【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第48号
メールマガジン「すだち」第48号本文へ戻る


○「知的感動ライブラリー」(21)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(全三幕)

1.楽劇『トリスタンとイゾルデ』の成立過程
 ドイツ中世叙事詩人ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの『トリスタンとイゾルデ』の現代語訳が1844年に出版されたとき,ワーグナーはこれを読んでトリスタン物語に関心を抱いたが,その物語のオペラ化を思い立ったのは,ずっとのちの1857年,『ニーベルングの指環』四部作のうち,三番目の『ジークフリート』第二幕を作曲していた頃のことである。ワーグナーはこの畢生(ひっせい)の大作が周囲の状況から見て上演の可能性のないことを悟ると,その作曲を中断して,もっと一般受けする作品を作ることを考え始め,そのとき浮かんできたのがこのトリスタン伝説であった。ワーグナーは最初は小さな作品にする予定であったが,台本を執筆して音楽を付けているうちにだんだんと大きな作品に膨れ上がっていった。その際,大きな影響を与えたのが,チューリヒ近郊に住居を提供してくれた富裕な商人オットー・ヴェーゼンドンクの妻マティルデとの恋愛である。このマティルデとの許されない愛の体験の影響などもあって,『トリスタンとイゾルデ』は超大作へと発展し,2年の歳月をかけて,1859年に完成した。しかし,さまざまな事情からこの作品の上演はなかなか実現されなかった。結局のところ,この作品はルートヴィヒ二世と出会うまでは日の目を見ることなく,完成後6年を経た1865年にやっとミュンヘンの宮廷歌劇場で初演される運びとなった。上演そのものの評判はよかったものの,ワーグナーに国の莫大な資金がつぎこまれているのを快く思わなかった地元の新聞からは酷評が下された。しかし,この作品の評判は各地へ伝えられ,その後次々と世界の主要都市で初演され,いずれも大成功を収めた。

2.トリスタン物語の簡略化
 このような成立過程を経て完成された作品であるが,出来上がった作品は素材に用いたゴットフリートの叙事詩とはかなり異なっている。ワーグナーはゴットフリートの作品において展開されている伝統的な多くのエピソードを大幅に削除しており,ワーグナーの作品に主な部分として残されているのは,「婚礼の船旅」と「愛の媚薬」(第一幕),「恋人たちの逢瀬」(第二幕),そして「愛の死」(第三幕)だけであり,しかもそれらはかなり簡略化されたり,改変されたりしている。そのほかになくてはならないエピソードとして,「トリスタンとモーロルトの決闘」,タントリスと名乗っての「癒しの旅」,「剣の刃こぼれ」,「マルケ王の求婚」などが挙げられるが,それらは登場人物の台詞の中で回想して語られているに過ぎない。ワーグナーはドイツ中世叙事詩を素材に用いながらも,それとはまったく違うトリスタン世界を作り上げているのである。「もはや伝説を離れて,一つの聖なる詩となっている」と言っても過言ではあるまい。ワーグナーの作品はトリスタン伝説の系譜において特異性を有する作品であり,そこには明らかにワーグナー独自の世界が展開されているのである。そのワーグナー特有のトリスタン世界を以下において簡単にまとめることにしよう。

