【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第38号
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○「知的感動ライブラリー」(11)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

小泉堯史監督(黒澤明脚本)『雨あがる』解説

1.山本周五郎の原作『雨あがる』
 映画『雨あがる』(2000年,東宝)は,黒澤明の遺稿脚本に基づいて,その弟子にあたる小泉堯史監督が撮ったものです。原作は「サンデー毎日」昭和26年7月1日号に掲載された山本周五郎の短編小説『雨あがる』(現在,新潮文庫『おごそかな渇き』に収録)です。
 原作『雨あがる』は1時間前後で読むことができるほどの短編小説で,ある街道筋の町はずれの安宿を中心にして展開されます。主人公三沢伊兵衛(みさわ いへえ)は妻たよと一緒にその安宿に宿泊しています。梅雨はあけた筈なのに,もう15日も雨が降り続いて,あがる気配はありません。こぬか雨だから降る音は聞こえませんが,夜も昼も絶え間ない雨垂れには気が滅入るばかりです。この安宿の客の多くは貧しい旅人たちばかりで,雨の日が続くと,川を渡ることができず,食べ物にも困って,他人の物に手を出すこともあります。ついに一人の女が,自分の食べ物を盗まれたと言って,「ここには泥棒がいるよ」と怒鳴り立てます。30歳代の夜鷹の女で,普段から同宿者との折り合いが悪い人物でした。女が説教節の爺さんを泥棒呼ばわりするのに耐えるかねた三沢伊兵衛は,仲裁に入って,なんとか騒ぎを収めると,外に出て行きます。
 4時間ほどして彼は5,6人の者にいろいろな物資を運ばせて,戻って来ました。そしてこの食糧で皆と一緒に手料理を作って楽しくやりましょうと提案します。宿の中は急に活気づきました。食べたり飲んだりしながら賑やかに騒いでいるところに,夜鷹の女が戻って来て,伊兵衛は彼女も一緒に座らせて,皆と仲直りをさせます。
 賑やかな宴会がまた始まると,伊兵衛は妻のいる部屋に入って行きます。その妻たよは日記をつけているところでしたが,彼は妻の前で手をついて,賭け試合をしたことを詫びます。もう二度と賭け試合はしないと約束していたのに,彼は今日もある町道場へ出かけて賭け試合をしてしまったようです。その賭け試合で稼いだお金でいろいろな食糧を買い込んで戻って来たのでした。彼はもう一度おじぎをして妻に許しを乞います。妻たよは悲しそうに微笑しながら,筆を措いて立ち上がります。
 翌朝,まだ暗いうちから,伊兵衛は,雨の中,蓑笠を借りて近くの川に釣りに出かけます。釣りが目的というよりは,宿から逃げ出したい気持ちから出かけたようです。歩きながら,彼は「妻と旅に出てもう7年になるが,自分は構わないとしても,おたよはどんな気持ちでいるか」と,今までの自分を振り返ります。
 伊兵衛は松平壱岐守(いきのかみ)に仕えてきた家の一人息子で,子供の頃は身体が弱かったのですが,14,5歳頃からは身体も強くなり,学問も武芸もかなりの上達を遂げました。しかし,彼は出世できませんでした。原因は彼の腕前が桁外れに強くなったことと,彼の気質にあったようです。自分の腕前が強くなるのと反比例して,性格はいよいよやさしく,謙遜柔和になっていったのです。勝って驕らないのは美徳かもしれませんが,伊兵衛は勝つたびにてれたり,相手に済まなく思ったりするので,かえってそのために周囲の者とうまくいかずに,ついには自ら身を退いてしまい,いっそのことなら誰も知らない土地へ行って,新しく仕官するのがよいと思って,妻たよとともに旅に出たのです。しかし,いつもの性格のために仕官先はなかなか見つかりません。3年目に旅費もなくなってしまうと,賭け試合をしては金を稼いできましたが,妻たよがそれに気づいて,もう二度と賭け試合をしないと誓っていたのです。
 今までの情けない自分を振り返りながら、,伊兵衛はいつの間にか松林の中に来ると,数人の若者たちが争いをしているところに出くわします。彼はもちろん仲裁に入り,みるみるうちに5人の手から刀を奪い取って,いつものごとく失礼を詫びながら逃げ回ります。そこへこの藩の老職にあたる青山主膳という人物がやって来て,血気にはやる若侍たちの争いを収めてくれた伊兵衛に礼を述べます。このことがきっかけで伊兵衛は,その日,青山邸で酒肴のもてなしを受けあと,もう一度腕前を見せてもらいたいということで,道場へ案内されます。そこで彼は二人の侍を打ち倒しますが,いつものように勝利を収めると相手に詫びるのでした。伊兵衛は宿に戻って,妻にその日のことを報告し,この藩がちょうど今殿様の教育係を探しているので,今度こそ仕官できそうな気がすると伝えます。
