【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第47号
メールマガジン「すだち」第47号本文へ戻る


○「知的感動ライブラリー」(20)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

映画『トリスタンとイゾルデ』(2006年)における伝統と革新

T.トリスタン伝説の生成と展開

1.アイルランドの「駈落ち譚」
 ヨーロッパの伝統的な悲恋物語『トリスタンとイゾルデ』の起源は9世紀アイルランドのケルト伝説にまで遡る。それはアイルランドで生まれた「駈落ち譚」と呼ばれるもので,『ディアミッドとグライーネの駈落ち』および『デアドラとウスナの子たちの死』の二つの作品が挙げられる。この二つのケルト伝説が11世紀後半以降にアイルランドから海を越えてウェールズの地へ伝承され,その地でさまざまに改変されて11世紀後半から12世紀初めにトリスタン伝説の原型が出来上がったと推定される。
 トリスタン伝説の原型が生成する際の最も際立った改変は,アイルランドの「駈落ち譚」における「呪い」(ゲイス)が削除され,それに代わってトリスタン伝説に特有なものとして「フィルトル」(愛の飲料)が物語の中に取り入れられたことである。この「愛の媚薬」の導入によって,単なる「駈落ち譚」でしかなかった物語が,ウェールズの恋物語に書き改められて新しい物語へと発展していったのである。

2.トリスタン伝説の原型
 この原型の物語内容の大筋は次のようなものである。スコットランド南東部あるいは南ウェールズのリヴァリーン王は,コーンウォールのマルク王を戦闘で援助して手柄を立てたため,その妹を妻にもらった。やがてリヴァリーン王は戦死し,妻も息子を産むと同時に息を引き取った。二人の子供トリスタンは伯父マルク王のもとで暮らすうち,伯父の求婚の使者となって,姫イゾルデを求めて敵国アイルランドへ出かけて行く。その敵国でトリスタンは手柄を立ててマルク王の花嫁としてイゾルデを連れて帰る船の中で,間違ってイゾルデとともに「愛の媚薬」を飲んでしまい,二人は恋に陥ってしまう。イゾルデがマルク王と結婚してからも,トリスタンはイゾルデと逢瀬を重ねる。そのうち二人の逢引が発覚して,二人は森へ逃げるが,やがてイゾルデはマルク王のもとに戻り,トリスタンは追放の身となって,各地を旅しているうちに「白い手」のイゾルデと結婚する。それでもトリスタンは王妃イゾルデのことが忘れられずに,何度か王妃に会いに出かけるが,最後には戦いで重傷を負って戻って来る。重態状態のトリスタンに残された唯一の望みは,海の向こうのコーンウォールで暮らす王妃イゾルデにもう一度会うことである。王妃イゾルデに使者を送って,王妃が来てくれるなら,船に白い帆を掲げ,来れない場合には黒い帆を掲げるようにと頼む。使者は出かけ,王妃イゾルデを連れて,白い帆を掲げて戻って来るが,それを見た「白い手」のイゾルデは,ベットに横たわっているトリスタンに帆は黒色だと嘘をつく。王妃イゾルデがトリスタンのもとに駆けつけたときには,すでにトリスタンは亡くなっていた。王妃イゾルデも悲しみのあまりトリスタンのあとを追って死んでしまう。二人は埋葬されたが,それぞれの墓から蔓がのびて,上方でしっかりと絡み合い,もつれ合ったという。

3.トリスタン伝説のその後の展開
 このような内容のトリスタン伝説は,その後各国の物語詩人たちの興味の的となり,詩人たちはそれを自らの物語へと再構成していくのである。こうしてトリスタン伝説はヨーロッパの各地に広まっていくが,その伝承は大きく三つに分けることができる。
 一つ目はフランスの作家ベルールを代表としてベルール系と呼ばれるもので,ドイツの詩人アイルハルトの作品や15世紀のドイツ民衆本がこれに属する。二つ目はフランスのトマを代表とするトマ系と呼ばれるもので,ドイツのゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの作品が最も有名であり,そのほかに14世紀初頭の中世英語詩『サア・トレストレム』もこれに属する。三つ目は散文トリスタンと呼ばれるもので,ここではトリスタン伝説はアーサー王物語に結び付けられて,さらに発展していった。14世紀初頭のイタリアの作品『ラ・タヴォラ・リトンダ』(『円卓物語』)や16世紀のイギリスの作家トマス・マロリーの『アーサー王物語』などはこれに属する。
 近代を経て,現代に至っても,これら三つの系統のトリスタン伝説はさまざまな作家によって作品化されており,なかでも有名なのは19世紀のワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』であろう。ワーグナーはトマ系のゴットフリートの作品を素材としたが,もちろん出来上がった作品はまったく別なものに仕上がっている。さらに20世紀になると,イギリスの女流作家ローズマリー・サトクリフも『トリスタンとイズー』を書いているが,ここでは伝統的な「愛の媚薬」が削除されていて,現代的な新しい作品となっている。今後とも多くの作家によって素材に取り上げられて,さまざまな作品が新たに生み出されていくことは間違いないであろう。

