【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第35号
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○「知的感動ライブラリー」(8)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作


新旧二つの映画『椿三十郎』

1.娯楽映画の最高傑作としての黒澤明『椿三十郎』

 2007年12月1日(土)に森田芳光監督の『椿三十郎』が劇場公開されて,このところ新聞やテレビ等で話題となっている。昭和37年製作の黒澤明監督作品『椿三十郎』をリメイクした映画であるだけに当分の間,話題も尽きないことであろう。私も数か月前にこのリニューアル版製作の話を聞いて,劇場公開の日が待ち遠しくてたまらなかった。公開されるや否や,さっそく映画館に出かけた折りのワクワクした気持ちは,そのオリジナル版である黒澤映画が封切られた45年前のときとまったく同じであった。
 私が初めて黒澤明監督の『椿三十郎』を観たのは,昭和37年,小学5年のときだった。私は保育園に通う頃からたくさんの時代劇を見ていたが,小学5年生のときにその映画のポスターに心を躍らせ,その映画を見に行く前はワクワクした気持ちでいたのを今でも覚えている。映画内容の汚職などは理解できるはずもなかったが,三船敏郎扮する椿三十郎がカッコよく剣を振るう姿に感動したのである。そのカッコよく剣を構える椿三十郎の映画ポスターは,現在でもさまざまなパンフレット等で目にすることができるが,私はそれを見るたびに少年時代の感動を思い出さずにはいられない。もちろん黒澤明という映画監督の存在を意識したのは,ずっと後のことだが,この映画は娯楽映画の最高傑作として長い間私の脳裏に残ってきた作品である。やがてビデオ等が普及し始めて,これまでの映画がいつでも鑑賞できるようになると,1000本の映画の中からベスト100を選び出すのを趣味としてきたが,常にその上位にランクづけされてきたうちの一つが,黒澤明の『椿三十郎』である。黒澤明と言えば,人は何よりもまず『七人の侍』を挙げるが,私はそれよりも『椿三十郎』の方をより高く評価したい。その理由は,『七人の侍』(3時間27分)ほど長くもなく,ちょうどよい長さの映画(1時間36分)で,全体的に一分の隙もなく,ユーモアもあり,観ていて,とにかくおもしろい娯楽作品であるということである。確かにのちの黒澤作品の『影武者』や『乱』に比べると,スケールという点では小さな映画かもしれないが,しかし,その小さな映画の中にこそ私は大きなものを見出すのである。映画は娯楽であるという観点から言って,黒澤明の『椿三十郎』は最高傑作であると今でも思っている。

2.山本周五郎『日日平安』と黒澤明『椿三十郎』

 この映画の原作は山本周五郎の短編小説『日日(にちにち)平安』(サンデー毎日,昭和29年涼風特別号)である。この小説は山本周五郎の「武家もの」の中でも特に「滑稽もの」に属する作品であり,その内容は腹ぺこの浪人菅田平野(すがたひらの)がわずか一食の銭を得るために通りすがりの若い侍井坂伊織(いさかいおり)に切腹のまねをしたことから,その若侍の藩の騒動に巻き込まれ,城代家老を悪人一味から救い出して家中を収めるというものである。主人公の浪人も間抜けであれば,城代家老の一家も皆,おっとりした性格で,「日日平安」の暮らしぶりである。城代家老を救い出して,浪人はその藩に召し抱えられることになるが,それまでの経過がとにかく滑稽に描かれている。
 黒澤明はこの小説を読んでおもしろいと思い,その脚本を書いたが,映画会社の要望によって主人公の浪人はもっと強い男にすることになり,前作『用心棒』(昭和36年)の主人公「三十郎」を引き継ぐかたちで,強くてカッコいい浪人「椿三十郎」が生まれたようである。こうして弱虫の浪人から,正反対の最強の浪人が生まれ出てきたのであるが,原作に描かれている「日日平安」ぶりは黒澤明の映画『椿三十郎』にもふんだんに織り込まれていて,主人公の剣の「鋭さ」と城代家老の一家の「鈍感さ」の混合がこの映画のおしろいところである。以下,そのあらすじを順に辿りながら,映画の見どころなどをまとめることにしよう。