 次の日もやはり雨でしたが,それから5日目にやっと雨があがります。同宿者たちは喜びの声を上げながら順番に旅立って行きました。伊兵衛もその日,青山主膳の使者が来て,城へ出かけて殿に対面して,また宿に戻ると,仕官の望みは九分どおり確実だと妻に伝えます。2日後,いずれにしてもこの宿を出る支度をしているところへ,城から使者がやって来ましたが,仕官の願いは叶えられなかったと伝えられます。伊兵衛が数日前に賭け試合をしたことを,そのとき勝負に負けた者が訴え出たようです。いかなる理由であれ,賭け試合は不面目なことだというのです。使者は旅費の足しにと言って紙包みを差し出すと,伊兵衛はそれを拒否しようとしますが,そのとき妻たよは「いいえ,ありがたく頂戴いたします。」と言って,それを受け取り,使者に言います。「主人も賭け試合が不面目だということぐらい知っていると思います。知っていながらやむにやまれない,そうせずにいられない場合があるのです。わたくしようやく分かりました。主人の賭け試合で,大勢の人たちがどんなに喜んだか,どんなに救われた気持ちになったか。」この言葉のあと,妻は夫に向かって,今後は賭け試合をしてもよいから,貧しい人たちを喜ばせてあげてくださいと頼むのでした。
 こうして二人はまた旅を続けることになりますが,妻たよはこう思いました。「でもわたくし,このままでもようございますわ。他人を押し退けず,他人の席を奪わず,貧しいけれど真実な方たちに混って,機会さえあればみんなに喜びや望みをお与えなさる,このままの貴方も御立派ですわ。」峠の上に出ると,眼下に突然燐国の山野が開け,美しい景色が眺められ,その眺望の中には新しい生活と新しい希望が感じ取られるような気持ちになるのでした。

2.映画『雨あがる』のあらすじと見どころ
 映画『雨あがる』のあらすじは,以上の原作と大筋においてほぼ同じですが,もちろんいくつかのエピソードを新たに織り込んでいます。原作と映画の最も大きな違いは,原作の青山主膳を映画ではその藩の殿(重明)という設定にして,その殿(三船史郎)が重要な役割を演じていている点でしょう。三沢伊兵衛(寺尾聰)は貧しい人たちのために賭け試合をして,妻たよ(宮崎美子)に詫びを入れますが,翌朝,散歩の途中,若侍たちの争いの仲介に入ったのがきっかけで知り合いになるのもこの殿自身であり,やがて城に迎えられて,この殿から藩の剣術の指南番に推挙したいので,身の上話を聞かせてほしいと請われて,伊兵衛は自らの経歴を物語ることになるのです。この場面が映画としては一つの興味深い見どころとなっています。
 伊兵衛が語るところによると,伊兵衛は道場主と賭け試合をして路銀を稼ぎますが,その際伊兵衛は相手が打ち込んでくる前に,木刀を投げ出して「参った」と平伏する策略を使ってきました。そうすると,道場主はいい気分になって,親切にもてなしてくれた上,路銀までくれるというのです。こうして路銀を稼ぎながら江戸に辿り着くと,伊兵衛は剣術の達人辻月丹(つじ げったん 仲代達矢)の道場を訪れた際にも同じ策略を用いようと考えましたが,このときには逆に天下に聞こえたその剣豪の方から両手をついて「参った」と降参しました。辻月丹によると,勝とうする欲がまったくない相手にはどうしてよいか分からなくなって,木刀を投げ出したようです。それ以来,伊兵衛は辻月丹の内弟子となって,先生の推挙である藩に召し抱えられましたが,しかし,うまくいかずにその藩を去って,その後二つの藩を転々として,今はこのような浪々の身であると物語るのです。このような身の上話を聞いて,殿はますます伊兵衛という人物が気に入って,すぐさま指南番にしようとしますが,石頭の家老(井川比佐志)たちが「その腕前を披露するのが慣例」と言い出して,後日御前試合を行うことになります。
 この御前試合も,原作にはないエピソードで,映画の見どころの一つです。相手は数日前に賭け試合をした町道場の師範3名の予定でしたが,3名は臆したのか,姿を見せないので,当藩の侍を相手に伊兵衛は試合をします。2名を倒したところで,3人目には殿自らが立ち合います。伊兵衛は殿の槍をよけたりしているうちに,つい殿の槍を掴んで突き放すと,殿は池に落ちてしまいました。殿は不機嫌になりますが,それも試合に勝った伊兵衛があやまるので,余計に腹立たしいのです。伊兵衛は手加減するつもりが,殿を怒らせたまま,城を出て歩きながら,自分というものがつくづく嫌になってしまいます。
 そうして帰っているところへ町道場の連中が先日の仕返しのため,また伊兵衛が藩の武術の指南番に推挙されているのを妬んで,喧嘩をしかけてきます。伊兵衛は争いを避けようとしますが,連中がますます争いをしかけてきますので,やむをえず,たちまちのうちに彼らを打ちのめします。原作にはない,緊張感にあふれた斬り合いの場面です。