3.ワーグナーにおける愛の媚薬――第一幕――
 演奏会等でもよく演奏されるお馴染みの前奏曲が終わって,幕が上がると,第一幕の舞台はアイルランドからコーンウォールに向かう船の上である。アイルランドの王女イゾルデは,マルケ王の花嫁として,トリスタンが舵を取る船に乗ってコーンウォールに向かっているが,トリスタンに怒りを抱いている。それはなぜなのか。それはあとでイゾルデが侍女ブランゲーネに過去の経緯を物語っているところから徐々に明らかになっていく。
 第3場でイゾルデが物語るところによると,トリスタンはかつて戦闘でアイルランドの勇士でイゾルデの許婚でもあったモーロルトを打ち倒したが,自らも深手を負い,小舟でアイルランドの岸に流れ着いた。医術の心得のあったイゾルデは,その病み衰えた男タントリスの傷を治したが,剣の刃こぼれでこの男が自分の許婚の殺害者トリスタンであることを悟った。イゾルデは剣を振り上げて復讐しようと思ったが,しかし,知らず知らずのうちにトリスタンに愛情を抱いていたため,剣を落としてしまい,彼を逃がしてやった。ところが,トリスタンはその後,マルケ王の求婚者として再度アイルランドを訪れ,イゾルデ姫をマルケ王の花嫁と仕向けたのである。王女イゾルデとマルケ王との結婚は,アイルランドとコーンウォールとの間で長年繰り返されてきた争いを収めるためのものであったが,王女イゾルデにしてみれば,それはいわば政略結婚であり,それに応じることは恥辱を意味している。それに何よりもトリスタンがこれまでの恩を仇で返したことをも意味している。それゆえにイゾルデはトリスタンへの憎しみを募らせているのである。
 コーンウォールに到着するのを目の前にして,イゾルデはトリスタンを自分のもとに呼び寄せて,罪の償いを要求する。「それは償われたはず」と言うトリスタンに対して,イゾルデは「私たちの間ではまだ果たされていない」と答える。このとき初めてトリスタンはモーロルトがイゾルデの許婚であったことを知り,「復讐を遂げるがよい」と言って,自分の剣を差し出した。しかし,今回もイゾルデは剣を振り上げることはできなかった。この場面では二人の本当の気持ちは明らかにされず,もどかしい展開となっているが,イゾルデはトリスタンに剣を収めさせて,その代わりに償いの杯を一緒に飲むことを要求し,侍女ブランゲーネにその準備をさせる。「償いの杯を一緒に飲む」とは,二人で毒杯をあおることを意味しているが,トリスタンはそれを知りながらも,その杯をイゾルデの手からもぎ取って,それを飲む。するとすばやくイゾルデもそれを奪い取って,飲んでから,杯を投げ捨てた。二人のもやもやとしていた気持ちは,やがて愛情に変わっていく。二人が飲んだのは,「死の毒薬」ではなく,ブランゲーネが擦り替えていた「愛の媚薬」だったのである。たちまち二人の間には愛の炎が燃え上がった。これまでもやもやとしていて表面に現れなかった愛情が,この「愛の媚薬」を飲んで,初めて現れ出たのである。二人が「死の毒薬」と思って飲んだものが,実は「愛の媚薬」だったのであり,それによって「愛」と「死」の合一というワーグナー独特のテーマが展開されることとなったのである。ここにワーグナーの最も顕著な独創性があると言えよう。

4.ワーグナーにおける恋人たちの逢瀬――第二幕――
 第二幕の舞台はマルケ王の城内で,夜である。マルケ王の妃となったイゾルデは,トリスタンとの逢瀬のために,王の一行が夜の狩りに出かけて遠ざかるのを待っている。伝統的なトリスタン伝説においても有名なエピソードであるが,ワーグナーではイゾルデの部屋の前にある夜の庭での出来事に集中化されており,しかもその逢瀬の場にやって来るのは,伝統的な伝承とは逆にトリスタンの方である。逢瀬の合図も,小川の中に流す木の屑(くず)ではなく,イゾルデの部屋の扉の脇に立て掛けてある松明(たいまつ)の明かりである。その明かりがついている間は,二人は会うことができない。王の一行の角笛の響きが遠くに消えるとともに,その明かりも消えることになっているが,待ち切れないイゾルデは,侍女ブランゲーネの警告にもかかわらず,その明かりを自分で消してしまう。
 松明の明かりが消えると,トリスタンがやって来て,二人は激しく抱擁するが,二人は昼間の輝きが自分たちを引き離してきたことを嘆く。ここで長々と展開される恋人たちの対話は,「昼」と「夜」の対話で構成されているが,決して他愛ない愛の戯言(ざれごと)の繰り返しではなく,そこには綿密に構築された「昼の世界」と「夜の世界」の対立が読み取られて,その対立の中から恋人たちの心の中にある真相が明らかにされてくるのである。
 その「昼」と「夜」の対話を要約すると,トリスタンは「昼間の世界」の名誉と名声を守るために,求婚の使者となってアイルランドに赴き,イゾルデをマルケ王の花嫁にしようとした。そのような「昼間の虚しい奴隷」のトリスタンをイゾルデ自身も激しく憎んで,その裏切りの昼間から彼を夜の闇へ連れ出そうとして「毒薬」を差し出した。トリスタンもそれが毒薬であると知りながら,それを飲み,彼の昼は終わったと思った。ところが,それは「死の薬」ではなく,「愛の媚薬」であり,二人はまた昼間の手に委ねられてしまった。トリスタンはその飲み物によって初めて自分の眼の前に奇蹟の夜の国が開けて,その夜の闇の中でイゾルデのまことの姿を見ることができたものの,イゾルデを「昼間の世界」の国王に譲らねばならず,その結果,イゾルデは味気ない昼間の輝きの中で一人寂しく生きていかなければならなくなったのである。この苦しみをどのようにして耐えていったらよいのか。「夜に捧げられた身」となった二人は,今こそ「夜の世界」へ行くときだと言って,「清らかな夜」へのあこがれを表明しながら,その「夜の世界」にしばらく身を委ねるのである。この場面がワーグナー独特のトリスタン世界であり,この作品の圧巻部分である。
 しばらくの間,二人は恍惚となって,二人の「夜の国」へのあこがれは頂点に達したとき,この二人の「夜の世界」に突然マルケ王とメーロトらの「昼の世界」が入って来て,またもや二人は「昼の世界」に呼び戻される。それでもトリスタンはイゾルデを「夜の世界」に誘おうとすると,イゾルデはもはやためらうこともなくそれに応じる。しかし,その瞬間,メーロトが剣を抜いて襲いかかってきた。トリスタンはその剣に向かって,自ら身を投げ出すのである。

