【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第53号
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○「知的感動ライブラリー」(26)

徳島大学総合科学部教授 石川 榮作

東映映画『バルトの楽園』解説

 この映画『バルトの楽園(がくえん)』(出目昌伸監督,東映)は2006年(平成18年)6月17日に全国一斉に公開されたものである。同年12月にはDVDも発売になり,また翌年7月12日からはドイツでも公開され,話題となった。日本での劇場公開後も,この映画を教育に活用する動きも見られ,いつまでも話題の尽きない感動作である。
 まずこの映画の舞台は,第一次世界大戦中,中国の青島(チンタオ)で捕虜となったドイツ兵4700名のうちの約千人が収容された徳島の板東俘虜収容所(現在の鳴門市大麻町)である。俘虜収容所でありながら,ドイツ兵俘虜たちは比較的自由な生活を送ることができ,わずか2年10ヵ月の間に一つの「ドイツ文化」を築き上げたことは驚くべきことである。なかでも音楽活動は盛んで,1918年6月1日にベートーヴェンの『第九交響曲』が合唱付きで演奏された。これがわが国で初めて演奏された『第九』である。映画の題名にある「バルト」とは,その俘虜収容所の松江豊寿所長(松平健)がはやしていたカイザー「髭」Bart(ただし,正式にはバールトと長く発音)のことで,「楽園」(がくえん)とはその『第九』の園という意味である。この映画はその松江所長の寛容なもてなしによって実現したドイツ兵俘虜たちと地元民たちとの間の「心の交流」を描いたものである。
 この映画の主役は松平健の扮する松江所長であるが,もう一本の柱を支えるために設定されたのがドイツ側のクルト・ハインリッヒ総督(架空の人物)である。この重要な役に抜擢されたのが,『ベルリン・天使の詩』や『ヒトラー 最期の12日間』で有名なブルーノ・ガンツであり,松江所長のカイザー髭とは対照的に「ほお一面の髭」(Vollbart)をつけて登場している。この俳優は日本文化や日本庭園に強い関心を抱いておられるようで,映画の最終場面で松江所長とともに庭園を眺める場面の撮影は,この俳優の提案によって実現したものである。映画全体の柱は松平健とこのブルーノ・ガンツによって支えられていると言ってもよいであろう。
 この両名優の演技でまず注目すべきは,最初に松江所長がハインリッヒ総督の部屋を訪れた場面である。そこで流れている音楽はベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』である。この歌劇は無実の罪で囚人となっている夫を牢獄からその妻が救い出すという夫婦愛を歌い上げたもので,その夫婦愛がやがて『第九』では人間愛へと高められるのである。このようなことを考えると,ここでの『フィデリオ』の音楽は重要な意味を持ち,しかも両俳優の重厚な演技によってこの場面は格調高い仕上がりになっている。のちにドイツの敗戦が決まって,自殺未遂のハインリッヒ総督を松江所長が励ます場面とともに見逃すことのできないシーンである。国境を越えた二人の真実の友情がこの映画の見どころであることは言うまでもあるまい。
 この二人の名優のほかに映画の柱をしっかりと支えているのが,パン職人カルル・バウム(オリバー・ブーツ)とハーフの少女志を(大後寿々花)の物語である。カルルは久留米収容所でも何度か脱走を企てたことのある粗暴な兵士として登場し,その後板東俘虜収容所へ移されてからも脱走を企てる。しかし,逃げ込んだ地元の農家で粗末な食事ながら温かいもてなしを受けたことにより人間への不信感も溶けて,自らの意志で収容所に戻る。誰に助けられたかと尋ねられても,その農家に迷惑をかけることになるので,「ただ山中を逃げ回っていただけだ」と答える。そのようなカルルの心を悟った松江所長は,かつてパン職人であったカルルにこの板東俘虜収容所でパンを作ってくれないかと頼む。収容所内の製パン所に案内されてパン生地をこね始めたとき,カルルの目からは涙がこぼれた。松江所長の温かい心に触れたからである。猛獣のようなカルルが人間に戻った感動的な瞬間である。話はそれだけではない。ある日,一人の少女がドイツ兵の父を探し求めて板東俘虜収容所へやって来た。その少女「志を」は,母が日本人というハーフの娘で,母が病没したためドイツ兵の父を探しているのである。松江所長の計らいでその父親探しが始められるが,その父はカルルらの戦友で,無念にも青島戦で戦死していたことが判明する。しかもその父フランツは,映画の冒頭で映し出されるシーンであるが,日本兵を相手にして戦うことができないと言って,銃を空に向けて放つばかりで,ついにはカルルと殴り合いをしたこともある。日本人を相手にして戦えないというその戦友の真意をカルルは,この少女を目にして初めて理解するのである。やがて第一次世界大戦が終わり,ドイツ兵俘虜たちが解放されて帰国することになったとき,カルルは神戸に残ってパン職人になる決意をするが,そのときその少女を自分の娘として引き取ることを松江所長に願い出る。亡き戦友へつらくあたった罪ほろぼしでもあるが,それ以上に天涯孤独の身となった少女に対して父親代わりとなることによって自分自身のこれからの人生にも光を見出そうとしたのである。随所に涙を催させるこのカルル・バウムと少女志をの物語は,兵士の粗暴な面も含めてまったくのフィクションであるが,このパン職人のモデルはのちに「バウムクーヘン」で知られる神戸のドイツ菓子店「ユーハイム」の開業者(カルル・ユーハイム)であると言えば,よりいっそう興味がそそられることであろう。
 最後の,しかも最大の見どころは,やはり何と言っても,ドイツ兵たちが帰国するにあたって催すことになった最後のベートーヴェン『第九』の演奏場面であろう。ハインリッヒ総督の挨拶が終わって、『第九』の音楽が響き始めると,スクリーンには故郷ドイツの美しい風景が映し出されるが,そのとき青島の戦いで両目の視力を失っていた兵士ドンゲルが突然「ドイツが見える・・・祖国ドイツが見える!」と叫び出す場面は感動的である。『第九』演奏の間に交互に映し出されるドイツと日本の美しい風景は,この失明のドイツ兵の目から見た「心の風景」でもあると理解できる。そのドイツ兵の色眼鏡の下から涙が流れ落ちる場面は決して見逃してはなるまい。また『第九』演奏の場面で片手に傷を負ったハインリッヒ総督がコートに袖を通そうとしているときに,これまで何かとドイツ兵に厳しい態度を取ってきた伊東少尉(阿部寛)が手を貸す場面も温かいものを感じさせる。さらにはその演奏中に少女志をが松江所長夫人(高島礼子)に,感謝の気持ちを込めながら泣きすがりつく場面にもつい貰い泣きをせずにはいられない。ドイツで録音したという『第九』の演奏も感動的ですばらしく,しかもこの演奏場面でヴァイオリンを弾くドイツ兵の中にも,また合唱するドイツ兵の中にも私の知人や同僚が数名いて,私にとってはいつまでも忘れられないシーンとなるであろう。さらにそのあとにはかつてのカラヤン指揮の『第九』演奏も織り込まれていて,最後まで貴重な映像の連続である。
 以上のほかに,ドイツ兵俘虜たちが催した「俘虜製作品展覧会」の場面では,『第九』演奏の最終場面と同様に,徳島県の人たちが大勢エキストラとして出演しており,当時さながらのドイツ兵と地元民の「心の触れ合い」が感ぜられて,その点でも大きな意義があると言えよう。このように映画の至るところで,「すべての人々は兄弟となる」(Alle Menschen werden Brueder)という真の意味での『第九』の精神が見事に歌い上げられているのである。国境を越えた真の友情と人間愛を描いた感動作と言えよう。