U.映画『トリスタンとイゾルデ』(2006年)の特徴と見どころ

 以上のように,トリスタン伝説は9世紀以降さまざまな変遷を経て,現代に至っているのであるが,2006年に製作されたアメリカ映画『トリスタンとイゾルデ』(ケビン・レイノルズ監督)は,伝統的な物語を素材としながらも,これまでとはまた違った興味深いトリスタン作品に仕上がっている。一体,どのような特徴を示していると言えるであろうか。従来のトリスタン伝説と常に比較しながら,この作品における伝統と革新をまとめることにしたい。

1.暗黒時代のイギリスにおける各部族
 映画の冒頭で字幕によって示されるこの物語の時代と舞台は,今から1500年前の暗黒時代のイギリスである。当地を支配したローマ帝国が崩壊したのち,荒れ果てたイギリスの国土は各部族が割拠していた。一方,アイルランドは海に守られて,無傷のまま栄えていた。そのアイルランドのドナカー王は強大で冷酷な国王であり,イギリス部族を支配して,各部族の同盟を決して許そうとしなかった。物語はイギリスの各部族が同盟を結んで,アイルランドの威圧的な支配に抵抗しようとしている場面から始まっている。
 主人公トリスタンの父アラゴンのタンタロン城にイギリス各地の領主が集まり,統一協定を結ぼうとしている。イギリスは現在バラバラであり,アイルランドの望みどおり弱い存在のままであるが,一つの国に結束すれば,二倍の兵力でアイルランドを打ち負かすことができると考えたのである。国王にはコーンウォールのマーク領主(トリスタン伝説ではマルク王)が選出され,賛同する各部族の領主が統一協定に署名しようとしているまさにそのときに,モーホルト(トリスタン伝説ではモーロルト)が率いるアイルランドの軍勢に襲われてしまい,トリスタンの父と母は殺された。トリスタンは床の下に一時隠れていたが,やがてまた姿を現したとき,アイルランド兵から殺されかける。そのときトリスタンは伯父のマークによって助けられるが,マークはトリスタンをかばった瞬間に右手を敵兵から切り落とされてしまった。結局,統一協定は,集まった領主の中に密告した者がいて,阻止されたのみならず,各部族の国土もともに荒らされてしまった。
 マーク領主は孤児となったトリスタンを連れて,コーンウォールの自分のドア城へ帰るが,そこも荒らされており,子供を身ごもっていた妻も犠牲になっていたのみならず,彼の妹も夫を失ったところであった。マーク領主はその妹にトリスタンを預けて,妹の子供メロートと一緒に育てられることとなった。マーク領主は領土の再建に努めた。トリスタンはこうしてコーンウォールで暮らすこととなったが,腕力ではメロートに勝った。
 ここまで見てくると,この映画ではトリスタンは伝統的な伝承のように誕生とともに父母を失くすのではなく,すでに少年に成長していて,アイルランド勢の襲撃を受けて両親を失うことになっていて,そのほかに人物の設定等でも伝統的な物語とはかなり異なっていることが明らかである。

2.モーホルトの軍勢に立ち向かうトリスタン
 あらすじはそれから9年後に大きく動き始める。アイルランドのドナカー王はモーホルトに向かって,再建を果たしたコーンウォールを攻めて,そこの若者を奴隷として連れて来るようにと命じた。モーホルトはそのとき褒美として妻がほしいと要求する。モーホルトが妻に要求したのは,ドナカー王の娘イゾルデである。イゾルデはちょうど9年前にモーホルトがイギリスを攻めた頃に母を失っていたが,父と母との間にはひとかけらの愛情もなく,母は心の病にかかって死んだことを小さいながらも悟っていた。このたびイゾルデは父からモーホルトとの結婚を引き受けるようにと命ぜられたが,この政略結婚に嫌気がさしながらも,父の命令に逆らうことができなかった。
 モーホルトはアイルランド王の命令に従ってコーンウォールを攻めた。一方,トリスタンは作戦を練って,敵をことごとく迎え撃ったが,自らもモーホルトの毒の剣で致命的な傷を負った。この戦いで倒れた仲間サイモンとともに,トリスタンはその国の習慣に従って葬船に乗せられて沖に流されてしまった。

