【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第45号
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○「知的感動ライブラリー」(18)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

シェイクスピアの原作戯曲と映画『ロミオとジュリエット』(1968年)

1.シェイクスピア『ロミオとジュリエット』の素材と執筆年代
 『ロミオとジュリエット』と言えば,まずはシェイクスピアを頭に思い浮かべるが,しかし,この若い二人の悲恋物語はシェイクスピアによって初めて創作されたものではない。『ロミオとジュリエット』の原型となった物語は,シェイクスピアよりもずっと以前から民話として語り伝えられていたものである。登場人物の名前は違うものの,大筋がほぼ同じ作品は,15世紀後半にすでにイタリアで出版されており,16世紀前半にルイジ・ダ・ポルトが書いた物語では名称もシェイクスピアとほぼ同じものとなっている。1554年にはバンデロの小説(斎藤祐蔵氏による邦訳あり)がイタリアで出版され,この作品はやがてフランス語にも翻訳され,1562年には英語にも翻訳された。アーサー・ブルックの長詩『ロミウスとジュリエットの悲劇の物語』(北川悌二氏による邦訳あり)がそれであり,さらに1567年にはペインターの散文訳も出版されている。これらのうちシェイクスピアが自分の戯曲を執筆するにあたって主に素材として用いたのは,ブルックの長詩の方だと言われている。
 シェイクスピアはもちろん素材の物語に改変を加えている。ブルックの長詩では9か月の間に起った悲劇を,シェイクスピアはほんの4,5日の出来事に短縮している。またジュリエットの年齢に関しても,ブルックでは16歳だったのをシェイクスピアは14歳にも満たない少女とし,そのほかの脇役にもさまざまな改作を施しているようである。さらに最も大きな改作としては,ブルックの長詩は無鉄砲に愛を求める若者たちへの警告を盛り込んでいる傾向が強かったのに対して,シェイクスピアはそれを両家の対立の犠牲となった若者たちの愛を惜しむ内容となっている点が指摘されよう。まったく新しい物語へと改変されていることが容易に理解できよう。
 こうしてシェイクスピアによって書き上げられた『ロミオとジュリエット』は1597年にその初版が出版されているので,執筆はそれ以前ということになるが,さまざまなことを考慮に入れて,おそらく1593年から1596年までの間に執筆されたと推測される。いずれにしても,シェイクスピアが30歳前後の作品であり,初期の傑作の一つである。