5.ワーグナーにおける愛の死――第三幕――
 第三幕の舞台はブルターニュにあるトリスタンの父祖からの居城カレオーレである。ここでも伝統的なさまざまなエピソードは極力削除され,あらすじはかなり簡略化されて,白い手のイゾルデは登場することもなく,物語の最終場面,つまり,忠実な従僕クルヴェナールによって故郷に連れ戻されたトリスタンが瀕死の状態で病床に臥している場面である。コーンウォールのイゾルデ王妃には使者が遣わされているが,イゾルデが一緒に来る場合の合図は,ワーグナーではオペラにふさわしく,羊飼いがシャルマイで「悲しい節」に代わって「楽しくて,明るい節」を吹くことになっている。
 昔,よく耳にしたことのある,その羊飼いの悲しげな「なつかしい調べ」が聞こえてくる中で,トリスタンはようやく目覚める。トリスタンは以前から彼がいたところ,これから行こうとしている「世界の夜という広い国」へ出かけていたが,未だに太陽の輝く「昼間の世界」にいるイゾルデへのあこがれを募らせて,また「昼の世界」に戻って来たのである。「夜が訪れるのはいつか」と尋ねながら,イゾルデへのあこがれを表明するトリスタンに向かってクルヴェナールが,イゾルデを呼びに使いを出していることを伝えると,トリスタンは彼に心からの感謝を述べる。このクルヴェナールが忠実にトリスタンに仕えているさまが生き生きと描かれているところにもワーグナーの特徴があると言えよう。
 クルヴェナールは今も主人のために必死になって船が近づいて来るのを見張っているが,しかし,船の姿はなかなか見えない。その間にトリスタンは一度気を失って倒れてしまうが,また正気を取り戻して,船はまだ見えぬかと尋ねて,苛立たしい気持ちでクルヴェナールともみ合っているうちに,ついに羊飼いの調べによって船の近づいていることが知らされる。船が近づいて来るさまをクルヴェナールがトリスタンに語る場面が生き生きと描かれているところにもワーグナーの特徴がある。しかし,ワーグナーのトリスタンにとってイゾルデが近づいて来ることは,伝統的なトリスタン伝説とは逆に「夜の世界」に入ることを意味する。死へのあこがれがまたもや募ってきて,トリスタンは寝台から立ち上がりながら,傷の包帯を引き裂き始める。その傷口をイゾルデによって永遠に閉じてほしいのである。トリスタンは「夜の世界」に足を踏み入れようとしているのであり,そのときイゾルデが入って来て,彼女の腕に抱き留められたまま,彼女の名前を口にしながら,息を引き取る。まだ「昼の世界」にいるイゾルデは,トリスタンに必死に呼びかけ,そのままトリスタンの亡骸の上にくず折れてしまう。
 クルヴェナールはこの嘆かわしい光景を言葉もなく見つめていたが,そのとき羊飼いが入って来て,港にもう一隻船が到着したという。クルヴェナールはやがてそこに姿を現したメーロトに襲いかかって,彼を殺してしまうが,自らもそのあとの戦いで負傷してしまい,トリスタンの亡骸の上に寄りかかって死んでしまう。マルケ王はトリスタンの亡骸を見て嘆く。マルケ王はブランゲーネからすべての事情を聞き知って,今日トリスタンとイゾルデを娶(めあ)わせるためにここへやって来たのである。ブランゲーネの介抱でやがて目覚めたイゾルデにも,そのことを伝えるが,今のイゾルデにはマルケ王の言葉も周りの人の言葉も耳に入らない。彼女はトリスタンの亡骸にまなざしを当てて,感激を募らせながら,最後にいわゆる「愛の死」の歌を歌い上げる。このときようやくイゾルデはトリスタンと一体になることができたと言えよう。「清らかな夜の世界」に溺れ,沈み,我を忘れる,この上ない悦びこそ,トリスタンとイゾルデが理想とする真実の「愛」なのである。昇天するトリスタンのあとを追いかけるとき,「愛」と「死」が一つになったのである。