3.トリスタンとイゾルデの出会い
 ところが,幸いにもトリスタンはそのまま船の中で死んでしまわずに,敵国アイルランドの海岸に到着し,毒消しの医術の心得のあったイゾルデ姫に助けられた。イゾルデはモーホルトが戻って来れば,彼と愛のない生活をしなければならないことを憂えたことなどもあって,この助けた若者に強く引かれ,またトリスタンも彼女の美しさに魅せられてしまい,二人は海岸の小屋の中で愛によって結ばれた。しかし,そのときイゾルデは自分がアイルランド王の娘であることは隠して,いつもそばに仕えている乳母の名前を借りて,自らは宮廷に仕える侍女ブラーニャ(トリスタン伝説ではブランジャン)だと名乗った。このことがあとで二人の悲恋の原因となるのであり,この映画の独創的な創作部分である。
 やがてトリスタンの傷も癒えた頃,コーンウォールで使者となるために辛うじて命を助けられた数名のアイルランド兵士が戻って来たので,トリスタンは身の危険を感じて,イゾルデとの別れを惜しみながらも,急いで船でコーンウォールへ帰って行った。しかし,イゾルデの方はそのままアイルランドに残り,許婚のモーホルトが倒されたことを知らされた。

4.褒美をかけた試合
 モーホルトを失ったアイルランドのドナカー王は,イギリスの各部族の結束を阻止するために,今度は褒美をかけた試合を行うことにした。試合に勝った者には,娘イゾルデと領土を差し出すという触れを出して,結束しかけている各部族を戦わせてその仲を乱そうと企んだのである。コーンウォールのマーク領主は甥のメロートでは一番の強豪ウィトレッドには勝てないと思い,試合に出ることをあきらめていたところにトリスタンが帰還してきた。トリスタンはマーク領主がアイルランドの娘を妻に迎えれば,血を流さずに平和が訪れるうえに,これまでの古傷も癒えることを期待して,マーク領主を説き伏せ,その代理として試合に出ることを決意して,試合に臨むこととなった。
 このアイルランドの娘を褒美に出しているあたりは,伝統的なトリスタン伝説ではアイルランドを荒らしている竜との戦いなのであるが,映画では剣を用いてのトーナメント形式の試合に変えられている。このトーナメントの決闘がまた映画の見どころの一つともなっており,革新的な部分とも言えるが,それによって映画は伝説的な要素をできるだけ避けて,その代わりに現実的なものに置き換えているようである。イゾルデに毒消しの医術の心得があることは確かに従来の伝承に基づいているが,しかし,伝統的な「愛の媚薬」はこの映画では削除され,トリスタンとイゾルデは自然の愛によって結ばれているところからも,それが窺い知れよう。
 そのトーナメントの試合はアイルランドのドナカー王とその娘イゾルデの観戦する中で始められた。しかし,イゾルデはヴェールを被っているので,トリスタンはそれが愛しい彼女であることを知らない。一方,イゾルデは闘いに挑んでいる男たちの中にトリスタンを見つけて,彼の勝利を願っている。トリスタンはアイルランドのドナカー王とその娘イゾルデの観戦するトーナメントで次々に勝ちを収めていき,最後の相手は予想どおり,強豪のウィトレッドである。激戦の末,ウィトレッドを倒して,トリスタンはアイルランド王の娘と対面するが,うれしそうにヴェールを脱ぎながらトリスタンに微笑みかけるイゾルデを見て,顔をしかめる。トリスタンはマーク領主の代理だと告げて,イゾルデをマーク領主の妃として迎えなければならない。このときから二人の苦しみが始まったのである。

5.トリスタンとイゾルデの密会
 こうしてトリスタンとイゾルデの二人はかつての愛をしまっておかなければならなくなった。マーク領主とイゾルデの結婚式が執り行われる間,イゾルデも苦しければ,その結婚式をそばで見ていなければならないトリスタンも苦しくてならない。そのようして新しい生活が始まった中で,マーク領主は自分の跡継ぎにはトリスタンをおいてほかにはないと思って,家来の居並ぶ中で次官にはメロートではなく,トリスタンを任命する。マーク領主が自分に信頼を寄せてくれているだけに,トリスタンの心のうちはますます苦しくなるばかりである。
 マーク領主が満月の夜に狩りに出かけたときに,トリスタンとイゾルデは密会する。伝統的なトリスタン伝説とほぼ同じ展開である。しかし,やがてマーク領主は妻イゾルデに恋人がいることを察して,トリスタンに妻イゾルデを尾行してくれと頼む場面などは革新的と言える。伝統的なトリスタン伝説では確かにマルク王がトリスタンを信じて疑わない場面が多く展開されているが,しかし,この映画ではマーク領主はよりいっそう心から甥トリスタンを愛して,信じきっている伯父として描かれている。それだけにトリスタンとしては心苦しくて,イゾルデとの密会の小屋を燃やしてしまうほどである。このあたりはトリスタンの内面がスクリーンによく表されていて,観客にもトリスタンの苦しみが伝わってくる。これがこの映画の特徴である。