2.シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』(全五幕)のあらすじ
【第一幕】
 物語の舞台は15世紀中頃のイタリア,ヴェローナの町である。モンタギュー家とキャピュレット家はこの町の二つの名家であったが,以前から仲が悪く,些細なことからすぐに喧嘩となり,剣を抜いての乱闘騒ぎが絶えなかった。第一幕の冒頭でもその両家の若者たちの乱闘が展開されている。
 ただモンタギュー家の一人息子ロミオは,そのときの騒動に加わっていなかった。ロミオは美しいロザラインに恋をしているが,その恋が報われずに,憂鬱な気持ちであちこちをぶらぶらとさまよっていたようである。やっと戻って来て,友人ベンヴォーリオから,「恋する女性のことを忘れるためには,ほかの大勢の美人を見ればよい」などと慰められるが,ロミオは「そのようなことをしても,あの女性の類いまれな美しさを思い出すだけの話だ」と答えて,ますます恋の病に落ち込んでしまう。
 そういうところへキャピュレット家の使用人が通りかかり,文字の読めないその使用人から書面を読んでほしいと頼まれる。使用人が持っていたのは,その夜キャピュレット家で催される祝宴への招待状であった。その中にロミオが恋するロザラインの名前も載っていたことがきっかけとなって,ロミオはその夜,ベンヴォーリオやマキューシオなど友人数名とともにキャピュレット家の舞踏会に忍び込むのである。
 その舞踏会でロミオはキャピュレット家の一人娘ジュリエットを一目見てから,たちまちのうちに彼女への恋の虜になってしまった。この祝宴にはキャピュレットの甥ティボルトも出席していて,ロミオの姿を認めると,怒りをあらわにするが,キャピュレットから今日のところは見逃すように言われて,手を出すこともできなかった。ジュリエットの美しさに魅せられたロミオは,やがて踊りの中に入り込んで,彼女に近づいてキスをした。ジュリエットの方も心をときめかせた。しかし,そのあと二人は互いに相手が何者であるかを知って,なんと恐ろしい恋をしてしまったことかと,ショックを受けてしまった。
【第二幕】
 舞踏会のあと,ロミオは仲間たちから抜け出して,一人でキャピュレット家の庭園に入り,ジュリエットの部屋のあたりを窺っていると,バルコニーにジュリエットが姿を現す。その場面が,「おお,ロミオ,ロミオ!あなたはなぜロミオなの?」というジュリエットのセリフに始まる有名なバルコニーシーンである。ジュリエットは誰もいないと思って,ロミオへの恋心を打ち明けるが,バルコニーの下にはそのロミオがいた。ロミオは木をよじ登って,彼の方もバルコニーのジュリエットに恋を打ち明ける。もはや二人の若者の気持ちは両家の対立を超えて離れられないものとなり,結婚式を挙げる約束をする。
 二人は翌日,ジュリエットの乳母を使者として連絡を取り合い,ロレンス神父のもとで密かに結婚式を挙げる。ロレンス神父は最初はロミオの心変わりにあきれていたが,しかし,この二人の結婚でこれまでいがみ合ってきた両家が仲良くなるかもしれないと希望を抱いて,二人の挙式を執り行ったのであった。
【第三幕】
 ところが,その日,ヴェローナの町の路上では両家の若者たちがまた喧嘩騒ぎを起こした。ロミオの友人マキューシオとキャピュレット家の甥ティボルトが口論しているところに,ロミオは出くわし,今後はキャピュレット家の皆と仲良くしたいと思って,二人が剣を交えるのを止めさせようとするが,その制止の隙をついてティボルトの剣がマキューシオの身体を突き刺してしまった。マキューシオが死んでしまったのに,ティボルトが意気揚々としているのに我慢のできなかったロミオは,ついに剣を抜いてティボルトと争い,彼を殺してしまった。やがてその場に領主が現われて,ロミオはヴェローナの町から追放の身となり,町から出て行かなければ発見次第死刑に処せられることとなった。
 一方,ジュリエットはロミオの追放と従兄弟ティボルトの死を聞き知って,深い悲しみに沈む。そのような折りに父親は娘ジュリエットにパリス伯爵と結婚するようにと言い渡す。しかもその結婚式は3日後に執り行うと告げた。ジュリエットはさらに窮地に追い込まれてしまった。
【第四幕】
 困り果てたジュリエットはロレンス神父に助けを求めると,神父は,それを飲むと仮死状態となるが,42時間後には快い眠りから覚めるかのように目覚めるという薬を与えた。ロレンス神父の計画によると,要するに,ジュリエットがそれを飲んで,仮死状態のままキャピュレット家の地下の墓地に運ばれて,ちょうど目覚めた頃に連絡を受けたロミオがそこを訪れて,彼女とともにヴェローナの町を発つというものであった。
 ジュリエットはロレンス神父の指示どおり結婚式前の晩にその薬を飲んで,キャピュレット家の墓地に運ばれた。
【第五幕】
 ところが,ロレンス神父がマンチュアにいるロミオに遣わせた使者は,途中で町の疫病係の役人に阻まれて,戸外に出ることを禁じられ,とうとうロミオのもとに手紙を届けることができなかった。
 一方,ロミオはその間に召使からジュリエットが墓地に運び込まれたという連絡を受けた。ジュリエットが仮死状態であることを知らないロミオは,マンチュアの町で毒薬を売っているという男のところへ出かけて,毒薬を手に入れてから,ヴェローナの町に急ぎ,キャピュレット家の地下の墓地を訪れた。
 するとそこにはパリス伯爵が来ていて,死んで横たわっているジュリエットに花を捧げているところであった。ロミオの姿を見つけたパリス伯爵は,怒りをあらわにしながら,剣を抜いてロミオと戦うが,ロミオに倒されてしまう。ロミオはそのあとジュリエットの亡骸の前で毒薬を飲むと,たちまちのうちに倒れ死んでしまった。
 やがてロレンス神父がその地下の墓地に姿を現すが,ロミオのほかにパリス伯爵が死んでいるのを見つけてびっくりしているうちに,ジュリエットが目を覚ました。ロレンス神父は,夜警がもうすぐここに来るので,ジュリエットにすぐここから出るように促すが,ジュリエットはそこに残り,ロミオに向かって毒薬を少しも残しておいてくれなかったことを責めながら,ロミオの剣でもって自分の胸を突き刺してしまった。
 やがて夜警がやって来たあと,ロレンス神父のほかに領主も,さらにはモンタギューもキャピュレットも訪れて,領主はロレンス神父から事の顛末を聞かしてもらった。若い二人の亡骸を前にして,モンタギューとキャピュレットの両家は自らの愚かさを知り,深い悲しみのうちにようやく和解を結んだのであった。

