【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第49号
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○「知的感動ライブラリー」(22)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

ジュール・マスネの歌劇『ウェルテル』(1892年初演)

1. ゲーテの書簡体小説『若きウェルテルの悩み』

1) 小説の素材
 フランスの作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)がその歌劇『ウェルテル』を書き上げる際に素材として用いたのは,もちろんドイツの文豪ゲーテ(1749-1832)の小説『若きウェルテルの悩み』(第一稿1774年,第二稿1784年)である。この小説はゲーテ25歳のときの作品で,ゲーテ自らの恋の体験に基づいている。ゲーテは1772年に法務実習のためにライン地方の田舎町ヴェツラルを訪れ,そこで法務官の娘シャルロッテ・ブフと知り合い,彼女に恋をしてしまうが,彼女には若い勤勉な官吏でケストナーという婚約者がいた。ゲーテはこの彼女への恋に苦しみ,その頃知人イェルザレムがピストル自殺したのをヒントにして,この小説を書き上げた。それによってゲーテは青春の危機を克服し,この作品は時代と国境を超えて「永遠の青春の書」として現代に至るまで多くの読者によって愛読されている。『エッカーマンとの対話』の中でゲーテは,『ウェルテル』が自分のためにだけ書かれたのだと思わない人は気の毒だと言わねばならないだろうと述べている。ナポレオンもこの作品を7度も愛読し,エジプト遠征にもこの書を携えて行って,読み続けたという話まで伝えられている。まさにこのゲーテの小説によってドイツ文学は世界文学の仲間入りをしたと言ってもよいであろう。

2) 小説の内容
 この作品は書簡体小説という内的告白の手段を用いているので,最初は前後の事情を理解するのに苦労するが,読み進めていくうちに前後の関係も明らかとなってくる。簡単にまとめると,次のようなあらすじである。
 主人公ウェルテルは感受性が強く,情熱的で多感な青年である。彼は1771年5月,遺産に関する用件を処理するためにライン地方のヴェツラルの町を訪れたとき,豊かな自然の息吹に包まれて,これまで経験したことのないほどの幸福感に満たされた。そのような生活の充実感を味わっている中で,彼はある日の夕暮れ舞踏会に招かれて,ロッテという法務官の娘と知り合った。彼女は素朴で快活なうえに,奥ゆかしい優雅な魅力を持ち合わせた娘であった。ウェルテルがその家を訪れるたびに,ロッテは亡き母に代わって2歳から11歳までの弟や妹の面倒をこまめに見ていた。そのようなロッテにウェルテルは恋をしてしまうが,彼女にはアルベルトという婚約者がすでにいた。
 そのアルベルトがやがて旅先から帰って来た。彼はまじめな実務家で,寛容な人物でもあったため,ロッテと親しくなったウェルテルに対しても好意を抱いていた。しかし,ウェルテルの方はアルベルトに対して激しい嫉妬を感じ,ロッテへの溢れるばかりの愛情に耐えかねて,ついにはそのヴェツラルの地を去って,ある町の公使館に勤めた。
 ところが,公使館での仕事はウェルテルの肌には合わずに,ある夜会の席上で貴族たちから不当な侮辱を受けて,結局のところ,彼はそこを辞職した。一旦は兵役に従事することも考えたが,それも果たせず,実生活によりどころを失ったウェルテルは,心の故郷とも呼ぶべき存在のロッテのもとを訪れるが,彼女はすでにアルベルトの妻となっていた。ウェルテルの悩みはますますひどくなっていくばかりで,そのためにアルベルトとの仲も当然のことながらまずいものとなっていった。
 愛するロッテの幸せのためには自分を抹殺するしかないとウェルテルは思い,最後の別れを告げるためにロッテを訪れる。そのときウェルテルは古代アイルランドの詩人オシアンの詩をロッテに読み聞かせるが,この詩の持つ不思議な力に圧倒されて,思わずロッテを抱き締めて接吻してしまう。ロッテは手でウェルテルの胸を押しのけ,混乱と不安,怒りと愛情に身を震わせながら,最後の別れを告げた。ウェルテルはその場を立ち去って,以前旅行用に借りたいと申し出ていたピストルを取り寄せて,その夜,自ら命を絶ってしまうのである。
 主人公ウェルテルはこのように人妻への恋の苦しみに耐え切れずにピストル自殺をしてしまうが,しかし,ゲーテはもちろんこの小説で自殺を擁護したのではなく,この恋の苦しみの体験を作品化することによって,現実の苦悩を克服したのである。作品創造によって恋の苦悩から自らを立ち直らせるのは,天才ゲーテの常套手段であり,この「ウェルテル体験」はその後のゲーテの生涯の作品においてもずうっと続くことになるのである。