3.黒澤明『椿三十郎』のあらすじと見どころ

 ある夜のこと,9人の若侍が森の中の神社に集まって,上役の汚職を暴き出そうと秘密の会合を開いていた。リーダー格の井坂伊織(加山雄三)によると,その伯父である城代家老陸田(伊藤雄之助)は次席家老黒藤(志村喬)と国元用人竹林(藤原釜足)の汚職を知りながらも,これまでそれを見逃してきたのみならず,このたび9人の若侍が差し出した意見書までいきなり破り,その際「俺がその黒幕かもしれないぞ・・・一番悪い奴はとんでもないところに居る」と言ったという。このような調子の伯父とは話にならないので,井坂伊織は次には大目付の菊井(清水将夫)に相談すると,菊井はそれを承諾して,一度ゆっくり話し合いたいので,仲間を集めてほしいと答えたという。9人がそのような密談をしているところへ奥から出て来たのが,よれよれの紋付き袴を着た浪人(三船敏郎)である。浪人は,汚職の黒幕は城代家老ではなく,大目付の菊井だと見抜いて若侍たちを驚かせるが,そのときにはすでに菊井の手勢によって神社は取り囲まれていた。浪人は若侍たちを床下に隠して,1人で神社の外に打って出た。そのとき菊井のお抱え侍室戸半兵衛(仲代達矢)が現れて,浪人がただ者ではないと見抜くと,手勢を引き連れて帰って行った。
 そのあと浪人は見るからに未熟な9人の若侍たちを放っておくことができずに,手助けの決意をする。まずは城代家老が危ないと見て取って,その屋敷へ急ぐが,城代家老はすでに菊井の手勢にどこかへ連れ去られ,その城代夫人(入江たか子)と娘千鳥(団令子)は屋敷に監禁されていた。浪人は機転をきかせて,なんとか奥方とその娘を救い出し,とりあえずまぐさ小屋に避難するが,そこでの場面がとにかくおもしろい。奥方と娘の悠長な身の振り方が滑稽で,おもしろく,見どころの一つである。抜き身の刀のようにギラギラとしている浪人を見て,奥方は「あなたは鞘のない刀みたいな人・・・よく斬れます・・・でも,本当にいい刀は鞘に入っているもんですよ」と言う。この奥方の言葉がこの映画のすべてを語っていると言ってもよいであろう。黒藤邸の隣にあるという若侍寺田の家まで逃げて行く途中,塀を越えるときに浪人が奥方と娘のために踏み台となる場面も,奥方たちの呑気な振る舞いのため,このうえなく滑稽で,おもしろい。寺田の家に落ち着くと,奥方は浪人に名前を尋ねる。浪人は隣の黒藤邸に咲く椿の花を見て,「私の名は・・・椿三十郎・・・もうそろそろ四十郎ですが」と答える場面も,見逃してはなるまい。
 このあと若侍たちは城代家老の拉致された場所を探し出そうと必死になるが,菊井一味の策略に陥って,へまな行動ばかりを繰り返す。その都度,椿三十郎の機転で難を逃れてきたが,ついに若侍たちは動きのとれないところまで追い詰められた。城代家老の行方も一向に分からない。そのとき城代夫人と娘が隣の黒藤邸から流れてくる小川の中に井坂伊織らの血判書を見つけ,城代家老は黒藤邸に監禁されていることが判明した。そこで椿三十郎は策略を練って,隣の黒藤邸に室戸半兵衛を訪ねて行くことにした。室戸からは仕官の望みがあるなら俺を訪ねて来いという誘いを受けていたからである。そこで練り出した策略とは,椿三十郎が「光明寺の山門の上で寝ていたら,若い侍たちが集まってきた」という情報を流して,菊井の手勢たちがそこへ出かけた隙に,若侍たちが邸に踏み込んで城代家老を助け出すというものであった。肝心なのはその踏み込む合図であるが,三十郎が「邸に火をつける」と言ったのに対して,またもや城代夫人が「いけませんよ,そんな乱暴な」と言って,娘とともに考え出したのが,隣から流れてくる小川に椿の花を投げ込むことである。娘が「赤い椿を合図になんて,綺麗でいいわ」と言えば,奥方は「私は白い椿の方が好きですよ」と答える。そのような悠長な二人の態度にたまりかねた三十郎が,「赤でも白でもいいじゃねえか・・・とにかく椿が合図だ」と答える。すると寺田が「しかし,時々自然に散ったやつが流れて来ますが」と言えば,「ごっそり流せば文句はあるめえ」と答える。この場面なども最高におもしろくてたまらない。この作戦がうまくいけば問題はないが,しかし,いざ黒藤邸に乗り込み,菊井の手勢を光明寺へ向かわせることに成功したものの,椿を摘み取っているときに,室戸半兵衛―不審に思い,残ったのであろう―に見つかり,捕らえられてしまう。しかも光明寺には二階がないことを汚職の張本人の1人が思い出して,嘘がばれてしまう。室戸は急いで菊井の手勢を呼び戻しに出かけ,あとに残ったのは縛られた三十郎と汚職の張本人の3人である。その3人が縛られたままの三十郎にまんまと騙されて,椿の花を小川の中に流し込む場面もこのうえなくおもしろい。隣の若侍たちはその椿の合図で黒藤邸に踏み込み,騒ぎは一件落着である。
 助け出された城代家老の屋敷では,数日後に宴席が設けられたが,椿三十郎の姿はない。望みさえあれば,三十郎は城勤めを始めることができるが,その気配はないようである。城代家老もそれを知って,ホッとしてこう言う。「あの男はなかなかの奴だ,でもな,桁はずれのああいう男はわしには困る・・・あの男にとっても,こんなところに引き留められるのは迷惑だよ。」9人の若侍が探しに出かけると,街道の並木道で三十郎と室戸とが向かい合っていた。三十郎は決闘を避けたいが,これまで騙され続けてきた室戸は引き下がらない。仕方なく三十郎は対決に応じるが,この二人の決闘がこの映画の最大の見どころであることは言うまでもない。恐ろしいほど長い間(ま)があって,動きがあったかと思うと,その瞬間に勝負は決まった。室戸は倒れた。「お見事!」と叫ぶ若侍たちに向かって,三十郎は「馬鹿野郎ッ!聞いた風をぬかすな!」と怒ったあと,室戸を見ながら,「こいつは俺にそっくりだ・・・抜き身だ・・・こいつも俺も鞘に入ってねえ刀さ・・・でもな・・・あの奥方が言った通り,本当にいい刀は鞘に入っている・・・手前たちもおとなしく鞘に入っていろよ」と言って,立ち去って行く。感動のエンディングである。

