【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第50号
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○「知的感動ライブラリー」(23)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

シャルル・グノーの歌劇『ファウスト』(1859年初演)

1. ゲーテの戯曲『ファウスト』第一部・第二部

 魔術師ファウスト博士という人物は15〜16世紀頃にドイツに実在した人物であり,最も優れた錬金術師だったようである。この人物をモデルにして,悪魔と契約して魂と引き換えに地上の快楽を手に入れたという「ファウスト伝説」が生まれ,民衆本などで語り継がれている。ゲーテは若い頃からこの伝説のファウストに関心を抱き,20代半ばに『原ファウスト』を書き,1790年には『ファウスト断章』を発表し,さらにそれに加筆して1808年に『ファウスト』第一部を刊行した。その内容をごく簡単に紹介すると,次のとおりである。
 哲学・法学・医学・神学など,すべての学問をファウスト博士は極め尽くしてきたが,50代半ばを過ぎて知り得たことは,結局「人間は何も知ることができない」ということであった。研究生活に絶望した彼は,悪魔メフィストフェレスに対して,魂を売り渡す代わりに地上で歓楽を味わうことができると契約を交わして,その霊薬によって20代の美青年に若返った。こうして悪魔メフィストフェレスと一緒にファウストの遍歴が始まり,青年ファウストは往来でマルガレーテ(愛称グレートヒェン)に出会い,彼女に一目で惚れてしまう。ファウストは悪魔の助けで彼女に近づき,一時は清純な彼女を誘惑することに良心の呵責(かしゃく)を感じるものの,最後には彼女と愛し合うようになる。しかし,逢引のためにグレートヒェンは自分の母に飲ませた睡眠薬の分量を誤ってしまい,母は死んでしまい,妹の噂を聞きつけた兄ヴァレンティンもファウストと決闘して殺されてしまう。さらにファウストの子供を生んだグレートヒェンは,さまざまな苦悩に耐え切れずにわが子を殺して,牢獄に繋がれてしまう。ファウストは悪魔の力を借りて彼女を救い出そうとするが,彼女はファウストの背後にいる悪魔メフィストフェレスを嫌って,牢獄にとどまり,神の裁きを受けることを決意する。「女は裁かれた」という悪魔の叫びに対して,「救われた」という声が天上から響いてくる。ファウストの立ち去る背後から,グレートヒェンのファウストに呼びかける悲しげな声が聞こえてくる。
 ゲーテはその後,さらにこの続編の構想を練り上げて,28年後の1831年,すなわち,死の前年に『ファウスト』第二部を完成させた。その第二部の最終場面には,かつての愛人グレートヒェンが現れ,ファウストの魂の救いを聖母に願い,その許しを得て,彼の魂を天国へ導いていく。最後に「永遠にして女性的なるもの、/われらを引きて昇らしむ」(高橋義孝訳,新潮文庫)という有名な神秘の合唱でもってこの作品は終わる。『ファウスト』は文字どおりゲーテの生涯をかけた大作であるとともに,世界文学における不朽の名作でもある。