2. ジュール・マスネの歌劇『ウェルテル』

1) 作曲の経緯とその歌劇の初演
 この作品の作曲の経緯は複雑に入り組んでいて,オペラ化の構想や作曲の時期などに関しても,曖昧模糊としたところが多い。マスネがゲーテの小説を基にしてオペラの構想を練り始めたのは,1880年の秋頃とする説もあれば,もともと『ウェルテル』のオペラ化は三人の台本作者のうちのP.ミリエがもちかけたもので,その時期は1878年にまで遡るとする説もある。いずれにしても台本作者たちが意図した「人間性のドラマ」という方向性が作曲者マスネに強い刺激を与えて,作曲を開始して,1887年に一通り完成させた。マスネはその作品をオペラ=コミック座で上演したいと考えていたが,当時の支配人レオン・カルヴァロが暗いテーマに不満を示して,それは実現しなかった。この作品が初演されたのは,1892年ウィーンの宮廷歌劇場においてであり,しかもドイツ語訳による上演であった。フランス語による初演はパリ=コミック座で翌年の1893年にようやく実現した。以下,その歌劇(全四幕)の内容を紹介しておこう。

2) 歌劇『ウェルテル』の内容
【第一幕】
 ある年の7月,法務官の家。法務官が庭で子供たちにクリスマスの歌を教えている。友人のヨハンとシュミットが訪れて,7月にクリスマスの歌の練習をするとは気が早いのではないかと言うが,法務官は子供たちに歌を教え込むのはそう簡単ではないと答える。そこへ15歳の娘ゾフィーがやって来て,姉のシャルロットは今夜ヴェツラルで開かれる舞踏会へ行くための着替えがまだできていないことを伝える。男たちがシャルロットをエスコートして舞踏会へ行く若者の噂をしている中で,新顔のウェルテルのことが話題に上る。皆がその場を離れたところで,そのウェルテルが姿を現す。彼は自然に包まれた法務官の家のたたずまいに感動して,自然を称える歌を歌い上げる。そこへ子供たちとシャルロット,そして法務官が出て来る。ウェルテルは小さな弟や妹の世話をするシャルロットの姿に心を打たれてしまう。彼はシャルロットの美しさに圧倒されて,彼女をエスコートして舞踏会に出かけて行く。
 法務官やウェルテルなどが出かけたのと入れ替わりに,シャルロットの許婚アルベールが久しぶりに戻って来て,ゾフィーに声をかける。義理の兄になるアルベールを出迎えたゾフィーは,姉たちは舞踏会に出かけたことを知らせる。アルベールはゾフィーから彼の留守中も姉の愛は変わることなく,婚礼の準備に忙しかったと聞いて,喜びの歌を歌ったのち,帰って行く。
 夜も更けて,シャルロットはウェルテルとともに帰宅する。シャルロットは亡くなった母から家のことを任された事情を話すと,ウェルテルはこみあげる感情を抑えきれずに,彼女を愛していることを打ち明けてしまう。そのときシャルロットはアルベールが戻って来たことを父から知らされて,ウェルテルに向かって「自分には母が決めた許婚がいます」と答えて,家の中に入って行く。ウェルテルは絶望の声を上げる。
【第二幕】
 シャルロットがアルベールと結婚して2か月後の9月の日曜日。ウェルテルは仲睦まじく教会に現れたアルベールとシャルロット夫婦を見て,苦しむ。アルベールはウェルテルが自分の妻を愛していることを知りながらも,彼には好意を示して対応するが,ウェルテルの心の中は穏やかではない。ゾフィーが現れ,ウェルテルに好意を示した歌を歌い上げるが,ウェルテルは関心を示さない。教会から出て来たシャルロットを見かけて,彼は再度自分の気持ちを打ち明けるが,彼女はそれを拒絶して,しばらく会わない方がよいと答える。しかし,心の底で彼を愛する彼女は,「クリスマスには戻って来てください」と言い残してから立ち去る。
 ウェルテルは絶望のあまり,死を考えるようになり,その心情を切々と歌う。立ち去ろうとする彼にゾフィーが声をかけると,ウェルテルは「もはや二度と帰ることはない」と言い捨てて,走り去る。妹から事情を聞いたシャルロットは複雑な気持ちにとらわれる。
