刀鍛冶ミーメのもとを去るにあたって,ジークフリートは鍛冶屋の徒弟人たちからブルグント国の美しい姫クリームヒルトの噂を初めて聞いて,彼女に求婚することを思い立つ。ジークフリートは刀鍛冶ミーメにブルグント国ヴォルムスへの道を尋ねると,ミーメはわざと反対側の道,すなわち,進めば進むほど,ブルグント国からは遠ざかる道を教える。そうして入って行った深い森の中でジークフリートは竜と出会い,竜を退治する。戦いのあと,竜の血に触れた瞬間,熱かったので咄嗟に指を口に入れると,不思議なことに小鳥の言葉が理解できるようになった。このあたりはドイツの伝承というよりは,北欧の伝承に基づいており,この小鳥の忠告に従って,竜の血を浴びて「不死身の甲羅と化した英雄」となるが,しかし,その際一枚の菩提樹の葉が背中に落ちてきて,そこだけが血がつかずに唯一傷つけられる急所となるのである。竜退治のあとは,侏儒(こびと)アルベリヒから隠れ頭巾を奪い取るエピソードと,アルベリヒを成敗してニーベルンゲン族の財宝の所有者となるエピソードが展開されている。
 これらはいずれも古代ゲルマンの古い伝承に基づくものであり,この映画ではブルグント国ヴォルムスの宮廷に仕える吟遊詩人ヴォルカーが皆の前で歌う設定となっている。その歌の中の英雄ジークフリートに特に関心を抱いたのが,クリームヒルト姫であり,姫は吟遊詩人に褒美を差し出す。このあたりはこの映画ならではの展開と言えよう。
 吟遊詩人ヴォルカーが歌った英雄ジークフリートがまさにこの宮廷に姿を現すのである。その後,ジークフリートは12人の国王を打倒したのであろうか,12の国を配下に従えた王として,今や13人目の家来にしようとブルグント国にやって来たのである。ジークフリートはグンター王らの前で最初は雄々しく戦いを挑もうとする。ところが,そこへ美しいクリームヒルトが姿を現すと,突然もの軟らかな態度に出て,グンター王にクリームヒルトとの結婚を申し出る。そこで口を開いたのがハーゲンである。ハーゲンはこの映画ではクリームヒルトの伯父ということになっていて,「この国では妹は兄よりも早く嫁ぐことはできないことになっている」と言う。人物の設定こそ違うが,ハーゲンがジークフリートの力を利用しようと企んでいることは,『ニーベルンゲンの歌』と同じである。
 そこでジークフリートはグンターがアイスランドの女王ブリュンヒルトに求婚するのに手助けをすることになる。ジークフリートは英雄である上に,何よりもそれを被れば身を隠すことができるし,さらにはどんなものにも変身できるという不思議な隠れ頭巾を持っていることを,ハーゲンは知っていたのである。さっそくジークフリートはグンター王の伴をしてアイスランドに赴き,ブリュンヒルト女王の前に立つ。ブリュンヒルトはまず優れた英雄らしく見えるジークフリートに挨拶をするが,ジークフリートは「求婚に来たのはグンター王で,自分は家来だ」と答える。そこで結婚の条件である石投げ,幅跳び,槍投げの三種競技はブリュンヒルトとグンター王の間で行われることになるが,実際に競技を行ったのは,隠れ頭巾で身を隠したジークフリートであった。三種競技は男たちの勝利に終わり,ブリュンヒルトはグンター王の花嫁としてヴォルムスに向かう。
 こうしてヴォルムスでは二組の結婚式が行われるが,ブリュンヒルトは最初から心を寄せていたジークフリートがクリームヒルトと結婚することを知ると,嫉妬に苦しむ。ブリュンヒルトはグンター王の愛撫を拒むので,グンター王は再度ジークフリートに手助けを求める。ジークフリートは再度隠れ頭巾を被って,グンター王に変身した上で,ブリュンヒルトのベッドの上で彼女を押さえつけ,無意識のうちに腕輪を奪い戻って来て,元の姿に戻り,グンター王に彼女を引き渡す。
