【す だ ち】徳島大学附属図書館報 第30号
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○「知的感動ライブラリー」(3)

徳島大学附属図書館長 石川 榮作

日時 2007年7月26日(木)午後2時30分〜4時20分
場所 徳島大学附属図書館本館 3階大視聴覚室
作品 黒澤明監督映画『蜘蛛巣城』(東宝1957年,1時間50分)(三船敏郎,山田五十鈴主演)


作品の解説

 この映画は「昔も今もかわりなし」という謡に始まり,蜘蛛巣城跡にたちこめていた濃い霧が晴れ上がると,昔の城の姿が現れる。戦国時代にこの蜘蛛巣城の城主を務めていたのが都築国春(つづき くにはる=ダンカン王)である。出陣の用意を整えたこの城主のもとに使い武者が次々に駆けつけて,最初は苦戦を強いられながらも鷲津武時(わしつ たけとき=マクベス)とその僚友三木義明(みき よしあき=バンクォー)の働きで反乱軍を押さえつけたことを報告する。城主の都築国春は謀反を起こした藤巻(ふじまき)を斬るよう命じ,手柄を立てた鷲津武時と三木義明をじきじきにねぎらうことを決意する。合戦で勝利を収めた鷲津武時は僚友三木義明と一緒に城主の待つ蜘蛛巣城へ帰る途中,森の中で道に迷い,一人の老婆(魔女たち)に出会う。老婆は一の砦の大将鷲津武時には「今宵から北の館の殿様になり,やがては蜘蛛巣城の城主となる」と予言し,二の砦の大将三木義明には「今宵からは一の砦の大将,やがて息子が蜘蛛巣城の城主になる」と予言してから,ふいと立ち上がるや,小屋もろともに霧と化して消えてしまう。そのあと鷲津と三木は深い霧の中をあちこち馬で駆け回って,やっとのことで森から抜け出て蜘蛛巣城に戻ると,さっそく城主の都築国春より「鷲津は今宵より北の館の主」に,そして「三木は一の砦の大将」に任ぜられて,両者ともギクッとしながら城主より太刀を戴く。
 北の館の主となった鷲津武時は平和な日々を送っていたが,その妻浅茅(あさじ=マクベス夫人)から「もし三木が国守の都築に老婆の予言のことを打ち明けでもしたら大変なことになる」などと三木暗殺を唆される。鷲津武時は「子供のときからの友三木を殺害することなどできぬ」と言っているうちに、国守の軍勢が北の館にやって来たので,あわてふためく。しかし,国守の都築は狩りを装って,実は謀反人の乾(いぬい)を討つために兵を動かしたことを打ち明ける。そしてこの北の館を本陣とし,鷲津武時を先陣の大将に任じ,三木義明には蜘蛛巣城の留守役を命じる。鷲津武時と三木義明は感激にふるえて平伏する。
 ところが,浅茅はその作戦を疑って,「先陣の大将は前後から矢を受けることになるでしょう。国守はこの北の館を取り上げるつもりです。そして留守役の三木は蜘蛛巣城からあなたの最期を笑って見物なさるでしょう。」などと夫に警告し,そうなる前に国守を殺すべきだと主張する。「しびれ薬の入った酒を警護の者にふるまい,その眠りに落ちたのを見すまして大殿を刺し,則保(のりやす=マクダフ)のしわざとして全軍にふれる」という妻の唆しもあって,ついに鷲津は暗殺を実行する。この暗殺場面はシェイクスピア原作と同様にスクリーン(舞台)の上では展開されないが,日本芸能の能の様式を織り込んだ鷲津とその妻浅茅との重厚な演技によって格調高い名場面となっている。この映画の見どころの一つであろう。暗殺を実行した鷲津はあわてて槍を持ち帰ったが,それを浅茅は夫から取り上げて,眠っている警護の手に握らせてから戻って来る。浅茅は手を洗うや否や,大声で一大事が起こったことを告げる。鷲津も大音声に叫んでから,警護の者を斬り捨てる。
 国守の息子国丸(くにまる=マルカム王子)は鷲津の謀略だと悟って仕返しをしようとするが,則保がそれをいさめて,ひとまず蜘蛛巣城に連れ戻す。しかし,三木義明が留守役を務める蜘蛛巣城の門は開かない。それどころか多くの矢が飛んできたので,国丸と則保は駆け去ってしまう。国丸と則保を追って蜘蛛巣城へ辿り着いた鷲津武時は,三木義明の真意が分からなかったので,しばらく様子を窺っていたが,やがて妻浅茅の忠言に従って,大殿の遺体を運んで蜘蛛巣城の門に立つ。門は開き,三木義明がそれを迎える。大殿の奥方は自害されたという。「大殿亡きあとはきっと乾の輩がこの蜘蛛巣城をねらうので,余程の剛の者でなくてはこの城は守れない」と言って,三木義明は大評定の座で鷲津武時を城主に推挙することにする。
 こうして鷲津武時は蜘蛛巣城の城主となったが,鷲津と浅茅の間には暗鬱な雰囲気が垂れこめていた。鷲津は「自分の今日あるは,三木の変わらぬ友情の賜物」と言って,蜘蛛巣城の城主の座を三木の息子に譲り渡すことを主張し始める。森の中で出会った老婆の予言が気にかかる鷲津武時にしてみれば,三木の息子に蜘蛛巣城を譲り渡すと,予言どおりとなり,いつまでも安泰に暮らせると思ったからである。しかし,それも鷲津とその妻浅茅との間に後継ぎがいない上での話である。「私,身ごもりましたの」という浅茅の言葉を聞くや否や,鷲津の考えも変わるのである。この場面がドラマチックであり,ここに黒澤明らしい独創性があると言えよう。
