【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第51号
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○「知的感動ライブラリー」(24)

総合科学部教授 石川 榮作

松竹映画『坊っちゃん』(1977年,夏目漱石原作)の面白さと見どころ

1. 夏目漱石と小説『坊っちゃん』

 夏目漱石は明治23年(1890年)7月に第一高等中学校を卒業,次いで同年9月には東京帝国大学に入学して,英文学を学び,明治26年(1893年)7月に卒業したのち,大学院に進学したが,その直後に高等師範学校から話があってそこの英語教師となった。しかし,高等師範学校の内部の雰囲気は,夏目漱石の気性にはそぐわず,彼にとっては窮屈で窮屈でたまらないものだった。そのように居心地がよくないと感じていた折り,松山中学校から招待を受けて,明治28年(1895年)4月に愛媛県尋常中学校教諭として松山に赴任した。ただこの松山在住も1年間に過ぎず,翌明治29年(1896年)4月には熊本の第五高等中学校からの招聘(しょうへい)に応じて松山を去っている。このわずか1年間の松山でのさまざまな体験をもとにして出来上がったのが,小説『坊っちゃん』である。夏目漱石はこの小説を短期間で書き上げたと言われており,この作品は雑誌「ホトトギス」の明治39年4月号に掲載された。その頃の夏目漱石は創作意欲が極めて盛んであり,はつらつと文壇に乗り出したときでもあり,特に『坊っちゃん』は歯切れのよいリズミカルな文体で書かれ,とにかくユーモアと反俗精神に満ちあふれていて,まさに痛快な内容の傑作と言えよう。
 夏目漱石の作品の原稿は行方の分からなくなっているものが多いが,幸いなことにこの『坊っちゃん』の原稿は保存されているうえ,それが完全に復刻されている。現在でも集英社新書ヴィジュアル版として『直筆で読む「坊っちゃん」』が出版されていて,容易に入手可能である。その原稿を見れば,夏目漱石がこの小説を短期間で一気呵成に書き上げたことが理解できる。ありがたいことに,新潮カセットブック(新潮社)に風間杜夫による全作品の朗読テープもあるので,その朗読に耳を傾けながら,夏目漱石自らの原稿を読むこともできる。その朗読テープが原稿の復刻版(集英社新書)とともに徳島大学附属図書館本館に所蔵されているので,ご利用いただきたい。このようにしてさまざまな方法で読書するのも,たいへん楽しいものである。