6.ワーグナーにおける「清らかな夜の世界」
 以上のように見てくると,ワーグナーのトリスタン世界が伝統的なトリスタン伝説とはかなり異なっていることが理解できよう。ワーグナーは伝統的なトリスタン伝説をできるだけ簡略化しており,その簡略化はトリスタンとイゾルデの愛を内面的に深化させることにつながっている。二人の愛は,第一幕では,「沈黙」のうちに展開され,「愛の媚薬」を飲むことによって初めて表面に現れ出る。しかも二人が「死の毒薬」だと思って飲んだものが,「愛の媚薬」だったのであり,それによってワーグナー独特のテーマが展開されることとなった。第二幕では,このテーマに従って,「昼の世界」と「夜の世界」の対話を展開させることによって,二人は「夜の世界」へのあこがれを強めていくが,最終場面でマルケ王やメーロトなどの「昼の世界」の登場によって,その「夜の世界」へのあこがれが遮断されてしまう。そこでトリスタンは自殺的行為によって自ら強引に「夜の国」へ行こうとする。第三幕において一度「夜の世界」へ足を踏み入れたトリスタンは,未だに「昼の世界」にいるイゾルデへのあこがれを強くすることによって,最後にはイゾルデを「夜の世界」に誘うことができる。最終場面でマルケ王が姿を現しても,イゾルデはもはや動じない。「愛の死」を歌うことによって,イゾルデはあこがれの「夜の世界」でトリスタンと結ばれ,二人の愛は宇宙と一体となる。これがワーグナーのトリスタンとイゾルデの「愛の死」の物語である。しかし,以上のとおり,あらすじを辿るだけでは,まだワーグナーのトリスタン世界に触れたとは言えない。是非,この機会にその音楽にも耳を澄ませてみてください。二人の愛が宇宙と一体化する最終場面は,やはり感動的で,圧巻である。
 まさに現代の社会はこの作品における「昼間の世界」ではないだろうか。「偽装」で汚れている「昼間の世界」からしばらく離れて,「清らかな夜の世界」に身を委ねて,夜空の美しい星を眺めるのも大切なことではないだろうか。美しい星は空気の汚れた昼間には見ることができず,清らかな夜空においてこそ見られるものである。私はその夜空に輝く美しい星こそ「文学・芸術・文化」なのではないかと常に考えている。「権力」や「地位」や「名誉」ではなく,「愛」を育む芸術文化といったものをもっともっと大切にしたいものである。


メールマガジン「すだち」第48号本文へ戻る

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第48号
〔発行〕国立大学法人 徳島大学附属図書館
 Copyright(C)国立大学法人 徳島大学附属図書館
 本メールマガジンについて,一切の無断転載を禁止します
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━