 気分が晴れない伊兵衛は妻たよのもとに帰ると,今日はひとつ酒を飲ませてくださいと頼みます。酒を出しながら,妻はその日に旅立って行った貧しい人たちについて,「皆さん,やさしい善い人たちばかり。自分の暮らしさえ満足でないのに,哀しいほど思いやりの深い,温かな人たちでしたわ。」と話します。すると伊兵衛は「貧しい者はお互いが頼りですからね。」と答え,数日前の手料理による賑やかな宴会のことを思い出します。特に夜鷹の女から泥棒呼ばわりされた説教節の爺さん(松村達雄)は「あんなに嬉しかったことはなかった。」と言い残して旅立ったと,妻たよが夫に伝えます。このあたりも二人の夫婦愛がよく描かれていて,心静かな感動を覚えます。
 さらに感動的なのは,このあとに展開される場面で妻たよが口にする言葉です。翌日はすばらしい天気で,旅立ちには最高の日和です。藩に召し抱えられるにせよ,そうでないにせよ,いずれにしてもこの安宿を出て行く日で,妻たよは出発の支度をしています。伊兵衛はいらいらした気持ちで城からの使者を待ち受けています。ついに城から石頭の家老がやって来て,仕官の話はなかったことにしてほしいと伝えます。原作と同じく,伊兵衛が数日前に賭け試合をしたことを訴え出た者があると言うのです。訴え出たのはもちろん彼を妬んでいる町道場の者たちです。家老は殿から預かった路銀を渡そうとすると,伊兵衛は断ろうとしますが,妻たよが「ありがたく頂戴します。」と受け取ったあと,こう言います。「主人が賭け試合を致しましたのは,悪うございました。わたくしもかねがねそれだけはやめてくださるようにと願っていたのでございます。けれども,その願いは間違いでした。わたくしには初めて分かりました。主人も賭け試合が不面目だということぐらい知っていたと思います。知っていながらやむにやまれない,そうせずにはいられない場合があるのです。わたくし,ようやく分かりました。大切なことは,主人が何をしたかではなく,何のためにしたか,ということではございませんか。あなたたちのような木偶坊(でくのぼう)にはお分かりいただけないでしょうが。」こう言い終えてから,妻たよは夫伊兵衛に向かって,これからは望むときに賭け試合をして,まわりの者たち,貧しく頼りのない,気の毒な方たちを喜ばせてあげてくださいと頼みます。
 こうして二人はまた旅立つことになりましたが,そのとき夜鷹の女(原田美枝子)が出て来て,たよに薬袋を渡す場面はとても感動的です。その女も余程この夫婦の存在がありがたかったのでしょう。見方によってはこの場面が最も感動的かもしれません。原作にはない場面で、黒澤明の脚本がいかにすばらしいかがよく分かります。
 一方,家老からたよの言葉を聞き知った殿は,「そこで,妻女は,何をしたかではなく,何のためにしたか,それが大切なことだと申したのだな。」と確認すると,家老は「はい,確かに。そしてあなたたちのような木偶坊には分かるまいと・・・。」と答えます。それに対して殿が,「おぬし,妻女の言葉を何と聞いた。」と尋ねると,石頭の家老が「ハァ?」と答える場面がまことに滑稽です。「機転のきかぬこの石頭!」と,殿は怒鳴って,馬を引けと命じて,数人の家来とともに伊兵衛のあとを追いかけます。
 この殿があとを追いかける一方,伊兵衛とたよが二人で山道を歩いて旅を進める最終場面は,とてもさわやかで,やはり感動的です。旅を続けるさまがスクリーンに映し出される中,たよの声がナレーションで聞こえてきます。「これだけ立派な腕を持ちながら,花を咲かせることができない。なんという妙な巡り合わせでしょう。でも,わたくし,このままでようございます。他人を押し退けず,他人の席を奪わず,機会さえあれば,貧しいけれど真実な方たちに喜びや望みをお与えなさる。このままの貴方も立派ですもの。」林の中に入って,剣を振り回して,未練を斬って捨て去ってから,伊兵衛はたよとともにまた歩き始めます。殿が馬に乗ってあとを追いかける場面がスクリーンに映し出されます。最後の結末は観客の判断に委ねるという見事な締め括りです。伊兵衛とたよは峠の上に辿り着き,そこからは眼下に大海原が開けています。なんと美しい眺めでしょう。たよが伊兵衛に寄り添い,二人が大きな自然に包まれたところで,映画は終わります。
 黒澤明が意図したとおり,「見終わって,晴れ晴れとした気持ち」にしてくれる,本当にさわやかで,すばらしい作品です。是非,この機会にご覧ください。


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