【第三幕】
 クリスマス・イヴの日の夕方,アルベールの家。シャルロットが一人で家にいる。彼女はウェルテルから来た手紙を読み返しながら,心を高ぶらせて,涙に暮れるさまを歌い上げる。妹のゾフィーが訪れて,姉を励まそうとするが,シャルロットはウェルテルの名前を聞いた途端に自制心を失ってしまう。姉の身を案じたゾフィーはたびたび自分たちの家を訪れるように言ってから,その場を立ち去る。激情を抑えられないシャルロットは自分の苦境を歌い上げる。
 そこへウェルテルが突然現れる。彼は自分の気持ちを「オシアンの詩」に託して,切々と歌い上げると,シャルロットも自分を抑えきれなくなって,一瞬,ウェルテルの抱擁に身を任せてしまう。しかし,彼女はすぐに我に返って,二度と会わないことを告げて,その部屋を去る。ウェルテルもついには自殺を決意してその場から飛び出してしまう。
 アルベールが帰宅して,妻の様子がおかしいのを見て,何かあったのかと尋ねる。そこへ召使がウェルテルからの手紙を持って来る。その手紙には「旅に出るので,アルベールのピストルを貸してほしい」と書いてある。アルベールはシャルロットに向かって,ウェルテルにピストルを渡すように命じる。シャルロットは不吉な予感を覚えながらも召使にピストルを預ける。アルベールはウェルテルからの手紙を握りつぶして立ち去る。シャルロットは外套を手に取って,ウェルテルのあとを追って出て行く。
【第四幕】
 クリスマス・イヴのウェルテルの部屋。ウェルテルがピストルで自殺を図って床に倒れている。シャルロットはそこへ駆け込んで来て,血まみれになっているウェルテルを見つける。シャルロットの呼びかけで意識を取り戻したウェルテルは,シャルロットに許しを請いながらも,死ぬ前に会えて幸せだと語る。シャルロットは彼に接吻しながら,「この口づけであなたの魂がすべての不幸と悲しみと苦しみを忘れられますように」と語りかける。戸外からゾフィーと子供たちが歌うクリスマスの歌が聞こえてくる。その声に幸せな日々を思い出したウェルテルは,「自分の亡骸を人里離れた谷間に葬って,密かに訪れて涙を流してくれ」と頼んでから,息を引き取った。シャルロットは悲しみに暮れて,その場に倒れてしまう。クリスマスの歌が虚しく響いてくる。

3) マスネの歌劇『ウェルテル』の見どころ・聴きどころ
 以上のとおり,マスネの歌劇はゲーテの原作とほぼ同じ内容であるが,オペラとしてもちろん違ったところもある。一番大きな違いは主人公ウェルテルがピストル自殺を図った場面で,マスネのオペラではシャルロットが彼の部屋に駆けつけて,互いに愛を告白している場面であろう。ゲーテの原作ではシャルロッテはウェルテルが自殺したことの知らせを受けたとき,アルベルトの前で気を失ってしまい,自殺の現場には行かないことになっている。しかも彼女のウェルテルへの愛情は抑制されていて,表面に現れることは少なくなっている。それに対してマスネの歌劇では,シャルロットはウェルテルが息を引き取る場面に居合わせて,しかも二人は心からの愛情を吐露している。この歌劇の最大の見どころ・聴きどころであろう。そのほかでは,第一幕でシャルロットに許婚がいたことが分かる最終場面,第三幕ではウェルテルからの手紙を読む場面と「オシアンの歌」の場面などももちろん見どころ・聴きどころである。
 是非,この機会にマスネの歌劇『ウェルテル』を鑑賞されるとともに,できればゲーテの原作も手に取って読んでいただければと願っている。翻訳の中でも新潮文庫の高橋義孝訳『若きウェルテルの悩み』がお薦めである。そのほかの文庫本にも数多くの翻訳があることを付け加えておこう。


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