2. グノーの歌劇『ファウスト』のあらすじと見どころ・聴きどころ

 ゲーテの戯曲『ファウスト』は,以上のとおり,ゲーテの生涯をかけた名作であり,ゲーテのすべてが随所に織り込まれていて,たいへん奥行きが深くて,難解な部分も多いのであるが,これを素材にしたグノーの歌劇『ファウスト』は,ファウスト物語が簡単化されていて,ファウスト伝説についての何の知識を持ち合わせていなくても大いに楽しむことができる。グノーは1838年,20歳のときにゲーテの『ファウスト』を初めて読んで深い感銘を受け,以後,常に座右の書として読み続けて,オペラ化し,1859年パリのテアトル・リリック劇場で初演を迎えた。しかし,このときの初演はオペラ・コミックの形態で書かれたものであった。翌年1860年の上演をきっかけに,グノーはそれをグランド・オペラに書き改めて,それは1869年にパリ・オペラ座で初めて上演された。今日,上演されているのは,このように管弦楽と合唱とバレエを総動員した五幕から成るグランド・オペラである。以下,その見どころ・聴きどころなどを織り交ぜながら,ごく簡単にあらすじを紹介することにしよう。
【第一幕】
 ファウストの書斎。ある夜。白髪となった老博士ファウストは,年齢を重ねた今となっても,宇宙の理を解明できずに,絶望的になって毒を仰いで自殺を図る。しかし,そのとき若い娘や農民たちの暁を告げる歌声が聞こえてくる。ファウストの心中には神への不信と,失われた青春と学問への呪いが渦巻き始めて,彼は悪魔を呼び出す。粋な姿で現れた悪魔メフィストフェレスは,失われた青春の快楽を取り戻すことを願望するこの老博士に,その代償としてその魂を要求するとともに,魔法を使って糸を紡ぐ美しい乙女マルガレーテの幻影を見せる。ファウストはたちまちその美しさに魅せられて,悪魔の勧める杯を飲み干すと,たちまち若者の姿に変身して,悪魔と一緒に青春の遍歴に出かける。
【第二幕】
 祭りで賑わう町の広場。学生や兵隊や町の人たちが楽しく歌って騒いでいる。出征することになったヴァレンティンは,留守中の妹マルガレーテの身を案じて,妹を友人シーベルに託す。そこへ悪魔メフィストが現れて,奇怪な歌を歌うので,人々は彼が悪魔なのではないかと思う。やがて人々が軽快で優美なワルツを踊り始めると,教会からマルガレーテが出て来る。ファウストはマルガレーテに近寄って誘いかけるが,断られてしまう。人々の踊りと歌が続く。第二幕はこのように全体にわたって楽しい歌や踊りなどがあって,オペラの醍醐味が味わえる見どころ・聴きどころであろう。
【第三幕】
 マルガレーテの家の庭。マルガレーテに思いを寄せている若者シーベルが現れて,庭に咲く花で花束を作るが,悪魔メフィストの予言どおり,花はどれも萎んでしまう。そこで彼は聖水で手を清めて,花を摘み採って,マルガレーテの戸口に置いて立ち去る。入れ違いにファウストが悪魔メフィストとともに現れ,マルガレーテへの思いを歌い上げる。ファウスト役の最も重要な聴かせどころである。その間,メフィストは贈り物を探しに退いていたが,宝石箱を持って来て,それをマルガレーテの戸口に置いて,ためらうファウストと一緒に木陰に身を隠す。やがてマルガレーテが家の中から庭に出て来る。彼女も広場で話しかけられた青年のことが忘れられない。糸を紡ぎながら,「トゥーレの王の歌」を歌ったあと,花束と宝石箱を見つける。花束には興味を示さず,宝石箱を開き,中に入っていた首飾りを身に着けて,「宝石の歌」を歌う。コロラトゥーラの装飾もまばゆい華麗なアリアで,聴きどころであるのは確かである。隣の家のマルテ夫人が現れて,その宝石は求愛者の贈り物に違いないと言っているところに,メフィストとファウストが再び登場する。メフィストは巧みにマルテ夫人を誘い出し,ファウストはマルガレーテを口説き始める。二人の「愛の二重唱」が始まる。二人の気持ちが頂点に達したとき,清純な乙女のマルガレーテが「今日はお帰りになって」と繰り返し懇願して,家に入って行く。こらえきれないファウストはマルガレーテを追いかけようとするが,メフィストがそれを制止して,恋の手解きを教えて,堅い相手には間(ま)を置いて焦らすのが大切だとアドバイスを与える。メフィストの言うとおり,マルガレーテは窓を開け,恋の歓びを歌い始めると,ファウストは窓辺に駆け寄り,二人は手を取り合い,抱擁する。メフィストは得意げにそこを立ち去って行く。
【第四幕】
 第一場はマルガレーテの部屋。彼女はファウストの子を宿しているが,ファウストは無情にも彼女を捨て去っている。マルガレーテは姿を見せなくなった恋人ファウストが戻って来てくれるようにと願う清らかで哀切な歌を歌う。そこへシーベルが現れて,彼女に苦しみを与えた卑劣な男への復讐を誓うとともに,彼女への変わらぬ愛を打ち明ける。マルガレーテは教会に祈りに出かける。
 第二場はその教会。マルガレーテが祈り始めると,メフィストの声が響いてくる。神にすがろうとするマルガレーテと,彼女を獲物にして地獄に陥落させようとするメフィストに加えて,悪魔たちの声や修道僧たちの敬虔な祈りの合唱も加わって,盛り上がりを見せる場面である。マルガレーテは失神して倒れてしまう。
 第三場は街頭。行進曲とともに兵隊たちが凱旋して来る。この行進曲も楽しみの一つである。ヴァレンティンは妹マルガレーテが留守中に妊娠させられたことを知って,ファウストに決闘を挑むが,メフィストの助力もあって,倒されてしまう。
【第五幕】
 第一場から第三場まではヴァルプルギスの夜,ハルツ山系のブロックスベルク。魔女たちが乱痴気騒ぎをしているところへファウストはメフィストに連れられてやって来る。彼は魔女たちのなまめかしい踊りに魅了されながらも,マルガレーテへの思いを断ち切ることができずに,彼女のもとへ戻って行く決意をする。この場面におけるバレエも見どころである。
 第四場は暗い牢獄。絶望のあまりマルガレーテはファウストとの間の嬰児を殺してしまい,牢獄につながれている。ファウストはメフィストと一緒にそこへやって来て,彼女に詫びながら一緒に牢獄から逃げ出そうと誘うが,彼女は彼の背後にいる悪魔をきらって,それを拒否する。彼女は神に救いを求めながら,その場で息絶えてしまう。悪魔メフィストは彼女の魂が地獄に墜ちたと叫ぶが,天使たちの合唱が彼女の魂の救済を告げる。マルガレーテの魂は昇天する。ファウストはひざまずいて祈り,メフィストは大天使の光り輝く剣で打ち倒されてしまう。文字どおりのクライマックスで,見どころ・聴きどころである。

 なお,徳島大学附属図書館に備えているDVDは1973年9月9日と12日に東京のNHKホールで上演されたもののライヴ録画であり,幕と場面の割り振りが台本と違っているが,全体的には同じ内容の構成である。是非,この機会にこのグノーのグランド・オペラを鑑賞すると同時に,原作のゲーテの『ファウスト』にも挑戦してみてください。「永遠にして女性的なるもの」の意味が少し分かった気にもなります。ゲーテの作品は「永遠の名著」と言ってもよいでしょう。


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