図書館長就任にあたって:クール・ライブラリーをめざして 2015.8.25


附属図書館長 吉 本 勝 彦

平成22年・23年度における蔵本分館長時代に、蔵本分館新築時や増築時の写真、「徳島大学医学図書館」の横額や木造の旧図書館の瓦が保存されていることを知りました(写真1)。図書館長就任挨拶の機会に、蔵本分館の歩みを振り返ってみたいと思います。

昭和22年、旧歩兵第43連隊兵営跡地の2階建て木造兵舎(現在の医学部A棟西側の南側)を転用して徳島医学専門学校図書館がスタートしました(写真2)。

昭和38年に現在地に完成した鉄筋2階建てと書庫4層の新館(現在の北側部分)建設は、医学部15周年記念事業として計画されました。書庫(西側部分) 建設費は国費1,760万円で、残りの閲覧室・管理室(東側部分)の2,600万円は寄付金により賄われました(写真3)。昭和34年の徳島新聞記事には,「医、薬学部内では教授が毎月の給与から2%、助教授、助手が1%、看護婦さん、小使さんもふくめた事務職員が0.5%ずつ出し合っており、2年後の36年はじめから着工したい考えである。」と書かれています。保存されている寄付者名簿や寄付金額、寄付金振り込みの控えなどを目にする度に、諸先輩の新図書館建設に向けた強い思いに頭がさがります。

その後、昭和54年に南館(現在の事務室、中央閲覧室、南学習室)(写真4)、さらに平成6年に東館(現在の南書庫および生命科学閲覧室)(写真5)の増築が行われました。

平成23年9月から一部の増築を含む耐震改修が行われ、平成24 年5月にリニューアルオープンしました(写真6)。学生のアクティブ・ラーニングを支援する観点からラーニング・コモンズやグループ学習室を増設するとともにICT環境も整備しました。タッチディスプレイ「BIG PAD」は好評で、ホワイトボード機能を用いての討議、共同で資料の作成、プレゼンテーション練習など様々な用途で用いられています。本取り組みは、平成26年7月文部科学省から「大学図書館における先進的な取り組みの実践例」の一つとして紹介されました。

平成26年に、図書館の理念・目標として「教育・学修と研究活動を支える」および「学生等利用者の来館型図書館・参加型図書館」を明文化しました。研究活動支援としての電子ジャーナルは、恒常的な値上げ、円安、海外デジタルコンテンツへの消費税課税などの要因により、継続あるいは一部パッケージの休止などについて年度ごとの検討を余儀なくされています。分館における学修支援としては、「授業サポートナビ」、「テーマ展示」、「My Recommendations (教員によるお勧め本)」,「My Thesis (教員による学位論文紹介)」「R言語によるやさしいバイオ統計実習」や「エビデンスに基づく医療を実践するEBMワークショップ」実施などの取り組みが、図書館職員の熱意と努力により活発に行われています。

大学図書館は、「学部の壁を越えた知の拠点」、「人がであう場」です。それゆえ、学生のみならず教職員も図書館に足を運び、図書館が学生との対話・討論の場となることを望みます。また、学術情報提供を担う図書館の役割を維持するとともに、学生・教職員にとって、図書館利用がワクワクするような「クール・ライブラリー(すてきな図書館)」をめざす所存です。


参考図書

黒田嘉一郎:蔵本雑記. 黒田嘉一郎教授停年退職記念会. 昭和46年3月発行

沖田学:徳島大学附属図書館蔵本分館 歩み (昭和22-昭和55). 昭和56年3月発行

徳島大学医学部五十年史編集委員会(編):徳島大学医学部五十年史. 徳島大学医学部. 平成5年11月発行


(本稿は「徳島大学大学院医歯薬学研究部だより 第2号2015年10月1日」に写真を一部追加し、加筆したものである)


写真1 「徳島大学医学図書館」の横額や木造の旧図書館の瓦が蔵本分館に保存されている。

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写真2 新館が完成した後は医学部事務室として利用され、昭和43年に解体された。

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写真3 文部省や県との交渉は黒田嘉一郎医学部長(当時)が精力的に行った。左側(東側)の建物は外来棟(平成27年9月に新外来棟に移転)である。

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写真4 歯学部設置(昭和51年、北側の歯学部棟は昭和54年に完成)により蔵書数の増大が見込まれることから、南館の増築が行われた。

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写真5 医療技術短期大学部設置(昭和62年)に伴う附属学校図書室からの図書移管による収容スペースの狭隘化および学生数増加による閲覧座席数の不足に対応するため、南館の東側に東館が増築された。

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写真6 改修終了時の蔵本分館(正面玄関)。改修により歯学部側旧玄関は閉鎖された。ラーニング・コモンズおよびマルチメディアルーム部分が増築された。

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