4.森田芳光監督の新作『椿三十郎』の見どころ

 このたび公開された森田監督『椿三十郎』のあらすじは,上記のオリジナル版とほぼ同じである。シナリオまでほとんど同じと言ってよい。そうでありながら新しい『椿三十郎』を感じさせてくれる見事な演出である。三船「三十郎」が超人的で,一分の隙も見せないスーパーマン的な剣豪であったのに対して,今回の織田裕二「三十郎」は確かに見事な腕前だが,決して完璧な超人的存在ではなく,菊井の一味と戦うときなどは「息切れ」のしぐさを見せるなど,どこか普通の人間らしさを感じさせる浪人である。そこに現代的な若者らしさが読み取られて,親しみを感じないではいられない。奥方(中村玉緒)と娘(鈴木杏)の悠長ぶりもなかなかよい。また9人の若侍もそれぞれ初々しい個性的な演技を見せてくれて,新鮮さを感じさせてくれる。さらに押し入れに監禁されている木村という侍(佐々木蔵之助,旧作では小林桂樹)もなかなかおもしろい演技を見せてくれる。しかし,最も特徴的な演出で,最大の見どころは,やはり何といっても,最後の三十郎と室戸の決闘シーンであろう。ここでも前作のような一瞬の「鋭い」決闘ではなく,自然のままの人間らしさを感じさせる決闘である。前作が一瞬の対決であったのに対して,新作はスローモーションを使って,対決を比較的長く再現するなど,そこに新しいものを感じ取ることができる。同じ脚本から,以前の作品とは対照的な新しい作品が出来上がっていると言ってもよいであろう。私自身も少年時代には椿三十郎の超人的な立ち回りに感動していたのであるが,45年経った現在はむしろその反対側にある奥方や娘の悠長ぶりに強い関心を示すようになった。困難な状況に追い込まれても,慌てず騒がず,呑気に悠長に構える城代夫人のような「心のゆとり」を持ちたいものである。そのような「心のゆとり」こそますます多忙を極める現代社会の私たちに必要なものではあるまいか。新作『椿三十郎』は旧作と同様にそのようなことを改めて感じさせてくれる。この機会に是非二つの『椿三十郎』をご覧ください。

参考文献

全集黒澤明 第五巻 岩波書店 1988年
ドナルド・リチー(三木宮彦訳)黒澤明の映画 社会思想社(教養文庫)1991年
山本周五郎『日日平安』 新潮社(新潮文庫)1965年(第1刷) 2007年(第69刷)
『椿三十郎』映画パンフレット 東宝(株)出版・商品事業室 2007年12月1日


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