2. 松竹映画『坊っちゃん』の面白さと見どころ

 夏目漱石の小説『坊っちゃん』はこれまで幾度となく映画化・ドラマ化されてきたが,1977年には松竹喜劇映画の前田陽一監督が,これぞ『坊っちゃん』の決定版という意気込みで映画化した。主人公の坊っちゃんには中村雅俊,マドンナには松坂慶子が抜擢され,現代風にアレンジされながら,とにかく面白く,痛快で喜劇的な内容の映画に仕上がっている。以下,映画のストーリーを辿りながら,この映画の面白さと見どころを紹介することにしよう。
 夏目漱石の原作は冒頭から主人公の無鉄砲さがリズミカルな文体で書かれていて,「とにかく面白い」の一言に尽きるが,映画もそれに劣らずコミカルで面白い。この映画を学生時代に初めて見てから,いつまでも脳裏に残っているのが,冒頭部分のコミカルな面白さである。明治39年,四国・松山の中学校に数学教師として赴任してきたとき,連絡船から小船に乗り換えて三津浜港に向かう途中,無鉄砲な江戸っ子の坊っちゃん(中村雅俊)はこのときからもうすでに些細なことで数学の主任「山嵐」(地井武男)と喧嘩を始めるが,二人がともにボッチャンと海の中に落ちた瞬間,スクリーンに『坊っちゃん』のタイトルが映し出される。馬鹿馬鹿しいと言えば,それまでだが,私は同じ松竹映画『男はつらいよ』の「寅さん」に劣らない,このようなユーモアがとても好きである。そのあとの映画のあらすじはこのような調子で展開される。
 松山の「山城屋」という宿屋に着いた坊っちゃんは,そこでも気前よく祝儀を弾み過ぎて,これからの生活費をどうしようかと後悔する有様である。松山中学に初めて登校し,校長(大滝秀治)から長々とむずかしい注文のついた説教を聞いたときには,「そんな立派な教師にはなれません」と答えて,いきなり辞令を突き返してしまうほどである。「理想論を述べたに過ぎない」という校長の説得で,坊っちゃんはなんとか思い止どまるが,校長には「狸」という渾名を付け,教頭(米倉斉加年)には「赤シャツ」,絵の教師吉川(湯原昌幸)には「野太鼓」,そして英語の教師古賀(岡本信人)には「うらなり」という渾名を付けた。さらにここで数学の主任山嵐と再会するが,二人は互いに敵対意識を強めて,いずれ決着をつけねば気が済まないような気配である。個性的な教師ばかりで,これから大騒動が起こることは必定である。とりあえず下宿は英語のうらなり先生の世話で,坊っちゃんは質屋と決まり,松山での教師生活が始まった。
 坊っちゃんは最初の数学の授業から生徒たちと衝突する。坊っちゃんが教室に入って行くと,生徒たちはチョークで黒板に落書きをしているのである。小船から落ちた坊っちゃんが,裸姿で人力車に乗っている様子のいたずら書きの絵である。狭い田舎でのことなので,噂はすぐ広まるようである。怒りを覚えた坊っちゃんは,江戸っ子のべらんめえ調で,早口に喋り始めると,生徒たちは松山弁で「もっとゆるゆるやっておくれんかなもし。早過ぎるぞなもし」と要求する。坊っちゃんにはこの生徒たちの松山弁がどうもまだるっこくて,たまらない。坊っちゃんと生徒たちとが互いに自分たちの言葉でやり合うこの場面が滑稽であり,とにかく面白く,見どころの一つでもある。
 最初の日曜日,坊っちゃんは松山見物に出かけ,松山城で松山中学と松山師範学校の生徒たちが喧嘩している場面に出くわす。ところが,松山中学の生徒たちは仲間の二人が痛めつけられているのに,助けようともしないで逃げ出したのには,坊っちゃんは落胆してしまう。このように意気地なしであるのに,翌日,教室に出かけると,またもや黒板にいたずら書きをしている。今度は道後温泉で坊っちゃんが泳いでいるところの絵である。坊っちゃんは昨日,松山城見物のあと,道後温泉に出かけたのである。生徒のうちの誰かが坊っちゃんの姿を見つけたものと思われる。坊っちゃんにしてみれば,そのとき生徒が自分に声をかけてくれるのを期待していたのに,陰湿にもこうして黒板にいたずら書きをすることに坊っちゃんは我慢ができないのである。坊っちゃんは生徒たちに対してますます怒りを覚える。
 その怒りが頂点に達するのが,坊っちゃんが宿直当番の夜のイナゴ事件である。坊っちゃんが蚊帳(かや)の中の布団に入ると,布団の中にはバッタがいるではないか。寄宿舎の生徒たちの仕業だと思い,二階に上がって生徒たちを叩き起こして,いたずらを責め立てるが,生徒たちは「バッタとはなんぞなもし」と知らないふりをする。坊っちゃんが懐にいたバッタを取り出して見せると,生徒たちは「それはイナゴぞなもし」と応じるが,この場面のやり取りが最高に面白い。この映画の見せ場の一つである。