6.アイルランド王の陰謀
 アイルランドのドナカー王はマーク王の戴冠式に出席することを口実にして,9隻の船団を率いてコーンウォールを訪問する。もちろん9隻の船は沖に待機させておくだけだと説明するが,いずれ合図を送って攻め寄せることを企んでいる。コーンウォールでは宴会が始まるが,ドナカー王は密告者からトリスタンとイゾルデが密かに会っていることを聞いて知っていたので,その逢引の現場を捕らえようと企んで,マーク領主に満月の狩りをすることを提案する。一行が満月の狩りに出かけたことを知ったイゾルデは,トリスタンに会いに出かけるが,やがてそこへドナカー王とともにマーク王が現れる。マーク王はここで初めて妻の不義を知るとともに,その妻の恋人がトリスタンであったことを知って,怒りをあらわにする。
 そのとき沖に待機していたアイルランドの船団は合図を受けて,上陸を開始した。コーンウォールとアイルランドの間で戦いが始まった。マーク王は妻イゾルデにも怒りを示しながら問い詰めると,イゾルデは秘められたトリスタンとの愛の真実を明かす。するとマーク王は「自由に生きろ」と言って,トリスタンとイゾルデの二人を船に乗せて逃がそうとする。しかし,トリスタンは「愛が国をほろぼした」と後世に語り継がれることを嫌って,戦いの中に駆けつける。戦いは最初,コーンウォールが劣勢に立っていた。どうやら裏切り者はウィトレッドだったようで,その手引きをしたのがメロートであった。戦いで倒れたメロートは,自分がその手引きをしたことを明かしてから息を引き取った。戦いは劣勢に立たされていたコーンウォール側が,トリスタンの加勢で盛り返し,互角となった。しかし,トリスタンは伝統的なトリスタン伝説と同じく重傷を負ってしまい,重態のままである。そこへマーク王がイゾルデを連れて来て,イゾルデとトリスタンを二人きりにしてから,戦いの場に戻る。トリスタンはイゾルデに看取られながら,息を引き取るが,この映画ではイゾルデはトリスタンのあとを追って死ぬことはなくなっている。戦いはコーンウォールの勝利に終わり,愛がこの国を滅ぼすことはなかったと,字幕を通して語られながらエンド・クレジットとなる。

7.この映画の特徴
 最終場面でも分かるように,この映画ではマーク王が伝統的なトリスタン伝説とはかなり異なって,たいへん温厚な人物として描かれていることが明らかである。イゾルデと初めて会ったときから,マーク王は心からイゾルデを愛していることは,その後の展開でも至るところできめ細かに描かれており,それだけにトリスタンが心苦しむ様子が詳細に盛り込まれている。マーク王が心底から妻イゾルデを愛していたことは,妻イゾルデからトリスタンとの愛の真相を聞いて,不義を働いてきたはずの妻イゾルデを許すばかりか,トリスタンとともに逃げさせようとするほどの優しさを持ち合わせた人物として描かれていることからも容易に窺えよう。このようなマーク王は伝統的なトリスタン伝説にはあまり見られないことであり,この映画の特徴であることは確かである。
 それに対してアイルランドのドナカー王は,王妃にもひとかけらの愛情を見せなかった冷酷な男として登場し,娘イゾルデがマーク王に嫁ぐ際にも陰で娘との絶縁を宣言している。この映画のテーマはもちろんトリスタンとイゾルデの心からの愛にあるが,ドナカー王と対照的に描かれたマーク王のイゾルデへの愛もこの映画の見どころであり,またイゾルデへの愛とマーク王への忠誠の板挟みに苦しむトリスタンの嫉妬と苦悩も見落としてはならない見どころであることは確かであろう。
 この映画はこれまでのトリスタン伝説とはまたひと味違った21世紀の新しい『トリスタンとイゾルデ』の真実の愛の物語だと言えよう。是非,この機会に鑑賞するとともに,ヨーロッパ中世の諸作品も手に取って読んでみてください。本学附属図書館にもたいていのトリスタン伝説関係の図書は備えられています。


メールマガジン「すだち」第47号本文へ戻る

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第47号
〔発行〕国立大学法人 徳島大学附属図書館
 Copyright(C)国立大学法人 徳島大学附属図書館
 本メールマガジンについて,一切の無断転載を禁止します
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━