【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第56号
メールマガジン「すだち」第56号本文へ戻る


○「知的感動ライブラリー」(29)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

映画『村の写真集』(三原光尋脚本・監督,2004年)の見どころ

 映画『村の写真集』(三原光尋脚本・監督)は徳島県西部の山間部にある池田町,山城町,西祖谷山村をロケ地として撮影され,2004年に全国公開されたものである。ストーリーを順に辿りながら,この映画の見どころを紹介することにしよう。
 東京で見習いカメラマンをしている高橋孝(海東健)は,故郷徳島県西部の山間部にある花谷村の村役場に呼び戻された。村で古い写真屋を営んでいる父研一(藤竜也)と二人で,やがて近いうちにダムの底に沈む運命にある村のすべての家族写真を撮影し,「村の写真集」を作ることで,その村の美しさを永遠に残すことを依頼されたのである。以前から父親とはしっくりいかずに東京へ出ていた孝は,しぶしぶその誘いにのって父親の手伝いをすることにした。ところが,頑固一徹で変わり者の父親は背広にネクタイをした姿で,しかも村役場が用意した車にも乗らずに,自らの足で歩いて一軒一軒を回り,そのうえ旧式の写真機でその家族を写真に収める。そのような父親のあとを歩いて撮影の助手を務める息子との間の溝は,埋まるどころか,ますます広がっていくばかりである。
 この古い写真屋の家族は以前は5人家族であった。もともと病弱な母親はすでに亡くなっており,長女紀子(原田知世)は東京から取材でこの村を訪れた男と恋に落ち,親の反対を押し切って結婚し,一人の女の子を儲けたが,現在は離婚して連絡不通である。次女香夏(宮地真緒)は現在地元の高校生である。そのほかに特別な家族として愛犬が一匹いる。今回,孝が帰郷してから母の法事も行われたが,長女紀子は戻って来なかった。
 父親は何も言わずに相変わらず険しい山間部の村の道をコツコツと歩いて,「村の写真集」の撮影に専念している。息子孝はそのような父親に反発しながらも父親の後を歩くシーンが繰り返しスクリーンに映し出されるが,その親子が山道を歩く場面が晩秋の美しい風景とともに一つの見どころである。最初は歩く親子の距離がかなり離れているのが,最後の方では少しずつ縮まっていくところにも注目したい。スクリーンに映し出される親子の歩く姿そのものが親子の心の表現となっているのである。
 その親子の距離が縮まっていくきっかけとなるのが,一枚一枚の写真に対する父親のひたむきな姿勢である。父親は一枚の写真を撮り終えるたびに,居並ぶ村人に「ありがとう」という言葉を口にしながら一礼する。特に遠く離れた山の上で一人暮らしをしている老婆を訪ねて撮影するときには,父親の一枚の写真に対する熱い思いを次第に知り始める。さらに一軒一軒を回って写真を撮っているうちに,父の隠していた病気が悪化してしまう。しかもあと一枚,山の仲間たちの写真を撮れば,「村の写真集」が完成するというときに,ついに病床についてしまう。それを聞き知って,遠く離れた山の上で一人暮らしをしている老婆が見舞いに訪れる。父の病状を気遣うのはこの老婆だけではない。孝は父が村の人々から慕われていることを思い知る。さらにまた孝は父の知人(大杉漣)から,父が幼い息子に初めて写真機の使い方を教えたのだと,うれしそうに息子の自慢話をしていた折りのことを聞いて,次第に父の気持ちを理解し始める。このようなことを知ると,孝はどうしても「村の写真集」を完成させたい。自分一人で山道を登って,山の仲間たちの作業小屋に辿り着いて,その前で写真を撮るが,現像してみると,父の写真のようにはうまく撮れていない。このとき孝は写真家としての父親の偉大さにも気づくのである。村の友人たちからは「東京で活躍中の新進の写真家だ」ともてはやされてはいるが,しかし,実際は東京でカメラマンのみじめな見習いをしているに過ぎない。父の偉大さを初めて知って,孝は真実のみじめな自分の姿を打ち明ける。どうしても「村の写真集」を完成させたい孝は,病床についている父親を背負って,山道を登って行き,最後の一枚である山の仲間たちの写真を父に撮らせる。