 こうしてひとまず落ち着いたかに見えたが,しかし,偶然その腕輪がクリームヒルトの手に渡り,ジークフリートはクリームヒルトにグンター王との間の秘密をすべて話してしまう。そうしたある日のこと,教会に出かけたとき,クリームヒルトとブリュンヒルトはどちらが先に教会に入るかをめぐって,口論をしてしまい,クリームヒルトはその腕輪をブリュンヒルトに見せてしまう。この上ない恥辱を被ったブリュンヒルトはジークフリートを殺すようにとグンター王にせがむ。このブリュンヒルトの恥辱をうまく利用したのがハーゲンであり,ジークフリート暗殺を実行していくのである。
 『ニーベルンゲンの歌』と同じように,暗殺の場所は狩りの行われる森の中となった。暗殺を企むハーゲンは,密かにクリームヒルトのもとに出かけて,「我々は狩りに出かけるのではない。実は戦いに出かけるのだ」と彼女の不安を掻き立てる。このあたりは狩りと戦いが『ニーベルンゲンの歌』と裏返しになっていて興味深い。ハーゲンが悪賢いことはいずれも同じであり,この映画ではハーゲンは,どこからとなく飛んでくる投げ槍がジークフリートの背中に当たるのを恐れるクリームヒルトの不安をうまく利用して,「ジークフリートを確実に護ってやるから,その護るべき急所の箇所を教えてほしい」と言う。クリームヒルトはハーゲンを信じて,『ニーベルンゲンの歌』と同じように,その急所の箇所に十字の印を縫い付けるのである。何か胸騒ぎのするクリームヒルトは,狩りに出かけるジークフリートを引き留めようとするが,ブリュンヒルトとの口論から口を慎むように言い渡されているので,このたびは逆にハーゲンに秘密をもらしたことをジークフリートに打ち明けることができない。このあたりがこの映画ではよく出来ていると思われる。
 ジークフリート暗殺は狩りの森の中で,ハーゲンの企みどおり,ジークフリートが泉の水を飲んでいるときに,背後から投げ槍でもって急所を突き刺されて,実現する。ジークフリートの遺体が宮廷に運ばれて,それを見ると,クリームヒルトは下手人がハーゲンであることをすぐに見て取る。しかし,今のままでは仇を討つことはできず,いつの日か必ずや仇討をすると誓う。一方,ブリュンヒルトはジークフリートが暗殺されたことをグンター王から聞かされると,グンター王を罵って,高笑いをしながら,グンター王に向かって,ジークフリートを殺すようにと言ったのは本心ではなかったことを明かしながら,グンター王には「王の資格がない」とまで言う。そのあとブリュンヒルトはジークフリートの遺骸のそばで自らの胸に剣を突き刺して,ジークフリートのあとを追って殉死するのである。この最後の場面はあきらかに北欧の『ヴォルスンガ・サガ』を利用していることが明らかであり,ワーグナーの影響も大いに考えられるところである。
 このようにこの映画では,ブリュンヒルトが最初から英雄ジークフリートに心を寄せており,その嫉妬がクローズアップされているところに大きな特徴があると言えよう。しかも『ヴォルスンガ・サガ』やワーグナーの作品のように,ブリュンヒルトはジークフリートとあらかじめ愛で結ばれていたのでもなく,従って,忘れ薬も出てこないで,ブリュンヒルトはジークフリートを一目見た瞬間,彼に心を寄せたことになっている。そのブリュンヒルトの嫉妬は,ジークフリートがクリームヒルトと結婚することを知るや否や,さらにますます募っていって,その嫉妬ゆえにジークフリート暗殺をハーゲンにけしかけたとも言える。ブリュンヒルトの嫉妬にこの映画の特徴があり,その意味では北欧的である。ただ映画全体は明らかにドイツ伝承の『ニーベルンゲンの歌』に従っていることは,以上述べてきたとおりである。
 ドイツ中世英雄叙事詩『ニーベルンゲンの歌』(岩波文庫に翻訳あり)を読んだ上で,この映画を見れば,ますますその特徴がよく分かるであろう。映画とともに,原作の作品も読んでいただければ,うれしく思う次第である。


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