 生徒たちのいたずらは尽きることがない。マドンナ(松坂慶子)の乗っている人力車の車夫が休んでいると,生徒たちはその人力車を引いて走り始めた。それを助けたのが,坊っちゃんであり,ここで坊っちゃんはマドンナと再会する。実は,坊っちゃんは先日道後温泉に出かける汽車の中でマドンナを見かけ,この松山一の美女のことが気にかかっていたのである。マドンナはちょうど坊っちゃんの下宿の隣合わせの家での音楽サークルに出かけるところで,坊っちゃんが別れの挨拶をして質屋の下宿に入るとき,「僕は質入れに来たのではありません。ここに下宿しているのです」と説明する場面も,松竹映画らしいユーモアにあふれている。
 ある日,坊っちゃんは赤シャツと野太鼓に誘われて釣りに出かけるが,そこで赤シャツは坊っちゃんを数学の主任にしたいなどと言いながら,先日のイナゴ事件を生徒たちに唆したのは山嵐だとほのめかす。赤シャツにとって現在の数学の主任山嵐は何かと自分のやり方に盾突く教師で,邪魔な存在のようである。イナゴ事件を唆したのが山嵐だと察した坊っちゃんは,山嵐が無期停学の生徒二人と剣道の練習をしているところに出かけて,山嵐に喧嘩を売って出た。長い格闘ののち,互いに怪我を負って,二人は仲直りをするとともに,二人の間にあった誤解も解ける。そこへ無期停学になっている一人の生徒の姉で,芸者をしている〆香(しめか)が現れ,坊っちゃんを前にして山嵐はあわててしまう。
 次の教員会議の日,山嵐は無期停学となっている二人の生徒の処分解除を求める。山嵐の言い分によると,二人は1か月前の松山中学と松山師範との集団喧嘩の際に先頭に立っただけであり,この二人の停学処分を見せしめにして,他の生徒たちの行動を無理やり押さえ付けようとするのはよろしくないと言って,二人の処分を解除すべきだと言うのである。しかし,この山嵐の提案に賛成するのは,坊っちゃんだけであり,ひどいことには校長の狸ときたら,居眠りをしている有様である。この教員会議の場面が,殊の外,面白い。主導権を握っているのは,もちろん赤シャツであり,居眠りの校長(狸)はその言いなりになっていることがよく分かる。
 赤シャツの陰謀は山嵐のことだけではなく,英語のうらなり先生のことにも及んでいる。赤シャツはマドンナにプロポーズをしようと考えているのだが,そのマドンナは双方の親たちが決めたこととはいえ,一応はうらなり先生の許婚である。そこで赤シャツはうらなり先生を九州の延岡へ転勤させるよう仕組んだのである。その赤シャツのやり方ときたら,いかにも巧妙であり,悪質であるが,この米倉斉加年の赤シャツ役の演技も見どころである。ぴったりの配役と言うべきであろう。
 結局,うらなり先生は九州の延岡へ転勤することとなり,送別会が行われるが,その席で赤シャツからうらなり先生が「汽車の歌」を歌わされる場面は,滑稽ではあるが,どこか悲しさをも感じさせる。「次は,次の駅」と歌ううらなり先生に同情した山嵐と坊っちゃんは,その夜,このように陰謀を企んだ赤シャツと野太鼓に仕返しをしようとする。芸者〆香から赤シャツと野太鼓のプライベートな情報を得た山嵐は,首になることを覚悟して,坊っちゃんと一緒に二人が芸者たちと一夜を明かしているところへ押しかけて,二人の弱みを掴んだのである。この場面が痛快と言えば,痛快である。
 この山嵐と坊っちゃんの果敢な行動に生徒たちも大きな影響を受けて,松山師範の生徒たちからの喧嘩の挑戦に応じる態度に出た。停学処分の二人をそのままにしておくわけにはいかない。自分たちもこれからまた集団喧嘩を引き起こすのだから,全員を停学処分にするがよいと覚悟して,決戦場の河原へと出かけるのである。あとから山嵐と坊っちゃんも加わり,映画はこの場面で盛り上がりを見せる。生徒たちはすっかりともとの元気を取り戻したのである。
 この大騒動の結果は,二人の生徒の停学処分は解除されたが,山嵐には辞表を出すようにというものであった。これを聞いた坊っちゃんは,自分も辞表を出して「清」の待つ東京に戻ることにした。一方,マドンナも赤シャツのプロポーズを拒否して,自立するために東京へ出ることにした。
 坊っちゃんが松山を去る日,三津浜港で山嵐と芸者〆香は夫婦になる約束をする。松山中学の生徒たちの姿は見えなかったが,やがて連絡船が松山から遠ざかり始めたとき,岸辺から大勢の生徒たちが手を振って別れを告げた。原作にはない場面で,すがすがしい印象を与えるエンディングシーンである。見方によっては,この映画は坊っちゃんと生徒たちの絆を描いた作品とも言える。坊っちゃんにとっても,また松山中学の生徒にとっても,まさに元気はつらつとした「青春」を謳歌する,勧善懲悪の作品である。登場人物一人一人がそれぞれの個性を発揮して,とにかく滑稽で,面白く,また少し悲しい場面もあるが,しかし,さわやかな感動を与える映画であると評してもよいであろう。
 是非,ご鑑賞いただき,同時に夏目漱石の原作も読んでみてください。本当に「面白いぞなもし」。一度読み始めたら,「途中では止められんぞなもし」。


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