参考文献
 古田求 『バルトの楽園』(潮出版社,2006年5月)
 林啓介 『「第九」の里 ドイツ村」(井上書房)
 棟田博 『日本人とドイツ人』(光人社NF文庫)
 横田庄一郎 『第九「初めて」物語』(朔北社)
 横田新 『松江豊寿』(歴史春秋出版)

東映映画『バルトの楽園』主な配役
松江豊寿所長 松平 健
松江歌子(所長夫人) 高島礼子
松江久平(所長の父) 三船史郎
幼い頃の松江 佐藤勇輝
クルト・ハインリッヒ総督 ブルーノ・ガンツ
カルル・バウム(パン職人) オリバー・ブーツ
エドアルド・ボーゼ(俘虜たちのまとめ役) ホルガー・ハントケ
ダニエル・ハンゼン(指揮者) ヘンリー・アーノルト
ヘルマン・ラーケ(語り手) コスティア・ウルマン
マレーネ・ラーケ(語り手の母) イゾルデ・バート
高木繁(収容所副官) 國村 準
伊東光康(所員) 阿部 寛
南郷巌(久留米所長) 板東英二
少女志を 大後寿々花
林豊(郵便少年) タモト清嵐
馬丁宇松 平田 満
農民すゑ(カルルを助ける) 市原悦子
たみ(すゑの娘) 中島ひろ子
マツ(語り手の恋人) 中山 忍
板東小学校校長 大杉 漣
   
監督 出目昌伸
脚本 古田 求
音楽 池辺晋一郎
「バルトの楽園」製作委員会 東映 シナノ企画  


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