3.ゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』(1968年)の魅力
 以上のような内容のシェイクスピアの戯曲を原作としてこれまで何度か映画化されてきたが,私がビデオあるいはDVDで所有しているのは,レナート・カステラーニ監督の映画『ロミオとジュリエット』(1954年,イギリス・イタリア合作),同じくイギリス・イタリア合作のフランコ・ゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』(1968年)そしてレオナルド・ディカプリオ主演の映画『ロミオ&ジュリエット』(バズ・ラーマン監督,1998年)の3作品である。いずれもその製作年代の特徴が出ていて興味深い作品であるが,私が最も気に入っているのはやはりゼフィレッリ監督の映画である。私がこの映画を観たのは,もう40年も前になる高校2年生のときであったが,高知市内の満員の映画館で立って観たことを今でも覚えている。それまで高知県の田舎で育った私は日本映画しか観る機会はなく,振り返ってみると,この『ロミオとジュリエット』が私の鑑賞した最初の洋画であったようである。字幕スーパーに少し戸惑いを覚えたが,映画の内容の面ではすぐに馴染めたようであった。その数年後にはヨーロッパの悲恋物語『トリスタンとイゾルデ』に魅せられてしまったが,その悲恋物語研究の出発点となったのがこの『ロミオとジュリエット』であったと言ってもよいであろう。
 このゼフィレッリ監督の映画『ロミオとジュリエット』は,監督名を挙げるよりも,オリビア・ハッセー主演の映画と言った方がよいかもしれない。当時オリビア・ハッセーは17歳の新人で,このジュリエット役によってたちまちのうちに世界の恋人になったと言ってよかろう。その相手のロミオ役を演じたのも,当時18歳の新人レナード・ホワイティングで,作品全体に瑞々しさが感ぜられて,いかにも青春映画といった感じである。
 この映画はイタリアのゼフィレッリ監督がイタリアの各地でロケを行って撮り上げたもので,イタリアの古い街角がスクリーンに映し出されているのも魅力の一つだが,やはりなんと言っても最初の見どころは,ロミオがキャピュレット家の舞踏会に仮面を被って潜り込み,ジュリエットの美しさに一目ぼれして,彼女に初めて近づく場面であろう。華麗な衣裳と舞踏シーンなど視覚的にも素晴らしいものがあるが,しかし,そのときに流れるニーノ・ロータの甘く切ない音楽がこれまた最高である。原作にはない「若さは束の間の炎,乙女は欲望を秘めた氷」と始まる歌詞でその歌が歌われるのは,この舞踏会の場面だけであるが,そのメロディはのちにあらすじが盛り上がるところで何度も使われて大きな効果を上げている。
 舞踏会のあとのバルコニーシーンももちろん見どころである。学校での文化祭や学芸会でよく演じられるお馴染みの有名な場面である。この映画では主人公の二人が詩を語っていない点が唯一の欠点だという批評も聞かれるが,しかし,新人二人のフレッシュな演技によって作り物ではない,本物の若々しい恋の情熱が伝わってきて,何度見ても見飽きない場面である。さらに見落とせないのは,追放の身となったロミオがジュリエットと新婚の一夜を明かして旅立つ場面であろう。シェイクスピアの原作にある言葉が巧みに取り入れられて,素晴らしい場面になっていると思う。そのほかにティボルトやマキューシオそして乳母などといった脇役の演じる見どころも枚挙に暇がないと言ってよいであろう。シェイクスピアの原作と同じように,全体的にスピーディな展開となっていて,まさにそれによって,若者たちに特有の一気に燃え上がったかと思うと,たちまちのうちに散ってしまう直線的で情熱的な恋物語の世界に観客を誘ってくれる。ニーノ・ロータの音楽とともにその若者たちの直線的で情熱的な束の間の恋がこの映画の魅力である。
 なお,シェイクスピアの原作を素材としたものに,もう一つロバート・ワイズ/ジェローム・ロビンス共同監督(レナード・バーンスタイン作曲)のミュージカル映画『ウェスト・サイド物語』(1961年,アメリカ)があるが,これについては次回の「知的感動ライブラリー」で紹介することにしよう。ご期待ください。


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