 北の館に住んでいる三木義明は,鷲津武時から息子義照(よしてる=フリーアンス)のための宴へと招待されているが,義照は馬が暴れているのを凶の兆しだと悟って,蜘蛛巣城に出向くことをやめるよう父に諌言する。しかし,今日の宴は息子義照のために催されるのだと説き伏せられると,義照はもはや何も言い出すことはできなかった。
 蜘蛛巣城では今やその宴が催されている。一人の武将が舞っているが,その謡は逆臣も天罰によって最後には滅びるという内容だったので,鷲津の耳には痛い。激しく手を振って怒鳴ると,一座は驚いてシンとなる。鷲津は血走った眼で空いている席へチラリと視線をやると,そこに死相の三木義明がすわっていたので,動揺する。死相の三木義明は再び現れたので,鷲津はますます怒り狂い,宴の席はすっかり白けてしまう。武将たちが立ち去ったところへ,一人の武者が現れ,「三木義明は確かに片づけたが,小伜は取り逃がしてしまった」ことを報告する。鷲津はその武者が平伏しているところをいきなり太刀で斬り捨ててしまう。
 蜘蛛巣城では数日前にネズミの群れが逃げ出したので,雑兵どもは不安にかられている。そのような折りに鷲津武時には妻浅茅が死産したことが報告されるばかりか,乾の軍勢−今やその乾のもとに三木義明の息子義照も身を寄せている−が国境を越えてなだれ込んで,一の砦を取り囲んだことが報告される。その先手の大将は小田倉則保で,国丸君を奉じて,先君の仇を討とうとしているという。二の砦も寄手の大将三木義照に取り囲まれ,一の砦も二の砦もともに敵方に寝返って,今や三の砦を攻めているという。怒り狂った鷲津武時は,馬に飛び乗り,蜘蛛手の森にやって来て,老婆を呼び出すと,老婆は白髪を振り乱して白骨の山の上に現れる。「三木義明の子が蜘蛛巣城の主になるのはまことか」と尋ねる鷲津に対して,老婆は「ご安心なされませ・・・この蜘蛛手の森が動き出して,蜘蛛巣城へ押し寄せぬ限り,貴方様は戦さに破れることはありませぬ」と答える。鷲津はこの予言に気をよくして,ますます大胆に振る舞うことにする。  今や則保の軍勢が攻め寄せ,蜘蛛手の森での合戦が繰り広げられる。蜘蛛巣城の鷲津のもとには敗軍の報告がもたらされる。則保の軍勢は今や森のはずれにあふれている。蜘蛛巣城内の軍兵は皆おびえているので,鷲津は櫓(やぐら)に上って,老婆の予言のことを話し,「あの蜘蛛手の森が動き出し,この城に攻め寄せぬ限り,俺は断じて戦さに負けることはないのだ」と雑兵どもを奮い立たせる。軍兵どもは槍を上げ,弓を振り,閧(とき)の声を上げる。その夜は両軍とも動かずに,夜が明ける。
 城内の浅茅の部屋では浅茅がうずくまり,しきりに手を洗うようなしぐさをしている。能面のように動かぬその顔は重い病苦に衰え,幽鬼の相を呈している。浅茅は手を洗うしぐさを続けながら,血が洗い落とせないことを嘆く。鷲津はそのさまを見て,もはやなす術(すべ)もなく,妻を見つめて立ちつくす。そのとき大群衆の混乱した叫び声が聞こえ,軍兵の一人が駆けつけて報告するには,「あの蜘蛛手の森が動き出して,この城へ攻め寄せて来る」という。「森の動く道理がない」と言って,鷲津は櫓へ上り,見渡すと,森がムクムクと動き出して,それが城へ向かってジワジワと進み寄って来るのが見える。鷲津の顔には言いようのない恐怖が走る。鷲津は櫓の上から軍兵どもに持ち場につくよう命令するが,今やこの追い詰められた獣のような鷲津の命令に従う軍兵は誰一人としていない。そのうち矢が一本飛んできたかと思うと,たちまちたくさんの矢が飛んできて,ついには一本の矢が鷲津の首に突き刺さる。ハリネズミのように矢を受けた鷲津は,まっさかさまに櫓の上から落ちてしまう。こうして鷲津はシェイクスピア原作のように敵側ではなく,逆に味方によって滅ぼされるのであり,そこに日本の戦国時代の武将鷲津武時の悲劇がある。この鷲津の哀れな最期は、誰もが折りあらば一国一城の主になろうと夢見て,誰もが人を疑い,裏切ってしまうという,まさに戦国の世の習わしの表現である。味方に滅ぼされた鷲津の蜘蛛巣城へこのあと初めて敵側の則保の軍勢が木の枝で擬装して攻め寄せるのである。その則保の全軍を朝日がサッと照らす。
 そのあとに続く最終場面では,冒頭と同じ蜘蛛巣城跡が映し出される。すべてが荒涼としている。その城跡に「今も昔もかわりなし」のコーラスが響き渡るが,オープニング・シーンとエンディング・シーンが同じ場所になっているのも決して意味のないことではない。この冒頭と最後で「悲劇の繰り返し」というこの映画のテーマが表現されているのであり,映画『蜘蛛巣城』は全体が円環をなしていて,映画全体の構成の面でもスキのない仕上がりを見せている傑作と言えよう。

参考文献

 黒澤明全集(全六巻)第四巻『蜘蛛巣城』シナリオ(岩波書店1988年)
 ドナルド・リチー(三木宮彦訳)『黒澤明の映画』(教養文庫,社会思想社1991年)
 佐藤忠男『黒澤明の世界』(朝日文庫,朝日新聞社1986年)
 森祐希子『映画で読むシェイクスピア』(紀伊國屋書店1996年)


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