この山の仲間たちの作業小屋に辿り着くまでの親子の一枚に寄せる情熱のさまが,言うまでもなく,この映画の見どころの一つである。さらにその撮影を終えて,帰り道,父親の案内で山の高台に立ち寄って,そこから父子が一緒に自分たちの村を見下ろす場面もまた,見どころの一つである。村の人々の暮らしのさまが遠くのカメラからスクリーンに映し出されるが,これこそ昔ながらの日本の原風景であるという気持ちにさせられる。私がこの映画で最も感動させられる場面である。このような自然の中の原風景を大切にしたいものである。さらにまたここでは父親が初めて孝の母親のことを語る。語ると言っても,ただ母親はここから見ることのできる「桜の木がとても好きだった」ということだけである。しかし,言葉少ないだけに,父は息子に母のことを多く語っているように思われてならない。静かな感動を呼び起こす場面である。
 さらにこの映画で最も感動的なクライマックスと言えば,やはりこのあと家族で写真を撮る最終場面であろう。自宅で療養中の父親を次女の香夏が車椅子に乗せて,戸外に連れ出したところに,一台の車が乗りつける。運転台から息子の孝が降りて来て,最後の一枚の家族写真を撮るのを忘れていたと言う。そのあと車の後ろの座席から一人の女性と女の子が降りて来る。もちろん連絡不通だった長女の紀子とその子供である。子供が車椅子の祖父に近づいて,祖父が「お名前は?」と尋ねるが,女の子は黙ったままで,その母親が「さつきです」と答え,父の車椅子に泣きすがる場面は,この映画で最も泣かせる場面であることは確かである。しかし,本当の意味で感動的なのは,そのあと全員で家族写真を撮る場面である。愛犬まで一緒に写真に写っているのを見逃してはならない。インターネットで「村の写真集」を検索すると,そのとき撮影の写真が出てくるが,写真の左上に「父が世界で一番愛したもの」と説明がある。父が一番愛したものとは,この家族であり,またこの家族が揃って写っている一枚の写真であろう。すばらしい写真である。しばらく眺めていても飽きがこない。これこそよい写真というべきであろう。山の男たちの前では息子の孝は「よい写真」を撮ることはできなかった。父の一枚の写真に向けるひたむきな姿勢を直に見て,息子の孝もカメラマンとして「歩かないと見えないものがある」という大切なものを知ったのである。父がこの「村の写真集」を編集するにあたって,わざわざ息子を東京から呼び戻したのも,妻百合子と長く幸せに暮らしたこの花谷村へのお礼の気持ちとともに,自らの足で山道を歩き回り,人と人との絆を大切にしながら,一枚一枚の写真に心をこめることの大切さを息子に教えたかったのであろう。最後に息子の孝が撮ったこの写真は,彼がようやくカメラマンとしての第一歩を踏み出したことを語っていよう。この最後の一枚の家族写真でもってその親子が編集に携わっていた「村の写真集」は初めて完成したことになるのである。
 1年後,すでに父は他界して,長女の紀子は子供と一緒に実家で暮らしている。次女の香夏は希望の看護師になることを目指して実習に励んでいる。息子の孝はカメラマンとして「自分の写真を見つけるために」飛行機に乗って飛び立ち,その機内の中で花谷村のダム建設工事が始まったことを新聞記事で知るという映画の冒頭部分に戻ったところでストーリーは終わる。
 ところが,そのあとエンディングの場面で主人公たちの撮った一枚一枚の写真がスクリーンに映し出される。これらの写真は実際には徳島県出身の著名な写真家立木義浩が撮ったものと思われるが,村の原風景がよく伝わってくるすばらしい写真ばかりで,この映画は最後まで目が離せない。映画全体が写真をモチーフにして組み立てられていて,徳島県西部の山間部の美しい風景を背景にして,完成度の高い映画になっていると思う。是非,鑑賞していただきたい作品である。


メールマガジン「すだち」第56号本文へ戻る

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第56号
〔発行〕国立大学法人 徳島大学附属図書館
 Copyright(C)国立大学法人 徳島大学附属図書館
 本メールマガジンについて,一切の無断転載を禁止します
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━